〈14〉入学祝いのテスト3
化物の首が左右に振れる。
投げつけたパイプ椅子が、苛ただしげに弾かれた。
――B゛r゛o゛a゛a゛a゛a゛a゛.
裂けた口が大きく開き、先ほどよりも数段低いうなり声が聞こえてくる。
「スーグラさんっ!!」
「俺のことは良い! 早く外へ!」
「っ……!」
息をのむクラスメイトを横目に見ながら、俺は化物に背を向ける。
事前に確認していた通り、視線の先に人の姿はない。
「オッサン!!」
悲鳴に似た声を背中越しに聞き流して、俺は全速力で駆け出した。
恐怖を押し込めてチラリと背後を流し見る。
化物は、椅子を蹴散らしながら、俺だけを追いかけていた。
「いいぜ、そのまま来いよ」
震える喉から無理やり声を絞り出す。
前を向いて、大きく腕を振る。
壁際まで駆け抜けて、振り返る。
迫り来る化物の姿が、バスケットコート1枚分だけ遠くに見えた。
「……何とかなりそうだな」
距離は確実に開いている。
金髪のイケメンに助けられた時にも感じた事だが、この化物に速さはない。
「体ばかりがデカくて、攻撃は単調。確かに作られた問題なんだな」
長い尻尾が振り回されることもなく、硬い爪で引っ掻く事もない。
ただ鋭い牙を持つ口で噛みつくているだけに見える。
驚きだけなら、スカウト時に見せられたスライムの方があったと思う。
「さてと……」
俺は、ふー……、と大きく息を吐き出して、迫り来る化物の足に意識を向けた。
腸がえぐられそうな巨大な爪が、着実に迫っている。
「生物としての常識は持っていてくれよ?」
俺は、右足が床を離れた瞬間を狙って前に出た。
渾身の祈りを胸に抱いて、床に残った左足の外側へ。
一度は本気で食われた、死んだ、と思ったせいか、今は不思議と体が動いていた。
――B゛r゛o゛a゛a゛a゛a゛a゛
化物の体は壁を向いたまま、首だけが振り返る。
さすがに左足1本だけでは、急な方向転換は出来ないらしい。
「この幸運がいつまで続くかねぇ」
振り向いた先には、椅子のがれきをかき分けて進む若者たちの姿があった。
腰が抜けた者も多いが、動ける生徒が率先して肩を貸している。
「年長者が逃げるのは最後。そうだよな?」
自分に言い聞かせるように、化物を見上げて問いかけてみる。
無論、化物からの返答など、あるはずもない。
「つれないねぇ」
両手を広げて、肩をすくめて見せた。
背後にいるクラスメイトたちにも、余裕の表情が見えるように。
「昔から鬼ごっこは得意でな」
挑発するように微笑んで、潰されたパイプ椅子を拾い上げる。
「さすがに、椅子を投げても良い、なんてルールは、今日がはじめてだけどな!」
ヤツの顔めがけて、パイプ椅子を投げつけてやった。
――B゛r゛o゛a゛a゛a゛a゛a゛
「そう怒るなって。楽しくやろうぜ」
化物からつかず離れず。
隙を見て、パイプ椅子を投げつける。
クラスメイトが化物との距離を見定めながら、ひとり、またひとりと体育館を脱出して行った。
「……さてと、そろそろか」
残るは、男子が3人、少女が2人。
男たちの方は入り口付近を陣取り、励ましの声をかけ続けている。
時折、化物を見上げる彼らの瞳には、恐怖と矜持が混じり合った色が浮かんで見えた。
少女2人はバラけた場所にいるものの、それぞれの進む先には、扉までのキレイな道が出来ている。
ゆっくりとではあるが、着実に前へ進んでいた。
残りは数分と言ったところだろう。
「鬼ごっこは俺の勝ちだな。優秀なクラスメイトだろ?」
視界の端では、ひとりの少女が脱出を果たしていた。
残りはひとり。
ステージに乗った先生と榎並さんをチラリと流し見た後で、俺は校舎に続く通路に体を向ける。
「あとは、コイツが外に出ないことを祈るばかりか……」
もし廊下にまで付いて来るとしたら、何かしらの対策が必要になる。
一か八か、ビー玉に戻った瞬間を狙って捕まえるのもありだろう。
――そんな事を思っていた矢先、
「きゃっ……!!」
不意に誰かの小さな悲鳴が聞こえた。




