07 唐突の告白。
瞼に白い光を感じて、目を開く。藍色の空は、白に染められ始める。
起き上がって、朝焼けをぼんやりと眺めた。
昨日の夕焼けを思い出す。
肌に感じた。眩い光も強い風も、疲れを感じたこの身体と心で。
心地がいい。昨日の夕陽も、今の朝陽も、最高だ。
目を閉じると、レックスの顔が浮かぶ。白銀の髪も、深紅の瞳も、夕陽を帯びた麗しい彼は、眩しそうに微笑んでいた。
私は綻んだけれど、朝の風が寒くて毛布の中に戻る。そこは温かい。
二度寝をしようと深く息を吐いたあと、抱き締められたものだから、目を開いた。
同じ毛布の中に、レックスがいる。
ガッ、と火がついたように顔が赤くなった。耳まで広がったことを感じる。
レックスが安心しろと言うから、昨夜は崖のそばで野宿をした。
武器が拒絶された手は痛みがないけど、酷い擦り傷みたいにある。現実で自然に治ることを待つように、こういうものは待つしかないらしい。
勇者の身体は丈夫。
戦闘中も、レベルが高ければ攻撃はチクッとしたり、ヒリヒリが残る程度。でも、重さも手応えも、この身に感じる。
疲れきった夜に、レックスは手を診てくれた。
かと思えば、ペロリと舌を這わせて舐めたものだから、ギョッとする。
「な、な、なに!?」
「痛くないのだろう? 少し舐めさせろ」
そう言って、レックスはチュッと掌に吸い付いた。
「俺は吸血鬼だ。主なら、少しは俺に"本当の食事"をさせろ」
「えっ、噛むの?」
「舐めるだけで充分。血を飲むのは、一月に一度でいい。お前に噛みついたりしない」
「く、くすぐったいよっ」
飴を舐めているみたいにペロペロされていると、くすぐったすぎてくすぐったすぎて……。
それにその……麗しい顔で執拗に吸い付かれると、なんというか……。
真っ赤になりながら、食事とやらに堪えていたら、焚き火の光が映る紅い瞳が向けられた。ドキッとする。
「……なんだよ、噛まれたいのか?」
ニヤリと口角を上げたレックスは、私の人差し指を軽く歯に挟んだ。
そのまま、艶かしく吸い付くものだから、崖のそばをのたうち回った。笑われた。
レックスは、刺激が強すぎる。
そんなことを思い出してしまい、脳内でパニックを起こす。
そもそも、なんでレックスと寄り添って寝ているんだろう。この世界に来てから、なんなんだろう。
赤面して固まっていながら、とりあえず腕の中から出ようと考えた。
「……クククッ」
額に低い笑い声が吹きかかる。
「耳まで熱いぞ?」
レックスに耳を摘ままれた。私の赤面が、丸見えみたいだ。
昨夜と同じく、恥ずかしさでのたうち回ったら笑われた。
今日も一日、冒険だ。
少しでも早くプレーヤー達を帰すために、お金やアイテムをかき集めながら、レベルを上げていく。
ちょこっとだけ、レベル50のエリア【深淵の谷】に下りた。レックスが抱えられて。
絶壁と絶壁に挟まれた道は、薄暗くて不気味。そして動き辛かった。
前ばかり見ていたら、頭上から攻められて攻撃を受けてしまう。
谷にいる魔物は、おっかない。巨大なムカデや蜘蛛や蠍の姿で、気持ちが悪いし、迫られると怖い。
もうホラー映画のワンシーン。ゾンビの津波に匹敵する怖さ。
疲労と恐怖で長く戦えないと、数時間でレックスに泣きついて離脱。
休憩とランチをしてから、また冒険。へとへとになってまで粘り、日が暮れた頃に【ルーメンルーナエ】に戻った。
レベル55まで上がったけれど疲労が勝って、レックスの腕にぐったりしがみついたまま、宿に戻る。
「あっ、今食事をお持ちしますね!」
