08 女神と【月の覇者】。
8話9話、連続更新。
「だぁかぁらぁ、ありがとう! 君がこのゲームに感覚をくれたってことなんだろ?」
ニコニコ、と銃使いの少年は声を弾ませる。
「……あれ? 違うの?」
私がポカンとしていると、不安げな表情になり、リーダーを振り返った。
「詳しい話は自己紹介をしてからにしましょう。プレーヤー名でいいですよね。私は、ジェイソンです」
リーダーことジェイソンさんが、私に握手を求めたけれど、近付く前に黒いもやが渦を巻く。
そして、パンッと弾けた。レックスの威嚇だ。
「ルベナに近付くな」
ギロリ、とレックスはジェイソンさん達を睨み下ろす。
ジェイソンさんは、微笑みを崩さないまま対峙した。
こっ、これは、一触即発という状況じゃなかろうか。ど、どうすれば……。
「やば! 本物のレックスリオ?」
「魔人のボス……」
銃使いの少年はギョッとして身を引くと、横にいたもう一人の少年が銃を抜こうとした。
後ろにいた闘士の男の人もハンマーを構えようとしたけれど、ジェイソンさんが掌を上げるだけで制止する。
「だから言ったじゃないですか。【月の王】が街にいるって」
ジェイソンさんの隣に立っていた神父の青年が言った。
やっぱり、レックスに気付いていたんだ。
「わたくしは、アーロンと申します」
自分の胸に白い手袋をした右手を当てると、神父ことアーロンさんが笑いかけた。
かと思いきや、アーロンさんは片膝をつく。
「もしや……あなた様は、この世界に存在する者に五感を与えたのではありませんか? 魔人は街の中に入れないというのに、出入りができているのならば、現在プレーヤーの使い魔になっているということ……あなた様は、今現在【月の王】の主に間違いありませんか?」
「えっ、えっと……」
青い瞳が、キラキラと輝いて見える。気のせいだろうか。丁寧に言葉を紡いだり、"あなた様"と言われると、ムズムズする。
「その洗練された衣装は、ゲームの設計上不可能。まさか、自由自在に姿も変えられるのではありませんか? 不可能を可能に出来るあなた様は、この世界を支配したのですか? いいえ、この言葉は適切ではありませんね。あなた様は――――この世界の神になったのですか?」
神。
レックスにも告げられたことのある言葉に、ゾクゾクと寒気に襲われて立ち上がる。
アーロンさんはまるで崇めるかのような尊敬の眼差しを向けるものだから、レックスの背中にしがみついて隠れる。
「わ、わわわ、私はたまたまなんです! 何故か、ログアウトの代わりに、プレーヤーは感覚を得たみたいでっ……!」
「やっぱり、君が感覚をくれたんだ! ありがとう!!」
また赤毛くんがお礼を言うから、レックスの影から顔を出す。
「おれはキア! おかげで冒険がちょー楽しくなった!!」
にっ、と笑うキアくん。
大きな襟を立たせたノースリーブデザインのコートで、腰に大きなベルトをしている。後ろに大きな銃が見えた。二の腕からは手の甲まである腕当てをつけている。黒いズボンは裾がブカブカで、ブーツがちょこっと出ていた。
キアくんが本当に喜んでいると知り、胸の中がポカポカしてきた。
私が変えてしまった世界を、楽しんでくれている。直接言葉にして伝えてくれたことが、堪らなく嬉しかった。
「なんでですか!」
「!」
もう一人、追いかけてきた存在に気付く。
魔法使いの女の子だ。真っ赤な長い髪を垂らして、短いローブを着て、短パンとロングブーツ姿。
睨むようにしかめた丸い目に、涙が貯まっていた。私に向けられている。
「なんでっ、愛する人と引き離して、あたし達を閉じ込めたんですか!? 何様ですか貴女は! 帰してください! 帰してくださいよっ!!」
グサリと、深々と突き刺さる言葉。氷水の中に落ちてしまったみたいな痛みがする。
大半のプレーヤーの言葉だと思うと、胸が張り裂けそうだった。
