【第63話】ヒーローごっこ
だが、朝霧は迷ってなどいなかった。朝霧は、気がつけば、銭湯へと走って向かっていた。
朝霧は、銭湯の近くにある入り口以外の場所から、工場のある裏道へ入る方法が分からなかったからだ。
大通りという手もあるが、今いる場所からでは、銭湯に向かった方が速いと朝霧は、踏んだ。
──チッ。死ぬんじゃねぇぞ! 結月!
朝霧がその一心で走っている少し後ろには、ある人間が身を潜めていた。男は、朝霧を睨み続けながらその背後を追う。
が、朝霧はそんなことを知る由もなかった。
朝霧が街を疾走してる頃、結月は第三特別区クローン研究開発所にいた。
出入り口は開いており、なんの警戒もしてないように見える。が、それが結月の恐怖心を煽った。
「……と、とりあえず工場の研究室のどこかにいるはず……」
結月は、そんなことを呟きながら工場の敷地内に足を踏み入れた。その瞬間、結月に水の槍のようなものが、襲いかかる。
いきなりの攻撃だったが、結月は怯むことなく水を焼き尽くす。水はジュッと、音を発しながら一瞬のうちに蒸発する。
「誰? 見たところ水流操者って感じみたいだけど……」
結月が見えない何者かにそう聞く。すると工場の方から「ご名答よ、お嬢ちゃん」という声が聞こえてくる。
声の高さは、少しおばさんのような感じがする。だが、一般的なおばさんと違い威勢の良い、活気あふれる声であった。
「で、あなたも明自党なわけ? ついでに言うとスキアー……だったっけ?」
「あらあら。あまり幼い子が闇に深入りしちゃだめよ?」
「余計なお世話よ。いいから私の質問のみ答えて。父さんは……健吾はここにいるのよね?」
「そうねぇ。……って答えるとでも、思った?」
と、そこで結月は工場の中からとんでもない殺気を感じ、少し後ろへと下がる。
これが命運を分けた。
結月がさきほどまで立っていた場所に水でできた“斧”のようなものが左右から挟み込むように襲いかかる。
おそらく高水圧で金属さえも切断できるような代物なのであろう。その証拠に地面が削られていた。
地面は、コンクリートでできているのにも拘わらず、地割れでも起きたかのようにパックリと割れている。
結月は、それを見ているうちに段々と、背筋が凍りついていくのを感じる。
「……チッ。めんどくさい相手ね!」
結月は、右手の周りに炎を出現させ、それを渦巻き状にする。
出現した炎……いや、烈火は腕を中心としてグルグルと渦巻く。例えるなら、台風や竜巻を真上から見たような感じであろう。と、結月はそれを振り回すように動かし、見えない敵へとぶち当てる。
なにか、引火しやすいものにでも火がついたのであろう。工場のなかで爆発音が聞こえ、煙が辺り一帯に立ち込める。
だが、結月は手応えを感じられなかった。なんとなくだが、今までの経験からそんな気がしたのだ。
そして、それは現実へと変わる。
「──っ!!」
見えなかった敵は、炎や爆風など全て水で遮断したのだろう。
なぜそんなことが分かるのか。
なぜなら、爆発でゴチャゴチャとなった工場内部から茶髪で、見た目四十歳ほどの女が“無傷”で出てきたからだ。
「この、クソガキ……。てめぇ今のはスキアーに喧嘩を売ったとみなして良いんだよなぁ!?」
女は出てくるなり、喧嘩口調で結月に話しかける。おそらくこれが最後通告といったところであろう。
が、結月にはもう決心がついていた。いや、ここにくる前から、だ。
「望むところよ。アンタ達みたいな人間が……健吾が、何人も実験と称し人を殺してるのは分かってる! だからそれを止めるの! それが娘である私の責任なの!」
「ヒーローごっこしてんじゃねぇぞ! てめぇみたいなガキ1人で、この国の闇を……陰謀を止めるなんざ無理に決まってる!」
女の言い分は、正論だ。
確かに公安委員会の委員長をやって、Sランカーであって、五大能力者だとしても、高校生であることに変わりはない。
高校生という身分で、強大で巨大な国の陰謀など止めることは不可能だ。
……けど、だとしても……。
「それでも私はやると決めた。それが私の責任だから──っ!!」
結月は、そう言うと同時に右手から炎を勢いよく出す。
辺り一面が炎のフィールドへと変貌する。それは、朝霧との戦闘で見せたものだった。
「クソガキ。この世界は必ずしも正義が勝つとか思ってんのか? 私はなぁ、てめぇみたいな反吐がでるような奴らを幾度となく見てきた。けど、どいつもこいつも血に沈んでいった。お子様のヒーローごっこなんて止めちまえ!」
女は、能力を使おうと右手を結月に向ける。
──が、何も起こらない。
な、なにが!?
女は能力が使えなくなったことに驚き、完全に動きが止まる。
なぜ使えなくなったか。それは、結月のとっさの機転が起こしたこの戦況が要因である。
女の能力“水流操者”は、その名の通り、水流を操作する能力。それは空気中の僅かな水分を利用するわけなのだが……。
「煉獄火炎。聞いたことくらいあるでしょ?」
煉獄火炎とは、結月の戦闘スタイルとも言えるものだ。炎のフィールドを作り出し、空気中の水分を“蒸発”させる。
つまり、女の能力はこれを境に“このフィールド”では、完全に使えなくなってしまったのである。
そしてもう1つ、副産物のような形で、結月に形勢がとても傾く。水分というのは、人間のバランスを司る三半規管視覚と深く関係している。
結月は、日頃のトレーニング(人体改造)によって炎の耐性がついているので問題はないが、常人であれば『バランス感覚』を失わせるほどになる。出力を上げれば立っていられなくなるであろう。
「煉獄……火炎!? て、てめぇ公安委員会の……!!」
結月は、女が言い終わる前に腹に打撃を入れ込む。と、女はバランス感覚を失っているからか、それとも単に腹に加わった衝撃が強かったからか。とにかくそのまま、その場に倒れ込む。
公安委員会で習った武術がこういう風に役に立つとは……と、結月はふと思う。
「さて、工場に入るとしますか……」
結月はそうつぶやくと、工場内へと入っていく。