宿の看板娘・プリムちゃんが私達に気付くと、食堂のテーブルを一つ片付けてくれた。
「……繁盛してますね」
食堂のテーブルは埋まっている。プレーヤー達が沈んだ様子で夕食をつついているだけだから、繁盛と言うのは相応しくないのかも。
暖かみある灯りと木のテーブルの食堂なのに……。
「もっとウチが広ければ、他の勇者様方もおもてなしできるのですがね」
プリムちゃんは苦笑を溢す。部屋を取ろうとするプレーヤー達が、後が絶たないらしい。
レックスが先に部屋を借りてくれたから、私は大丈夫だけれど。
普段宿は休憩を体験するための場所。プレイ中は眠れなかった。
ログアウト出来ずに途方に暮れたプレーヤーは、あとから宿が必要だと気付いたみたいだけど、もう満員だ。
大都市でも三件しかなく、ここが一番大きい宿。半分近くは、路頭に迷っているのかも。
私も沈んだ気持ちになり、夕食を目の前にしても、テーブルに突っ伏してしまう。
「次はレベル60のエリアに行くぞ。その方がレベルアップも期待できる。いっそ、中ボスを制覇していくか?」
「やめてっ! お願いそんなスパルタはやめてっ!」
ちょっと泣きそうになって、声がか細くなる。
中ボスの前に放り込まれるのは、流石に足がすくむ。中ボスはゴブリンの三倍以上はある魔物ばかり。でっかいのは、怖い。
「俺がいるなら、勝てる」
「んー……また明日考えよう」
「先ずは食べろ」
眠気に襲われたけれど、レックスに小突かれて、なんとか夕食のチキンにかぶり付く。
「お前ら魔法使いの仕業だろ!? 俺達を仮想世界に閉じ込めたんだ!」
食堂にそんな声が響いたから、私はチキンを吹き出しかけた。グッと堪えたら、噎せてしまう。
何事かと思えば、騎士のプレーヤーが赤毛の魔法使いのプレーヤーに詰め寄っていた。
「ち、違います……あたしはなにも……」
「だったらなんでログアウトができねーんだよ!? もう三日だぞ!?」
魔法使いの女の子は、ビクリと震えた。ただでさえ小柄だから、怖がって身を縮めている様子が可哀想。
二日離れている間に、プレーヤー達は魔法使いの仕業と疑い始めたのか。
現実になった今、魔法のせいだと考えても無理はないのかも。
その女の子はなにも悪くないというのに、この世界に閉じ込められて消沈していたプレーヤー達が責める眼差しを向けた。
「元の世界に戻せよ!!」
騎士のプレーヤーが手を上げようとしたものだから、私はテーブルを叩きつける。
「その子ではありません」
食堂にいる一同の注目を浴びた。
「私、ルベナ・ギルバが【ラクムルナ】を――――世界を乗っ取ったっ!!!」
爆弾発言を投下。
騒然とする食堂から、私は全力で逃走する。
門を飛び出して【黄昏の草原】に倒れ込む。
藍色の空に浮かぶ三つ月は、世界を淡く照らす。
相も変わらず美しいけれど、今夜だけは見惚れることは出来ない。
「言っちゃったぁああ!!! リンチされるぅうう!!!」
頭を抱えてひたすら湿った草の上を転がり回ったけれど、お腹を持ち上げられた。レックスが追いかけてくれたんだ。
「なにやっているんだ、全く」
心底呆れたように見て、私を座らせた。
「だっ、だって……あのままじゃあ魔女狩りだよ……魔術師職業のプレーヤーがリンチにされる……」
「お前がリンチの標的になることないだろ」
「私がアイテムを集めている間に、争いが起きてたら嫌っ!! いくら丈夫でも、あんな女の子が殴られでもしたらっ!」
「名乗ることなかっただろ」
「気付いたら言っちゃってたぁああ!!」
また転がり回ろうとしたけれど、がしりと頭を鷲掴みにされて止められる。