「貴様こそ、何様っ……ルベナ、おい!」
レックスにぶつかったけれど、女の子を横切って私は宿に戻る。
プリムちゃんを見付けて、宿の亭主と話をさせてもらった。
返事を聞いたら、今いる客を外に出してもらう。
レックスも【月の覇者】も追い付いてきて問われたけれど、私は宿の前に立って深呼吸。
望んだその瞬間、宿はふわりふわりと蛍のような光が舞い上がる。まるで成長する樹のように、ズンズンと宿は伸びていった。
オフホワイトの煉瓦のホテルに変わる。高さはだいたい十階。
代価に支払われたのは、所持金全部と素材の大半。
道に出されたプレーヤー達も、宿の従業員達も、騒然とした。
レックスは肩を竦める。
「私が、プレーヤーの皆さんを閉じ込めてしまった張本人です!!!」
空に向かって、声を張り上げた。
「ルベナです! 私は五感を手に入れた代わりに、ログアウトをなくしてしまいました! ごめんなさい! 今、ログアウトを取り戻すために代価になるものを集めています! まだ時間がかかってしまいますので、それまでこの宿で保護させていただきます!」
少し喉が痛くなり、ゲホッと咳き込む。
「だからもう少し待ってっ」
待ってください。
そう言いかけたけれど、遮られた。
「ふざけんな! 今すぐに帰せよ!!」
「ゲームやってただけなのに!!」
「早くこのバグを直してよ!!」
「閉じ込めやがって! 何様だ!!」
投げつけられる言葉が、痛い。恨む眼差しを向けられて、顔が上げられなくなる。
そうだよね、そうなんだよね。
私みたいに感覚を欲張った人はいたと思う。キアくんみたいに、喜んだ人がいる。
でも、結局はゲームなんだ。楽しむだけのもの。暇を潰すだけのもの。
異世界なんか、求めてない。こんな現実なんて、求めてない。
「家に帰せよ!!」
家に帰れなくて、家族にも友だちにも恋人にも会えなくて、閉じ込められた。
責められて当然。でも逃げて、隠れようとした。甘んじて、受けなくちゃいけない。そして、ちゃんと皆を帰さなくちゃ。
打ちのめされて崩れ落ちそうになっても、前を向いて生きられるように、今を堪えなきゃ。
堪えて堪えて堪えて、私が皆を帰さなくちゃ。
「!」
突然、目の前が真っ暗になる。気を失ったかと思ったけれど、違う。
黒い靄が、ぶわぶわと辺りに撒き散った。吹き荒れるものだから、あちらこちらから悲鳴が上がる。それどころか、逃げ惑い始めた。
「【月の王】!?」
「なんで魔人の王が!」
「にっ、逃げろ!!」
月の王!?
私のそばにいたであろうレックスを振り返ったら、いなかった。でも代わりに後ろにいたのは、大きな大きな大きなドラゴン。
新しい宿にへばりついたドラゴンは、倒れそうなほど仰け反って見上げても視界に入りきらない。
全身が黒い毛に覆われ、蝙蝠型のドラゴンみたい。ギロリと睨み下ろす瞳は、血のように真っ赤。大きな耳は上に向かって尖っていて、開かれた口から牙と真っ赤な舌が見えた。
「――ゲームだの、バグだの」
その口から溢れ落ちてきたのは、レックスの声。けれども、地を這うようにすごく低く響く。
「なにかしら求めて別世界に来ておいて、望んでいないと喚くなクズども!!!」
レックスの罵声が、街を震わせているように感じた。肌にじんじんくる。
「バグと呼ぶな!! 奇跡と呼べ!!!」
【月の王】のもう一つの姿。ゲーム上の戦闘モード。
数多くのプレーヤーを敗北させたラスボスの威圧感が、ずしりと降ってくる。
「ルベナに危害を加えてみろ!! 食い殺してやる!! 復活した矢先に、何度でも食い殺してやる!!」
食い殺される。実際にそれを味わう身体の今、想像するだけで恐ろしい。その場に、絶叫が響き渡った。
「やっ、やめて!! だめ!! レックス!!」
圧倒されてしまったけれど、慌てて止める。私にレックスを止める力なんてないから無理。と思いきや。
パンッ!
