【第2話】竜王の娘は罵倒をしてくる
光が散らばり終わる頃には、朝霧から現実感は消え失せていた。だからだろうか。卵から産まれてきた竜(?)が十歳くらいの少女に姿を変えたことを、なんの疑問も持たずに受け入れてしまったのは。
少女は、一言で言えば可憐だった。サファイアのような碧眼に、光を束ねたかのような金色の髪。そんな髪に照らされるかのように、雪のような白い肌が強調され、幼さのなかにも威厳がある顔立ちをしてるのが分かる。
だが少女は、そんな容姿には似合わないほどホコリまみれでボロボロの服を着ていた。この美少女×貧乏服というシュールな組み合わせは、世界中を旅してもなかなか見かけないであろう。
と、あまりの現実感の無さに考えることを停止した朝霧は、その可愛らしい少女の姿に釘付けになっていた。が、ふと我を取り戻し──、
「えーと……どちら様? ってかそもそも人間?」
朝霧は、そう問いかける。
最後の『人間?』という言葉は失礼かもしれないが、目の前の(食おうとしていたが)気色悪い卵が孵化したかと思えば産まれてきたのは竜で、しかも金髪碧眼の幼い少女に姿を変えました。なんて、どこのフィクションの世界の話だと、思うのが常人の反応である。
それにいくら超能力が解明された世界とはいえ、竜を作るような技術は聞いたことがない。つまり、竜はユニコーンなどと同じ架空上の生き物に過ぎない。
そんな朝霧の考えに反して少女は応える。
「私はファンロン・バルゼ・バハムート。王家の娘よ。契約したくせにそんなことも知らないの?」
少女の返答は、明らかに嫌味混じりのものであった。
だが、そんな少女の返答に、朝霧は「確かに見た目外国人だから、それなりに名前が長いとは思ってたが……予想以上だ」という感想しか出てこない。と言うのも、彼はとある人物から日常的に罵倒されているので、『嫌味』が『嫌味』でなくなってるのである。
だからと言ってドMでもないのだが──、
まぁ、何はともあれ人間の名前のようだし変身能力者なのだろうか、と朝霧は結論づけようとしたが、最後の契約という言葉に引っかかりを覚えた。
「ちょっ、待て。契約だ? 俺はお前なんかと契約した覚えはねぇぞ」
朝霧は、この言葉のとおりそんなことをした覚えが全く無い。
なぜなら今している会話こそが、この少女との“初めての会話”だからだ。もし、会話なしで成立する契約があるとすれば、それは『違法な羽毛布団のセールス』に違いない。
しかし少女は不服そうに、こちらを見てくる。
朝霧は、なぜに身に覚えのないことを言われ睨みつけられなければならないのか少々疑問に思う。
だが──。
「嘘つき。私が卵だったとき血を捧げたでしょ?」
少女の言葉に数秒経ってから、朝霧はハッとした。
そういえば、ヤンキー達との戦闘で、負傷した右手で──つまり血だらけの右手で卵を掴んだ気がする。
にしてもそれで契約?
朝霧は、まだ意味が分からなかった。そんな朝霧の心を見透かしたように、少女は話を続ける。
「ほんとに何も知らないんだ。竜と人間は古来から、このようにして契約を行ってきたの。例えば竜を祀る神社とかあるでしょ? あれも契約者が竜の力を制御するため神社を建て祀ったのが始まりなんだから」
確かに竜を祀る神社は知っている。
隣町には竜宮神社というものがあると聞くし、そのような言い伝えは山ほどある。
だが、まだ話を呑み込めない。竜なんて、ユニコーンなどと同じ創作上の生き物。そんなものが実在していたことを信じろなんて、『空の向こうには天国がある』ということを信じろと言ってるようなものだ。全く持って信じられるはずがない。
「あのなぁ……、確かにさっきまで卵の姿をしてて、産まれたときも竜の姿をしてたみたいだけど、竜なんて幽霊みたいにオカルトの世界の話だろ? どうせ、変身能力かなんかで俺を騙そうとしてるんだろうが……ってか、なんでお前俺を騙そうとしてんだよ」
朝霧は自身の中の正論をもってして反論する。だが、少女はまるでバカを見るみたいな目で見てくる。なにか間違ったことを言っただろうか。
万年バカをやってる朝霧でも、こればかりは正論だと思っていた。なぜなら科学的に証明されていないからだ。
科学で超能力も作れる今の世の中で『幽霊は実在する!』などと言えば異端者扱いされる。竜だって同じことだ。