なにも名乗ることなかったけれども。
魔法使いが犯人だと疑われて、次々と吊し上げになるような事態は防ぎたかった。女の子が殴られるような事態も。
もっと考えて行動すべきだったけれども、後悔しても遅い。
「私が吊し上げにされる……」
青ざめてガクガクと震えたのだけれど、鷲掴みにしていた手が私の頭を撫でる。
手の主のレックスは、しゃがんで私の顔を覗き込んだ。
「何度も言わせるな。俺が守ってやるから、離れるな」
「レックス……」
唯一の私の味方。誰よりも心強い。
「レックスがいてくれて、本当によかった……」
強さで守ってくれて、冷徹さで支えてくれる。
この麗しい王様がいなかったら、私はひたすら草原をのたうち回っていた。
安心できて、力が抜ける。レックスの支えがなくちゃ、だめだ。
力なく笑うと、頭の上の掌が右頬に当てられた。親指が頬に食い込むように撫でたかと思えば、輪郭をなぞり顎を上げさせられる。
夜風が静かに駆けていく草原は、三つ月に照らされてほの暗い。それでも、レックスの白銀の髪の美しさや、深紅の瞳の美しさは、はっきりと私の目に映る。。
見つめ合って、黙ってしまう。
「……誰にも、傷つけさせない」
レックスの囁くような声のあと、風が吹き荒れたから目をギュッと閉じる。
顔を擽る長い髪は、レックスが退けてくれた。目を開けば、唇をなぞられる。
熱が込められた深紅の瞳が、ゆっくりと近付いた。
ドクン、と心音が響いたように感じる。動けなくて、ただ見つめてしまう。
心音が響く胸から、じわじわと熱が広がっていき、ただ――。
フイッ、とレックスの瞳がよそに向けられた。
私もつられて目を向けると。
「こぉんーばぁんーわぁー」
にっこりと挨拶しながら歩み寄るのは、最強ギルドと名高い【月の覇者】一行だった。
サアッと血の気が引く。
【月の覇者】も同じ宿を利用していた。
私のせいだって告白を、聞いてしまったんだ。それで追いかけてきた。
レックスは立ち上がり、彼らと向き合う。
レックスは最強の王様だ。でも【月の覇者】は、そんなレックスを倒したことのある強者。
戦ったら、レックスもただじゃすまない。当然私では敵わない相手だ。
最強ギルドに、リンチされる!!!
思わず、レックスの足にしがみつく。今から大ボスと強者の戦闘が開始されるかと思うと、立ち上がれない。
「怖がらないでください、話に来ただけですよ? 【ラクムルナ】を乗っ取ったルベナ・ギルバさん」
【月の覇者】のリーダーである騎士が、優しく微笑んだ。
サラサラの白金髪と琥珀の瞳を持つ、美しい男の人。がっしりした白い鎧を身に纏っていても、優美に感じる。三つ月の灯りで艶めいているせいか、微笑みのせいか。
「……は、はい……なんでしょう……?」
早くログアウトさせろさもなくば痛め付けるぞって、話ですか。
そうには思えない物腰柔らかい態度だけれども、ビクビクした。
ひょこっ、と銃使いの少年がしゃがんで私と視線の高さを合わせる。
赤毛の髪が左右に外はねしていて、無邪気な印象を抱かせる笑みを向けられた。
「ありがとうって! 言いに来たんだ!!」
感謝の言葉を受け止められなくて、私はパチクリと瞬く。
「……はい?」
あまりにも予想外すぎて、私はもう一度聞かせてもらうことにした。
今なんて言ったのですか?
うっすらと、頭の隅で思い出す。【月の王】を召喚した夢と、【月の覇者】と出会う夢。
月光の草原の元に立っている姿は、うろ覚えの夢と一致した。
予知夢だったんだ。
20151217