まるで真っ黒い花火みたいに、黒い靄が弾け飛んだ。ドラゴンの姿は消えて、目の前にレックスが落ちてきた。
ダンッ、と着地したレックスは、猛獣みたいに唸って私を見る。
お、落ち着いて。私を食い殺さないで。
「戻ってください、プレーヤーの皆さん」
パンパンパン。
逃げずに私のそばにいたジェイソンさんが、手を叩いて離れたプレーヤー達を呼んだ。
まるで犬を呼ぶみたいに……。
ジェイソンさんは全く動揺しなかったみたいで、微笑んだままだ。
「私はギルド【月の覇者】のリーダー、ジェイソンです。見ての通り、彼女は特別です。この【ラクムルナ】に奇跡をもたらしました。その代価に我々はログアウトが出来なくなりましたが、取り戻すことが可能です。【月の覇者】がそのお手伝いをします。それまでの辛抱ですよ」
にっこり、とジェイソンさんが優しく告げた。冷静で大人な対応だ。
ん? 今、手伝うって言った?
「もしかしたら、現実世界でもなにか方法を探してくれている最中かもしれません」
「怖いのはわかるけどさ! もっと楽しもうぜ!! ログアウトした世界じゃ体験できないじゃん!!」
ジェイソンさんのあとに、キアくんが笑いかける。
「前向きに考えるのも一つの手ですが、無理をなさらないでください。我々に任せて、この宿で休んでくださいね」
「あ、あの、ジェイソンさん」
「はい?」
呼びかけるジェイソンさんに声をかければ、優しげな笑みで振り返ってくれた。
「手伝う、ってなんですか?」
「ログアウトを可能にする手伝いです。代価が必要だと言いましたね。戦闘エリアに行って、代価になるものを得てきたのでしょう? 戦闘できるのは、今のところ我々くらいなものです。戦える者が手伝うのは当然でしょう?」
「あ、え、えっと……」
手伝ってもらえるならば、より早くログアウトが出来ると思う。だから断る理由はない。【月の覇者】は変わらず最強で、戦えるみたいだし……。
そこで、アーロンさんが私の前に傅いた。
「奇跡を与えてくださった女神様に、尽くすことを誓います」
甲斐甲斐しく胸に手を当てて、頭を下げる。
便乗するようにジェイソンさんを始め、【月の覇者】が全員跪いた。
「め、女神様!」
「女神様!」
「奇跡に感謝!」
「おお、女神様!」
更には、宿の主人達から街中の人達がひれ伏し始めてしまう。
戸惑った表情のプレーヤー達も、次から次へと煉瓦の道に跪いた。
顔を上げたアーロンさんは、さっきと同じ尊敬しているみたいなキラキラ眼差しを向けてくる。
――女神様。
そう呼ばれて、祭り上げられている状況に、固まってしまった私は漸くゾクゾクと鳥肌を立たせて震える。
な、何故こうなった。
道を塞ぐように大勢の人が頭を垂れた光景は、ドラゴンとはまた違う威圧さを感じる。
後退りすると、立っていたレックスにぶつかった。
「帰してやると言ってれ」
耳打ちして、今言うべきことを教えてくれる。
「わ、私が責任持って、皆さんを帰します! もう少し! 待っていてください!!」
裏返そうになりながらも、その場にいる全員の耳に届くように声を上げた。
威圧に耐えきれなくなって足が震えたけれど、レックスが支えてくれる。
「それでは、詳しい話を中で聞かせてください」
「……へ?」
あっさりと立ち上がったジェイソンさんが、新しい宿を指差した。




