宰相と兄(150万PV達成記念)
150万PV達成記念です。あの兄弟のお話です。
「リヒト、貴方、リドから預かった布をまだローズに持って行ってないって本当なの?」
王都にあるティターニア公爵家の屋敷にあるリヒトの私室の扉をノックも無く開けたのは、薬師ギルドの長をしている兄だった。兄、と言っても外見は姉だ。物心ついた時にはもう女装をしていたので、兄だけど姉という姿に違和感はない。
珍しく自室のソファーでだらっと横になっていたリヒトは、兄に会った時には必ず文句の一つでも言おうと思っていたのだが、扉を開けた瞬間に放たれた言葉がずんっと響いた。
「その様子だと本当のようね。おバカさんねぇ、いつまで自分は年下だっていうのを気にしてるのよ。1歳しか違わないんだから、全く気にする必要はないのに」
「兄上…兄上はいいですよね。エルローズと一緒に学園生活を楽しまれていましたし…。女友達みたいに買い物とか一緒に行ってるし……、今でも一緒にお出かけしてるんでしょう。ヨシュアから聞いています」
これが本当に王国の宰相かと疑うくらいポンコツだ。
アヤトとエルローズは服装における意見の相違はあるものの、基本的には女友達みたいな関係だ。そこに恋愛感情は一切無い。弟の想い人で、エルローズもリヒトのことを想っているのは知っている。両片思い、というやつだろう。どっちかが素直に告白さえしていれば、今頃子供の1人や2人くらいは余裕で生まれて、こっちは伯父生活を満喫していたはずだ。それがタイミングを外しまくった結果、エルローズの方は世間的には行き遅れという年齢になった。
この国の貴族の女性は、20歳くらいで結婚する女性が多い。
25歳を過ぎれば口の悪いうるさ方が色々な噂をばらまくのだが、エルローズに限っては人気デザイナーで彼女の機嫌を損ねてドレスを作ってもらえなくなった場合、社交界で笑い者になってしまうのでそんな噂は広がっていない。彼女のすぐ上の兄で家督を継いだ方がエルローズのことをものすごく可愛がっているので、そちらの報復も怖い、というのも有るかも知れないが、社交界でエルローズの話はある意味タブーになっている。
エルローズ絡みで唯一支障がない話はドレスのことだけだ。
さらに言えば、一部の人間はエルローズがリヒトの想い人であることを知っているので、リヒトの為にもエルローズ関係の悪い噂話は徹底的に潰している。そうじゃないとリヒトが直々に出張ってしまうのだ。
「どうしてローズに会いに行かないの?」
「だって兄上…もし受け取ってもらえなかったらどうするんですか」
「リドがお土産を渡しに貴方が来るって言ってるんだから、そのまま行きなさいよ。何なら、今すぐにでもローズの家に行ってもいいのよ。10日くらいなら当主代理でも何でもしてあげるわよ」
理由がへたれ過ぎる。なんで受け取ってもらえないかも、なんていう有り得ない疑心暗鬼に陥っているのか、全く以て理解不能だ。今からエルローズの家に行って、布を渡すついでに心も渡してこい。そのまま2、3日帰って来なくても問題ない。お泊まりでも何でもしてくれば良い。結婚前だろうが何だろうが既成事実の一つでも作ってみせろ。そうなった場合は、心の底から褒め称えて最速で結婚式の用意をしてあげよう。
「その頭の中に詰まっているのは何なのよ。どうしてローズの前でだけ何も言えなくなるの?貴方の思考回路が謎すぎるわ」
「誰かを本気で好きになったことの無い兄上には理解不能でしょう」
「あら、失礼ね。私にだって好きになった人はいるわよ」
アヤトの言葉にリヒトが本気で「え…??」という顔をした。
この弟は兄を何だと思っているのか。感情の無いお人形とでも思っていたのだろうか。アヤトだってちゃんと誰かを好きになる機能は持ち合わせている。
あと、宰相のくせに顔に出過ぎだと思う。まぁ、ここは家なので抑える必要もあまりないから良いが、外では気をつけないと。
昔から弟の面倒を見てきたアヤトのオカン的思考はともかく、リヒトは本気で驚いていた。
あの兄が。昔から本心なんて綺麗に隠して他人をからかうことに全力を注いでるように見せかけて、実はものすごく冷めた目で回りの状況を見ていた兄が。本気で誰かを好きになるなんてことが有り得るんだ。
「…兄上、熱でも?」
「弟よ、兄に対して本気で失礼ね」
「だって兄上、周囲全部、手駒じゃないですか」
「本当に失礼な子ねぇ。そんな風には……思ってた時期もあったのは認めるけど、今は全然違うわよ」
確かに若い頃はそう思っていた時期もありました。物事全てが自分の思い描いた通りに動いてくれていたので、調子に乗っていた時も有りました。
「私や貴方、それにリドみたいに頭の中で考えているだけの策略家タイプは、本能で動く人には負けるわよ。だって、こっちが思っている通りに動いてくれないんですもの…。私が好きになった人もそういう感じの女性よ」
「…女性、なんですよね」
「女性よ。言っておくけど、私の服装は趣味よ」
「あ、はい」
この兄と並んだら恋人というよりも女友達にしか見えない気がする。
「ちなみにその女性とは…?」
「そういえば人の事は言えないわね。私ももう長いこと会っていないのよ。ちょっと若気の過ちがあってそのまま見事に逃げられたわ。ティターニア公爵家の影を使っても追い切れなくて…失ったかと思うと気が気じゃ無かったわね。ようやく見つけた後は、私と会いそうになると隠れて出てこなくなったから、もう自然に任せようかと思って。私がいくら偶然を装って会おうと思っても向こうは本能で逃げていくのよ。だからもう下手に考えないで、神頼みに任せてるわ。そのおかげか、ちょっとセレスちゃん経由でばったり遇えそうな気がするのよね」
いつも自信に溢れている兄のちょっと気弱な表情を初めて見た。この兄にここまでの顔をさせるほど本能で逃げまくった女性がすごいと思う。それを思えば、ローズは居場所もしっかり把握しているし、本能タイプでは無いので隠れても探し出せる気がする。
「兄上はその女性と遇えたらどうしますか?」
「まずは謝るわ。それから誠実に彼女と向き合うつもりよ。それと次の約束。それを取り付けないと、すぐに逃げられそうだもの」
下手に考えないで神頼み、と言っても再会してから先のことはしっかり考えているようだ。
「私のことはともかく、貴方はせっかくローズに堂々と会えるんだから、ちゃんと会いに行ってあげて」
「…はい……」
そう言われても実際、エルローズを目の前にしたらうまくしゃべれない自信はある。
それにしても飄々としている兄がそんなに一途で、長い年月、同じ女性を想い続けているとは思わなかった。案外、似た者兄弟だったんだな、としみじみと思ったのだが、兄に再会した時の女性をちょっと気の毒には思った。
兄上、もう逃がす気ないですよね……。




