【第65話】自首して……
結月は、工場の施設内を網のように入り組んでいる廊下を歩いていた。
廊下は、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれており、電灯が切れかかっているのか薄暗い。そのためなのか体感的には、とてもひんやりと感じる。
カツーンカツーンと、足音を響かせながら転ばないよう、ゆっくりと歩いていると、目の前に小さな……けれども強い光が見えてくる。
結月は、一瞬でそれがなにかの部屋の光だと直感する。
光に近づくにつれ、その光の方からカチャカチャという、キーボードをたたく音が、聞こえてくる。
(人がいる)
結月は、少し足早に向かう。音がどんどんと大きくなるのと同時に結月の緊張も高まっていく。
結月は、部屋の前にまで来ると、そーっと恐る恐る部屋を覗く。
部屋は、廊下と同様、打ちっぱなしのコンクリートに囲まれた部屋で、中心に培養機のようなものが置かれている。
部屋の奥には、大きなスクリーンとキーボードがある。スクリーンには、数字やアルファベットが大量に並んでおり、なにか物々しい雰囲気を感じる。
そして、そのスクリーンの前に目的の男は、立っていた。
男は、おそらく爆破されるはずだったこの工場に残っている、自身のDNAマップのデータなどを消しに来たのだろう。
結月は、目を凝らしながら男を見ると、男の右手には、なにかの武器のようなものが装着されているのが伺える。それは、映画などに出てくるサイボーグを連想させる。
男は部屋を覗く結月に全く気づかない様子で、カチャカチャとキーボードをたたき続ける。
「なにやってんのよアンタ……」
結月は、そんな男に話しかける。カチャカチャというキーボードの音が止まり、静寂が部屋に訪れる。
と、同時に男は少しビクッとしながら、後ろを振り向く。その男の顔は、やつれていて栄養が足りてないようだった。
結月は、その男をよく知っている。それも、いやというほど……。
研究員としての実績を持ち、講師にもなった男。
ある実験を境に『狂気に満ちた研究者』という異名をつけられた男。
実の娘を実験台にした非情なる男。
まだまだ知っている。全て書いたら、それだけで書籍を出版できるのではないかと思うほどにだ。
男は、結月を見るなり、少し驚いた顔をする。だが、それと同時によく分からない顔になる。
それは、まるで『悪事が親にバレた子供』のような顔だ。
「な、んでお前が……」
そして、男は──健吾は、弱々しい声で結月に話しかける。もうそこには結月の知っている父の威厳はなかった。
「なんで? それはこっちのセリフよ! なんでスキアーなんてもんに入ってんのよ!」
「な、なんのことだ?」
「とぼけないで!」
結月のそんな怒鳴り声が、部屋に沈黙を呼ぶ。その沈黙は、数秒間続いただろうか。
すると、健吾が口を開く。
「あぁ……そうだよ。確かに俺は、スキアーに入ってる……。国のために実験を行ったし、そのために人を何人も殺した」
健吾は、そう冷静に言う。それは、まるで小学生が日常であったことを親に話しているような……そんな感じのものだった。
結月は、そんな健吾の言葉を、口調を理解できなかった。と、言うよりも理解したくなかったし、気に入らなかった。
人を殺したことをあたかも普通のことだと言わんばかりのその態度が気に入らなかった。
「ふざけないで……。なによそれ。いつからアンタは、殺人までするようになったのよ!?」
「俺だってしたくてやったわけじゃ──」
「じゃあなんでしたのよ! それが科学者? 笑わせないで! そんなものは、殺人鬼と変わりないじゃない!」
「結月。それは違う。薬などで、人を守るためには犠牲が必要なんだ……。だから仕方がないことなんだよ……」
「なによそれ……。人を守るためという理由で、罪もない人間を殺して良い理由にはならないでしょ! そんなのは、ただの綺麗事じゃない!」
結月には、もう一人よく知る男がいた。
その男は、ある一人の少女を守るために命がけで戦いを挑んだ。呪いにかけられていたこともあるし、殺されかけたりもしていた。
けど、そのために生きてる誰かを殺したことなどない。むしろ逆だ。
例えば、瀕死状態に陥ってしまった敵である海龍を竜石で生き返らせると言ったファンを止めたりなどしなかった。
だが、目の前の男は違う。必要のためならば、目的のためならば人を殺し、それを正義とはき違えてる残虐な人間に他ならない。
だから結月は叫ぶ。アンタなんか科学者でもなんでもない、と。
「…………」
男は黙り込む。なにか大事なものを失った表情をしながら……。
「自首して……。」
結月は、そう優しく語りかけるように話す。
目の前の男は、父親ではなく冷徹な犯罪者に他ならない。だが、結月は、それでも父親に変わりない健吾を自ら逮捕したくなかった。
だから結月は自首をしてほしかった。




