【第41話】渡る世間はとても狭い
蒸発したゾンビの腕に唖然としていた朝霧だったが、水やりの仕事を思い出しジョウロを玄関から持ち出す。庭の隅にある水道から水を注ぎ家庭菜園まで持って行く。
「はぁ……この国は、なんでもありだな」
そんなことを呟きながら野菜に水をやっていると「結月さんのお兄さんですか?」という声が正面から聞こえてきた。顔をあげると、そこにはまだ中学生であろう女の子が、こちらをのぞき込んでいた。
少女は、その体に釣り合わないほどの大きなボストンバックを持っているのが分かる。
「お、俺か?」
「えっと……むしろあなた以外に誰かいますか?」
いや、確かにこの子の言うとおりだが……なにか腹がたつ。が、その少女のあまりに可愛い容姿から朝霧の苛立ちは、みるみる消えていった。朝霧は、自分でもロリコンなのではないかと怖くなる。
まぁ、ファンのことも考えると正真正銘のロリコンなのだが……。
「あ、いや、兄じゃないよ。俺は、結月の幼なじみの朝霧疾風。よろしく。君は?」
自分のロリコン疑惑を晴らすべく無難に返す。いや、別にこの少女にロリコンと疑われたわけではないが、少し怖くなったからだ。
「私は篠崎 楓と言います。中三で、結月さんの友達です。まぁ友達と言っても夏休みとかにたまに会っていた程度ですが……幼稚園からのつき合いなんです」
「あいつの友達か……。そうだ……昔の結月ってどんな感じだったん?」
「初対面の人間にそれを聞きますか……。気をつけないと変な人と思われますよ?」
楓は、呆れ顔──というよりはジト目に似た目で朝霧を見つめる。なんだろう。新たな性癖に目覚めてしまいそうな自分が、とても怖い。
「あの……不審者でも見るかのような目で見てくるの止めて……」
「冗談ですよ。昔の結月さんですか? うーん……そうですね。強いて言えば、強がりで負けず嫌いで……」
「欠点だらけな気が……」
「でも運動はピカイチで、私が野良犬にイジメられた時は助けてくれてたりして……」
昔から男勝り──いや、正義感が強かったわけか。
──そういや昔、朝霧の住む家の近くに野良犬が頻繁に出現することがあった。そのときも野良犬にイジメられてる他の女子を助けに行ったりしていたっけ。
朝霧は、そんな小学生の頃の記憶を思い出す。
「まぁ、あいつらしいな……。そういや結月に用か?」
「いえ、お母さんにおばあちゃんに挨拶してきなさいって言われたので、この村に来ただけで……って結月さん帰ってたんですか!?」
「帰ってきてるよ。多分今風呂だろうけど。桜さんなら家の中にいるし、結月とも会えると思うぞ」
そこまで言うと、楓は人の話など聞く耳を持たないかのように話の途中で家の中にすっ飛んでいった。
「…………さて、水やり終わったし俺も家に入るか」
朝霧は、無視されたかのような気持ちに襲われ、少し落ち込んだ。水を全てまき、軽くなったじょうろをクルクルと回しながら玄関へ歩いていく。朝十時にもなると日差しは強くなるもので、額から汗がこぼれ落ちるのを感じる。
玄関の扉を開き家に入ると、廊下の奥の居間から女子の話し声が聞こえてきた。居間まで直線の廊下を歩いていくと、声が更に大きくなる。
どんだけ大きな声で喋ってんだよ……。
居間と廊下をつなぐ扉を開く。クーラーが効いており、寒く感じるほど涼しい。
「桜さん。終わりましたよ~」
「ありがとねぇ」
「ハヤテがやっと戻ってきた……。じゃあそろそろ帰るね」
結月は、朝霧を見るなりそう言う。休ませてはくれなさそうだ。
「もう行くのか。体に気をつけるんじゃぞ」
「もう子供じゃないんだから分かってるって」
そう言うと、結月は横にいた楓に「じゃあ行こうか」と言い玄関へと歩いていった。朝霧も桜や重信に礼をして、玄関へと歩いていく。
結月のおじいちゃん家からバス停まで歩いていくと、見たことのない男が立っていた。身長は朝霧と同じかそれより低いくらい。また整った顔立ちをしている。
恐らく高校生であろう。
「遅いぞ楓。にしても高校と中学を転入しただけなのにわざわざ婆ちゃん家に挨拶なんて大袈裟だよな……って、そちらは?」
「こちらは結月さん。私の友達。他の方々は結月さんの友達で……」
「なるほど」
「えっと……ちょっと素朴な疑問を投げかけて良いかな?」
朝霧は、この男に会ったときから思っていた疑問を聞こうとした。その疑問というのは、男がボストンバックと一緒に持っているバックなのだが……。
問題は、そのバックについているエンブレム。
「そのバックって黒崎学園のスクバですよね?」
そう。そのエンブレムは朝霧にとって見覚えしかない黒崎学園のエンブレムだったのだ。
「ん? そうだけど」
案の定、男の返答は思った通りであった。
世間って思っていたより狭いんだな。




