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【第95話】天使と悪魔

「はやて~……」


 朝霧が寝室に入るなり、そんな声が発せられる。今にも泣きそうな……いや、正確には既に泣いているその声は、なにかに怯えているかのように震えているのが分かる。


「どうした!? ま、まさか竜が──「雷がね。ゴロゴロって……」」

「……………………………………………………はい?」


 朝霧は、呆れきった顔になりながらそう聞き返す。別に朝霧という少年は、目の前で少女が泣きそうになっているのを放っておくような人間ではない。

 逆だ。

 この少女の笑顔を守りたいという気持ちは誰よりも強い。

 だけど、けれど、しかし。

 いつもいつも朝霧は電撃を使い、この少女はそれを間近で見ている。今更、雷で泣く要素など見当たらない。


「はやては怖くないの!?」

「あの~……お嬢様? いつも俺、手から雷とか出してるよね? なぜに今更……」

「それとこれは違うの!」

「は、はぁ……」


 朝霧はやれやれというため息を吐く。

 それと同時にファンの隣を見た。そこには朝霧が寝るためのスペースがあるわけなのだが……現在、加奈子がそこで熟睡している。

 すぅすぅと寝息をたて、完全無防備となっているその姿は、女子中学生のものとは思えない。全く……ここにいるのが俺じゃなくて見知らぬ男だったらどうするんだ、と朝霧は思う。

 まぁ、そもそも加奈子が見知らぬ男の前で寝ることはあり得ないとは思うが……。

 にしても、これだけ騒いでいて起きないというのは、どれだけ無頓着なのだろうか。と、朝霧は二度目のため息をつく。


「うぅ……はやてぇ……」

「ぐっ、そんな捨てられた子犬みたいに目をうるうるさせてこちらを見るでない!」

「でも……」


 その瞬間、カーテン越しからでも分かるほどの眩しいほどに光りとゴロゴロという轟音が同時に鳴り響く。どうやら、すぐ隣の建物の避雷針に落雷が落ちたのだろう。

 朝霧がそちらに意識をとられた瞬間、ファンが布団から飛び出て、朝霧に抱きつく。


「ちょっ、おま……」


 猫のような素早い動作をするファンに朝霧は反応できず、そのまま押し倒される。

 ドシーンという音が部屋に鳴り響いた。

 朝霧は、床に後頭部を叩きつけられた痛みを抑えるため目をつぶる。


「痛ぇ………」


 朝霧は、徐々に痛みがひいていてきたのを確認すると目を開け起き上がろうとする。──と、そこで気付く。

 薄いパジャマ姿。まだ発展途上の胸。金色の艶のある髪。少し漂うシャンプーの匂い。涙目になっている少女の顔。

 それらが目の前にあった。というよりは、それらが朝霧の上に馬乗りになる形で存在していた。


「うぉぉぉぉぉぉぉおおお!!」

「うわっ! ビックリした……。はやてどうしたの?」

「お、お嬢様!? とにかくその格好でこの体制はマズいです。非常にマズいです! 俺が社会的に抹殺されてしまいますから、どうか降りて下さい!」

「じゃあ一緒に寝よ……?」

「へ?」


 自分でもバカだと思うほどの間抜けな声が漏れる。

 いや、年頃の高校生男子からすれば、この『寝よ?』というのは二通りの意味がある。反応に困るのはごく普通のことだ。

 しかもそれに加えて上目遣いとなれば、それこそ勘違いが起こる。


 ──グヘヘ、これは誘ってるんだ。男、朝霧疾風。布団の中へダイブしろ。


 ──これは雷が怖いから添い寝してという意味です。少女が寝れずに怖がっているのですから、紳士朝霧疾風。布団の中へレディゴーです。


 朝霧の頭の中に存在する悪魔と天使の答えはこのようなものだった。

 天使と悪魔が同じ答えを導き出すとは……恐るべし俺。

 そんなことを考えながら少しだけ苦笑いをする。と、そうこうしている間にもファンが朝霧の服を前後に揺らし「ねぇねぇ」と騒ぐ。


「分かった分かった。お前が寝るまでな」

「うん!」


 ファンはニッコリ笑顔を見せると朝霧の身体から降りる。朝霧はファンの身体が小学生くらいのため、乗っていても乗っていなくてもあまり重量は変わらないような気がした。

 と、ここで朝霧は思い出す。


「あ……ヴィシャップ忘れてた。悪い、今からヴィシャップ見送ってくるからそれまで待ってろ」

「じゃあ早めに帰ってきてよ?」

「分かってますよお嬢様」


 そう言うと、朝霧は寝室から出る。そしてリビングへ歩いていく。

 と、リビングでは、お笑い芸人が五種類のジャンルから一定の笑いをとるというテレビ番組が流れていた。

 どうやら、暇をしていたヴィシャップが適当にテレビをつけたのだろう。ちなみに当のヴィシャップはテレビを見るのに適した位置に置かれているソファー(我が家では特等席と呼ばれている)に座っているようだ。


「悪い悪い、暇してた……か?」


 朝霧は、ソファーをのぞき込むようにしてそう訊く。──と、同時に硬直する。

 なぜなら、見てるだけで頬が緩くなるお笑い番組をかなり不満そうな顔をしながらヴィシャップが見ているからだ。

 それどころか、ヴィシャップはとても退屈なのか自身の長い髪を手でクルクルとしている。


「あ、あの? なにかご不満でしょうか?」

「なぜ、敬語になるのですか? 別に不満なんかありません」

「そ、そうか?」

「はい。ここで待ってろと言っておきながら、ここまで聞こえてくる声でイチャイチャするなんて、どういうことなのかな~なんて思ってません」


 ヴィシャップのオーラが、どんどんと負のオーラへと変わっていく。まるで、血に飢えた狼のようだ。


「それ思ってるよね!? 別にアナタの主に手なんか出してませんし、出す予定もありませんから!」

「……まぁ、良いです。私は帰ります」


 そう言うと、ヴィシャップは玄関へ歩いていく。なんだかご不満オーラ全開なのが気がかりだなぁ、なんてことを朝霧は思う。


「あっ、傘持って行けよ」


 と、ヴィシャップが靴を履き玄関を出ようとしたとき、朝霧が唐突に言う。さっき雨が降っていたのを思い出したのだ。

 だが、ヴィシャップは素っ気なく、


「別に大丈夫です。雲より高く飛べば支障は出ませんから」

「いや、高く飛ぶまでに濡れるだろソレ」

「……………………………………」

「遠慮してないで持って行けって。ほら、髪は女の命とかって言うんだろ? 雨で髪が痛んだらアレだろうし……それに風邪引いちまうかもしんねぇからな」

「そ、それでは仕方なく貰っていきましょう」

「なんだそりゃ」


 朝霧はハハハと笑いながら、ヴィシャップに傘を手渡す。

 と、ヴィシャップは傘を受け取ると微笑みを浮かべ、


「ありがとうございます。アナタもお身体に気をつけて」

「おう、じゃーな」


 朝霧はそう言うと、玄関を閉める。

 なんだか負のオーラが少し消えたようで良かった良かったなんてことを考えながら、ファンの待つ寝室へと戻る。


「お待たせ~」

「はやて遅いよ!」

「そこまで時間経ってないだろ」


 朝霧はそんなことを言いながら、ベッドに入ろうとする。──が、加奈子がベッドの半分近くを不法占拠してるため入れない。

 と、様子を察したファンが加奈子の方──つまりベッドの奥側──に移動する。


「ほら、早く」

「……………………」

「どうしたの?」


 朝霧はベッドの手前で硬直する。わずかに残る理性が大音量でストップさせようとしてるのだ。

 脳裏に『ロリコン』『社会の敵』『警察』という言葉が次々に浮かぶ。

 ──と、そんなとき。


 ピロロロロロピロロロロロ


 突如、家の電話がなり始める。まるで、この場の空気を読んだかのようなタイミングに朝霧は、少しびっくりするがこのチャンスを逃すまいと口を開く。


「わ、悪い! 電話来たから……」


 朝霧はそう言うと、ビューンという効果音が似合うようなスピードでリビングへ消えていく。


「え……ちょっ、はやて!?」


 ファンのそんな声は、もはや朝霧には聞こえていなかった。ファンは「はぁ……」と落胆のため息をつきつつ、寝に入る。

 まぁ、このとき、寝ているはずの加奈子がどこかへ電話をかけているのをファンは知る由もないわけなのだが……。

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