「ほんとバカ」
だが、少女の意見は全く変わらない様子だった。そのうえ、『バカを見るような目』ではなく『バカを見る目』だったようだ。
朝霧は、明らかにSな少女に圧倒される。
だが、なんだろう。このように罵倒してくる人間は小さな頃から知っている。中学高校に上がってからは、それこそ山のように知り合った。だからこそ罵倒してくる奴の雰囲気を感じ取れる。
だが、今のこの少女にはそれが感じられない。まぁ今気にすることではないのだろうが──、
「オカルトもなにも、幽霊も竜も実在するんだよ。まぁ幽霊というよりは悪魔だけど……。悪魔と天竜は対をなす存在だし」
少女の声に、朝霧は思考を戻される。オカルトや都市伝説を聞かされていて少しウンザリとしているためか、意識が違う方へ違う方へと飛んでしまうのだ。
とは言え、とりあえずだが今少女が言ったことは聞き取っていた。しかし、そうであっても訳が分からないことに違いない。
悪魔? 一昔前の漫画やアニメのテンプレじゃあるまいし……そんなもの存在するはずがないだろ。
朝霧は、固定観念というか……それが常識と思っているため素直に受け入れられない。だが、今それを否定すれば、また罵倒されるのがオチだろう。朝霧は、適当に少女の話に合わせようと考える。
「えーと……。つまりお前は竜なんだよな? 分かった分かった。んじゃ契約なんてしたくねーからさっさと解約しやがれ」
そう。これ以上竜がいる、いないで論争していても仕方がない。契約などという嫌な予感しか感じさせないものさえ解ければ、もうそれで良いと思った。というよりも、このオカルト少女とあまり関わりたくないと言った方が正しいのかもしれない。
そんな朝霧の心情を知る由もない少女は、次の瞬間、呆れた顔になった。
「それが出来てればとっくにしてる」
「はぁ? もしかして出来ないのか?」
「だからそう言ってるじゃない。……竜の力も使えなさそうだし、役立たず……」
ここまで罵倒してくるとは……ドSか? 俺はMじゃないぞ、まったく。朝霧はそんなことを思うが、やはり罵倒専門職特有の毒のようなものを感じ取れないため調子が少し狂う。
「はぁ……。まぁこれ以上話されても訳わかんねーしな。とりあえず帰るとするか……」
体を起こし立ち上がる。まぁ、帰るにもこの少女をどうにかしなければならないのだが……とりあえず走って逃げれば撒けるだろうと朝霧は考えた。
と、ここで朝霧は自身の身体のある変化に気がつく。
ん? 体が痛くない……?
全身を蹂躙されるような痛みが消えていた。それどころか血も止まっている。病院に搬送されてもおかしくない出血だったのに、だ。にも拘わらず、出血はきれいになくなり、かさぶたさえも無かった。
なにが起きたんだろうかと、朝霧が不思議そうに自分の手足を見る。人間の治癒力を軽く凌駕することが自分の身に起きているのだから驚くのは当然だ。だが、朝霧が本当に驚いたことは次の少女の言葉だった。
「え……? あぁ……竜の力が身体を通ってるみたいだね。あれ? てことはまるきり使えない訳じゃない……?」
少女はそう言った。聞き間違いでもなんでもない。確かに少女はそう言ったのだ。
竜の力……?
ホントにそんなものが?
人間、いくらあり得ないことでも実際に起きてしまうと案外簡単に納得してしまうらしい。朝霧は身体中を見回しながら言葉を失っていた。
そして、目の前の少女が本当に竜なのかもしれないと、真剣に思い始めていた。とはいえ、まだ多少の混乱はあるのだが。
しかし朝霧の混乱などよそに、少女は少しだけ頬を緩めて言う。
「なら決まりね。今日から貴方は私の契約者。もちろん、文句は無いよね?」
──へ?
突然の契約者宣言に、朝霧は呆ける。混乱が重なって、もうどう思考すれば良いか分からなくなった。
そうこうしていると、少女はむくっと膨らみ言葉を紡ぐ。
「ほら、呆けてないで住処はどこ? 案内してよ」
──住処へ案内しろということは、つまり同居しろとでも?
──いやいや、出会ってまだ数分の男と同居したい?
──常識的に考えてそれはないよな。
朝霧は少女の言葉の真意を考える。しかし現実的な答えは出てこない。
そうこうしている間に、少女は言葉を続けた。
「ほら、早く私の住む家を見せてよ」




