【第91話】形勢逆転
高層ビル群に面した六車線の大通りで、ファンのお腹がグゥーと鳴り響く。それを聞いたからなのか、朝霧は腹がとても空いたように感じた。──否、実際に空いている。
それもそのはずで、現在の時刻はおよそ三時三十分。昼飯も朝飯も食ってないとなると、結構キツい時間帯に差し掛かっているのである。
「……にしても、せっかく農業ビルにまで来たのに、なんで食材が全て消えてんだ?」
ふてぶてしく朝霧が呟く。
農業ビルとは、名前の通りビルの中に農業施設がある物である。地価高騰が騒がれる現状で畑や田んぼを都市部に作れないという理由から作られたらしいのだが、一般庶民から見ればビルの建設費用や維持費用の方が高くつく気がする。
ともかく、朝霧達は食料を買いに(もとい盗みに)農業ビルにまで来ていたのだが、食べ物という食べ物が全て消えていた。
そのため、なんの収穫も無かったうえに腹は一向に空くばかりという最悪の結果になってしまっているのである。
「神の領域の対象になるものは『無機物』と『有機物でも竜の力を持つもの』と決まっているんだけど……ビルのなかで育ってるんじゃあ、植物に竜脈が通わないから対象外になっちゃうんだよね……」
ファンは疲れた表情になりながらそう言った。
自然界には竜脈という天然物の竜の力が存在する。それは、地面から生えてる有機物──つまり植物に流れるのだが、ビルという無機物のなかで育っているのでは竜脈が遮断されてしまい神の領域の対象外になってしまう。
これはエレベーター内でスマホを使うと電波が無くなってしまうのと同じ理論である。
そのため、ファンと朝霧は食べ物を獲得することができず朝も昼も食べれていないという状況に陥っているのである。
高校生の身体をした朝霧ならともかく、ファンのような小学生みたいな身体で、朝昼を絶食するというのはかなり肉体的に厳しいであろう。
朝霧はなにかを食わせてやりたかったが、食わせられる物もない。最悪の状況と言って良いだろう。
「この街でビル以外に生えてる植物つったら街路樹くらいだしな……」
朝霧は、そんなことをポツリと呟く。と、同時に大通りの外側に堂々と生えている植物に目をやる。
が、さすがに街路樹を食べたいとは思わなかった。
「腹の足しになるかは分からないけど……チョコなら持ってるよ?」
そんな腹ペコ二人組を見かねた神宮寺は、救いの一言を口に出す。朝霧とファンはブン! と後ろに振り向き、澄んだ目をしながら……それでも口からはヨダレを垂らしながら『チョコをよこせ』と言わんばかりに神宮寺を見つめる。
ここまで血走っていると「てめぇらは山賊か!?」とツッコミたくなる。
ともかく、神宮寺はやれやれという視線を彼らに向けながら──、
「板チョコだけど、それで良けりゃ……」
「ぜひ頂きます!」
神宮寺がポケットから板チョコを出した瞬間、目にも留まらぬ早業でファンがそれを盗む。
まるで、ヒュン! という空気の裂ける音が聞こえてきてもおかしくないスピードだった。
「ちょっ……、コイツは頸動脈切る気なんですか!?」
神宮寺は、顔を引きつらせながら口の中でそう叫ぶ。
そんな神宮寺をよそに、山賊と化した朝霧とファンは仲良く半分にそれを分けると三十秒も経たぬうちに食べ終える。
包み紙まで食べそうな勢いの彼らに半分呆れ、半分哀れみの視線を神宮寺は送る。
「助かったぜ神宮寺」
「あ、あぁ。とりあえず食べ終わったんなら、駅に向うよ」
満足そうな顔した二人にそう告げ、神宮寺は駅の方向へ少し早めの速度で歩く。
一見、ハイキングかと思うほどのんびりしているが、実際は一刻の猶予も許されない状況だったりする。
それは、朝霧のいとこ──加奈子が迷子だったり、簡易結界の持続時間が十分だったりするという理由のためである。一応、朝霧やファンもそれらのことを知っているのだが、空腹という一種の悪魔がそれを忘れさせているのだろう。
「……にしても、静かすぎる」
と、唐突にフェイロンが口を開いた。神宮寺もそれを聞くなり小さく頷く。
「確かにね。さっきみたいにレーザーで高層ビルを倒壊して攻撃してきてもおかしくないと思うんだけど……」
この二人がそう言うのも、朝霧達への攻撃はあれから一回も無かったのだ。斑鳩の目的は分からないが、どんな手でも殺してやるという雰囲気だった彼がなぜ攻撃を止めたのか、というのは疑問点でしかない。
今のこの状況にしたって、大通りとは言え左右を高層ビルに囲まれた道だ。もし、先程のような倒壊が起きればタダでは済まないのは明白である。にも拘わらずレーザーの攻撃は一向に起きない。
少し嫌な予感と寒気が神宮寺を襲う。
──と、そのときだった。
バキィン!
突如、神宮寺の後方から金属を割るような音が響き渡る。と、同時に地面が揺れ出しコンクリートに亀裂が走る。
その様子はまるで地震を連想させるようなものだった。
神宮寺は、どうにか体勢を立て直そうとする。が、揺れが酷いため立つことすら叶わない。と、そうこうしているうちに──、
バキィン!
二度目の音が鳴った。今度は神宮寺のすぐ目の前から発せられたようで、音の大きさが最初のものとはまるで違った。けたたましい衝撃音のようなものが神宮寺の鼓膜を打ちつける。
と、その音に少し遅れて大きな揺れが起きる。コンクリートはついにその揺れに耐えきれなくなったのかドゴォォォ! と音を喚き散らしながら崩れ落ちる。
神宮寺は、落下しながら体制を立て直すと地面に着地した。
彼は、辺りを見回しそこが地下道だと推測する。
いつもなら無駄に明るく蛍光灯の光が充満しているそこは、神の領域のせいもあり真っ暗だった。二十四時間光がつきっぱなしの地下道では珍しい光景である。
そして、その闇に紛れるかのように潜む小さな人影が一つあった。
特徴的な金髪と、白を基調とした服が暗闇に浮かび上がり……だが、それでも存在感を放たないのが違和感を覚えさせる。
まるで、暗殺者のようにたたずむ斑鳩 澄也がそこにいた。
「やれやれ、めんどくさい真似を。まさかコンクリートを陥没させるとは思わなかったよ」
「おや、神宮寺さんに褒めていただけるとは。光栄です」
「ん? 勘違いされても困るんだよなぁ。君なんかとるに足りない相手なんだからさ」
神宮寺はニヤニヤと斑鳩を嘲笑う。その貫禄は、まるで高校生とは思えないものだった。
まさに余裕綽々と言った神宮寺の態度に斑鳩は苛立ちを覚える。
「もしかしてあなた……ご自分の立場が把握できてないんですか?」
「立場?」
「えぇ、今のあなた方は僕を倒したくても倒せないんですよ?」
「アハハハ、自意識過剰だねぇ。いやまぁ、君が世界一の能力者だということは認めるけどさ。けど……君と俺じゃ修羅場をくぐり抜けた数が違うんだよ。才能だけじゃ経験には勝てないことくらい分かるだろ?」
「知ったような口を利きますね。僕が経験不足とでも?」
「そうだよ。てか、わざわざ自虐しなくても良いのに」
クスクスと神宮寺は笑う。その笑いに反応するように斑鳩の顔がピクついた。
と、そんな二人のやり取りの後ろで朝霧とファン、ラハブ、フェイロンがやっと立ち上がる。
「痛ぅ……。ったくなんなんだ?」
「とっさでよく分からなかったけど……、多分、簡易結界の適用されない地下から地面を壊したんだと思う。と言うかそれ以外考えられない」
ファンが朝霧にそう応える。朝霧は、なるほどねぇと納得しつつ地下には適用されないんだな~なんてことを考える。
彼は少し考えた後、神宮寺と斑鳩の方に目を向ける。今にも殴り合いそうな雰囲気を醸し出す彼らに少し圧倒されながらも戦闘態勢に入る。
と、そんな朝霧に気づいた斑鳩が少し微笑む。
「契約者君。君のいとこ……確か名前は加奈子さんだったっけ?」
「あぁ、そうだけど……それがどうした?」
「いや、ね。僕を倒して術を解除すると……その子が危ないよ、ってだけなんですが……」
「て、てめぇ加奈子に何かしたのか!?」
「別にまだ危害は加えていませんよ。ただ、ロープで縛って線路の上に寝ころばせてますがね」
「線路の上? なんのために?」
そんな朝霧の反応を嘲笑うかのように斑鳩はクスクスと笑い出す。
「だから言ってるでしょ? 僕を倒して術を解除すると危ないよって。つまり、今僕を気絶させれば元の世界に戻り……加奈子さんは電車の下敷きにってわけですよ」
朝霧は言葉を失う。神宮寺も澄ました様子だったが、内心はかなり焦っていた。
形勢逆転。
まさにその言葉が似合う状況である。
この結界を解くには、斑鳩を気絶させなければならない。だが、気絶させれば加奈子の命が危ない。
例え、神宮寺のような秘密兵器があっても人質がいるのでは使うに使えない。
絶対的不利なこの状況をどう打開しようかと二人が思考を巡らす。と、斑鳩がその思考を邪魔するように口を開く。
「早くしないと、神の領域は日没と同時に解けてこの世界に閉じこめられちゃいますよ? まぁ、僕は召喚術で元の世界へと戻りますけど……。さて、どうします? 僕に抵抗せずに殺されてくれれば、加奈子さんは解放しますが……」
斑鳩のその言葉に朝霧は思わず舌打ちをする。と、その様子を見て斑鳩がニヤリと勝利を確信した笑みを浮かべる。
少しの沈黙の後、朝霧が口を開いた。もう既に──いや、聞かれたときから彼の答えは決まっていた。
「……悪いけど、俺は誰かが不幸になるようなバッドエンドは大っ嫌いなんだ。だから……加奈子を助けて、てめぇを倒す以外の答えなんてあるわけがねぇんだよ、このクソ野郎!」




