【第58話】彼女が来たワケ
「……ってなんか臭っ!!」
「ふにゃ? あっ……! お魚が焦げちゃってる!!」
結月の異常行動に気を取られていたためか、ファンは魚を焼いていることを忘れたようだ。リビングにまで焦げた臭いが充満したため健二が思わずベランダの窓を全開に開ける。
「健二……ナイスだ……」
あまりの臭いに朝霧は、本日二度目の気絶をするところだった。
まぁ狭い家で料理を焦がしてはならないという教訓ができたと思えば良いか……と、朝霧は涙目になりながら、そう思う。
「はやて……お魚はちょっと食べれない……かな」
台所からそんなファンの落ち込んだ声が聞こえてくる。まぁ大体予測はしていたが……。
「まぁそうだろうな。別に気にすんな。また作ってくれればそれで良いから」
ファンに悪気はないんだ。グチグチ言っててもしゃーねーだろう。朝霧は、そう考えながらファンを慰める。
「う、うん。それとフライパンも使えない──」
「おい。ちょっと待て。どんな使い方したんだ?」
「え、えっと……結月さんが『火力が弱い』って言って能力を使ったんだよね……ってはやて!? なんで放電しながら立ち上がろうとしてるの!?」
「ハヤテ! フライパンなら買ってやるから落ち着け!」
「健二。止めるな! 結月をいっぺんど突かないと気が済まない!」
ファンに悪気はない。それは確かだが、結月にはバッチリ悪気があるようだ。そんなことを考えている間に朝霧は、今までため込んでいたイライラが頂点へと達する。
フライパンって結構高いんだぞ! あの野郎!!
「健二! はな、せ?」
と、そこで朝霧は身体に力が入らなくなっていくのを感じる。そのまま起き上がっていることすら難しくなっていき、ついには後ろから布団に倒れる。
「ん? ハヤテ? どうかしたのか?」
「い、いや。身体に力が入らなくて……」
そんなやりとりをしている間にも朝霧の身体の力は抜けていく。
そして突然、意識が朦朧としだした。
ファンが心配そうに何かを話しかけるが、朝霧にそれが伝わることはなかった。代わりに、電子音のような不愉快な音が延々と響き続けていた。
これだけでも最悪なのだが、変化はこれで終わらない。次第に視界も悪くなっていき、ファンの顔がボンヤリとしてくる。
とうとう視界は白いモザイクに覆われ、まったく見えなくなった。
オレ──シヌのか?
そんなことを考えたところで彼の意識は途絶えた。
「はやて! どうしたの!? ねぇってば!」
「と、とりあえず救急車を──」
「その必要はありません」
ファンと健二の二人が混乱に陥っていると、唐突に女の声が響き渡った。それも、誰もいないはずのベランダからである。
急に現れた、誰か分からぬ女の声に、健二はビクリと跳ね上がったが、その隣にいたファンは大して驚かなかった。彼女はその声に聞き覚えがあったからだ。
ファンは、その女の容姿を思い浮かべながら、ベランダの方を向く。すると、思った通りヴィシャップがベランダに立っていた。
「ファンロン様。お久しぶりです」
「ひ、久しぶり……」
ファンは、様づけされるのが少し照れくさく、俯いた形で受け答えをする。傍らでそのやり取りを見ていた健二は、つい先日会ったことのある女性だということを思い出した。とはいっても、会ったのは一瞬で声はおろか顔さえハッキリは覚えていなかったのだが。
「で、まぁあんたがなぜベランダにいるのかってのは置いといて……救急車が必要ないってどういうことだ?」
健二がヴィシャップにそう尋ねる。
「そうですね……。今から言うことを信じてくれるのならお教えします」
「OK。俺、バカだから法螺話だろうがなんだろうが信じられる自信がある」
「分かりました。全て話すと長くなるので端おりますと、こちらのファンロン様は竜王様のご令嬢で、つまるところのドラゴンです。そして朝霧という男はファンロン様の契約者。故に彼は、電撃を放ったり暴風を巻き起こしたりすることが可能でして……」
健二は、ここで『無能力者なのに放電ができたわけ』が分かった。だが、竜がなんたらかんたらと言うのは、普通の人間にとって、あまりに理解に苦しむ。そう、普通の人間なら──、
だが、健二の住む世界からすれば、そんなものはあってもおかしくないものだった。と、言うのも健二は、妖怪やら竜やらという類のものに、昔から縁があった。
だからこうして目の前にいる女──ヴィシャップの話を動揺せずに聞き取れる。ただやはり、全てを理解するのは無理なのだが。
ヴィシャップは説明を更に続ける。
「ですが、竜の力は人間にとって有毒なもの。ずっと竜の力を引き出していれば、毒素のようなものが身体に溜まり続け、やがて死に至ります」
「だ、だったら尚更病院に……」
「この世界に竜の力を無効化できる物質はありません。病院というものがどういう場所かは知りませんが、絶対に無駄足しに終わると断言できます」
「だったらどうすりゃ良いんだよ」
「ですから、私がそれを解決しに来ました。この竜のウロコを原料にした薬を使えば助かります」
「え、それだけで良いの?」
健二はことの重大さと解決方法の軽さに追いついていけなくなり、目を丸くする。しかし対してヴィシャップは平然としながら「はい、それだけです」と頷くばかりだった。




