【第71話】噂の居候ちゃん
と、そのとき朝霧は何かを忘れているような気がした。なにか重大な……とんでもない危機感が、朝霧を襲う。
例えるなら、夏休みの宿題が最終日に終わってないかのような感覚だ。それほどヤバいという感じがした……そのとき──、
ピーンポーン
寮のインターホンが、突然鳴る。
現在の時刻は七時ちょい過ぎ。誰かが朝霧の家に遊びに来るのには、早過ぎる時間帯だ。この寮の管理人にしたって、出勤するのは八時そこらなので、管理人が来たとは考えにくい。
──では、一体誰が?
まさか、黒龍会の竜なんじゃ……。
朝霧は、いろいろな思考を巡らすが、答えにはたどり着かなかった。
そうこうしている間にインターホンは、再度鳴る。朝霧は、何者なのか確かめるため、音を発てないよう足と手を同時に出しながら、そーっと玄関まで歩いていく。いわゆる『なんば歩き』だ。
玄関まで行く頃には三度目のインターホンが鳴った。朝霧は、そーっとのぞき穴をのぞき込む……と、そこには、サイドポニーと赤みがかかった髪が特徴的な中学生くらいの女の子が立っていた。
その幼い少女を見て、朝霧は、変な危機感の正体にやっと気づいた。
(か、加奈子……!)
そう。それは他でもない、いとこの加奈子だった。加奈子は、ずっと朝霧が出ないことに腹をたてているのか少しムッとしている。
普段なら「ごめんごめん、寝てて気づかなかった」と出るのだが、部屋の中には下半身裸のファンがいるため、それも叶わない。
(──ヤバい)
朝霧は、声を出さずにジェスチャーで、ファンに『襖に隠れろ』と合図する。──が、ファンは、それに気づく様子もなく、きょとんとした顔でこちらを見つめる。
不幸が不幸を呼び、そんな可愛らしい仕草をファンがした瞬間、身体に巻きつけた毛布がズルリと、少し落ちる。
朝霧は、いろんな意味で荒くなる息を殺しながらジェスチャーを続ける。だが、ファンは気づかない。
どうしようかと朝霧が悩んでいるそのとき──、
「はやて、どうかしたの?」
なんの事情も知らない平和なファンが、唐突に声を出す。これが決め手となった。
外にいる加奈子が「はや兄? いるなら早く開けて~」と扉をバンバンと叩きながら騒ぎ出す。
このままでは、朝からうるさい住民として、またもや朝霧の知名度を上げてしまう。仕方なく朝霧は鍵を開ける。
と、部屋の中に小さな身体がスルリと、入ってくる。
「はや兄久しぶり! ずーっと、会いたかったんだから!」
「ちょっ……かな……っ!」
と、部屋に入ってきたと同時に加奈子は、朝霧に抱きつく。小さな身体が生み出した突進は、朝霧のライフを削り、そのまま後ろに倒し込む。
ドタンッ!!
大きな音がしたと同時にホコリが舞い上がる。加奈子は、無防備になった朝霧の胴体にスリスリとおでこを擦り付ける。
「……って、ちょっと!? なになに、どういうこと!?」
と、その様子を一部始終見ていたファンが、あまりのラブコメ展開の早さに追いついていけなかった。
だが、当の加奈子も目の前の少女の存在に戸惑っていた。
「え……? はや兄? あの小さな金髪の女の子は誰? てか、なぜに毛布を身体に巻きつけてるの?」
(最悪だ……)
朝霧は、心底そう思った。なんというか間が悪すぎたのだ。恐らく、浮気相手がバレた旦那の気持ちはこんな感じなのであろうと朝霧は思う。
だが、そんなことを考えていても、なんの解決にもならない。朝霧は理由になりそうな言葉を頭の中に広げるが、なに一つヒントにならない。
「……あ、もしかして噂の居候ちゃん?」
「へ?」
「いや~。修也おじさんが今日家を出るときやってきて『ハヤテの家には、既に先客がいる』って教えてくれたの。ちゃんと挨拶しなさいって」
「義父さんが?」
「うん」
助かった……。朝霧は壮絶な安堵感に包まれる。だが、それと同時に強い違和感と、疑問が生まれた。
──なんで、俺とファンが同居してることを知ってる?
まぁ義父が知っていたおかげで、今回の超絶ピンチ状態を抜け出せたわけなのだが……しかしそれでも違和感が残る。なにせ朝霧は、義父にファンのことを一言も言ってないのだから。
それに榊原と一戦を交えたあの日の、人づての忠告。あの忠告は、義父が国の裏側を知る人間だということを示している。ならば、竜のことを知っていてもおかしくないのではないだろうか。
疑問が確信に変わっていく。少し前まで平凡な生活を送っていると思っていた義父が竜というこっちの世界のことを知っていた。そう考えると、なんだか不思議で、変な恐怖心のようなものを感じる。
──いや、だからといって、なにが変わるわけじゃねぇだろ。
──なんにも心配なんていらねぇよな。
朝霧は、心にできた不安を打ち消すようにそう考える。




