17 カレー嫌い。
【月の覇者】一行と魔物を蹴散らしながら、一層ボスの間に到着した。
石で出来た大きな扉を潜った先。【空虚の巨人】が待ち構えていた。
巨人らしく巨大で、ダイヤのように固そうな大きな両腕を持つ。兜のようなゴツい頭。
ジェイソンさんが言った通り、私は前線に立たされた。さっきとは違い、レックスがそばにいて、ジェイソンさんも横についてくれている。
キアくん達は、一層ボスの【空虚の巨人】が出してくる岩の兵達を相手するという。
星の精霊を、スピカと名付けた。アーロンさんに言われ、早速戦いの中で使った。
ラピスラズリ色の大きくて美しい女性。無口で無表情。でも夜空のように静かで純粋なだけに思える。
そんなスピカの能力は、水系攻撃による足留め。それから広範囲の治癒魔法。
敵達の動きを止めて、レックスの指示も受けながら、戦った。
初ダンジョンにして、初ボス撃破。
舞い上がって、レックスに飛び付いた。
そのまま、二層へ。二層ボスでは、私は後衛。援護なんて必要ないほど、【月の覇者】は楽勝だった。
高レベルな彼らには、中級レベルにしかないらしく、軽く運動した程度の様子で勝利を収めた。
堪らないほど、かっこよかった。
その日の戦利品は、ダンジョンだけで手に入るレアの装備が三つ。通常アイテム、お金がそこそこ。
帰る頃には、三つ月と街の人々に出迎えられた。
ダンジョンのレアアイテム三つだけでは、残念ながら、当然のように、ログアウトは叶わなかったので、何度も【月の覇者】と何度もダンジョンへ向かった。
三層ボスにも挑んだ。時には、ソロ戦闘の観賞。秘密通路の探索もし、とても楽しんだ。すこぶる楽しかった。本当に本当に楽しい冒険だった。
一週間ほど経った。それ相応にレアアイテムも手に入ったのだけれど、まだ全然足りないらしく、ログアウトに関して無反応。
楽しんでしまった分、皆にログアウトを返せないことに罪悪感がのし掛かる。ずどーん、と。
「どうしよう……」と呟く度に、レックスは「努力しているんだ。文句がある奴は燃やす」と一蹴。
【月の覇者】一行の方も、ログアウトが出来ないことに不安も不満も抱いていない。
「大丈夫ですよ。他のプレイヤーも慣れたようですし、初日の焦りや混乱も目立ちませんから」
ジェイソンさんは、にこやかに言った。
「そりゃ、現実の身体が心配だけども、いいじゃん。楽しいし」
キアくんは、お気楽に笑う。私達は楽しんでいるけれども……。
宿は忙しそうなので、自分達と【月の覇者】の食事は私が作ることにした。一人暮らしだったから、大人数の食事を作るのは少し苦戦。でもジェイソンさんも手伝ってくれたし、あっさりと慣れた。
私の部屋のダイニングテーブルで、皆と揃って食事をするのも、慣れたものだ。
「……妹に会いたいですがね」
ジェイソンさんはコーヒーを啜りながら、溜め息をついた。
毎朝見る光景である。私は慌てふためいてしまう。
「あ、大丈夫だよ。ジェイソンさん、こうなる前から毎日言ってたから」
「妹に会いてーだの、妹が帰るだの、妹ってワードが出ない日がないってほどの重度のシスコンさ!」
キアくんに続いて、ガラクさんがゲラゲラと笑った。
「はい、シスコンです」と、ジェイソンさんはいつものように微笑んで認める。
「感覚に慣れた高レベルのプレーヤーも、ダンジョンに行き始めましたし、皆が努力をしています。すぐにログアウトに必要な対価を得られるでしょう」
同じくコーヒーを飲んでいるアーロンさんが、穏やかに言った。いつものように、私をキラキラとした眼差しで見つめている。
「怖いけど、ライフ減ってもただ噴水に戻るだけだしな。経験値とかは持ってかれるが」
「そうですね……スタートラインに戻されるだけのことです」
よぞらさんが言っていた通り、順応能力の高さを発揮したみたい。
ガラクさんに頷いたジェイソンさんは、浮かない顔をしていたから首を傾げる。
「……私は苦手なんです。一度だけ経験しましたが、スタートラインに戻されるだけの現象だとしても、死を連想しますから」
「あ、お医者さんですもんね……」
「……ふふ」
死と向き合うような職業だからなのかと思ったら、ジェイソンさんはただ笑う。
「……それにしても」
不思議そうにジェイソンさんを見ていたアーロンさんが、にこりと私に向き直る。
「毎日ルベナ様の手料理をいただけるなんて、至極の幸福です……」
アーロンさんの大袈裟な反応にも、すっかり慣れたのでスルー。キラキラ眼差しも、気にせずにいられる。慣れってすごい。
「ほんと、女の子の手料理にありつけるなんて……なんて幸せっ」
「鼻の下伸びてますよ? ガクラ」
たまにガクラさんもにやつくけど、その度にジェイソンさんが牽制。
レノくんは相変わらず無口だけれど、軽い会話ならしてくれる仲だ。
レックスは大半気に入らなそうにしているけれど、大人しく一緒に食べてくれた。
「なー、なー! 夕食はカレーがいい! まだルベナのカレー食べてない」
キアくんから、夕食のリクエスト。
「ごめん。私、カレー嫌いだから、却下」
申し訳ないけど、きっぱりと断る。
「ええ!? なんで嫌いなの!?」
椅子から立ち上がるくらいキアくんが驚いた。
すると、ジェイソンさんが吹き出す。
「私の妹もカレーは食べなくて……シチューが好物なんです。ふふっ……ああ、会いたい」
他所を向いて妹さんを思い浮かべるジェイソンさんに、私はなにも言えなかった。
「普通皆好きだよな!?」
キアくんがすぐに私に問い詰めた。
「んー、私も小さい頃は食べてたって母が言ってたけど、記憶にないんだよね。なんか……匂いを嗅ぐだけでもだめなの、頭痛が起きるくらい拒絶反応が出るの」
「なにそれ!? カレーアレルギー!?」
カレーアレルギーなんて言うから、ガクラさんが吹き出してゲラゲラと笑った。
「原因は……たぶん、だけど、小さい頃に頭を強打したせいかな。頭を打つと好みや性格が変わることがあるって聞いたことある。ソファーで飛び跳ねて、天井に頭をぶつけたあと、床にまっ逆さまに落ちた記憶がうっすらと……」
「え、それはかなりの怪我では?」
「病院に運ばれたことはないんで、大したことはなかったかと」
アーロンさんが身を乗り出してまで心配するものだから、首を振る。
「たまにある症例ですね」
「じゃあ頭打てばカレー嫌い治る!?」
「キアくん、怖い」
何がなんでもカレーが食べたいらしいキアくんに、頭殴られそう……。
「ログアウトのあとすぐに、脳の検査してもらいましょう」
にこ、とジェイソンさん。これはこれでなんかちょっと怖いのは気のせいかな。
「キアくん。作るのは出来るから、今夜はカレーにするね」
「え? いいのっ?」
ぱっ、とキアくんは目を輝かせた。
「うん。私とレックスはバーベキューにするから、皆で食べてて」
「私も手伝います」
レックスも、ぱっと目を輝かせる。
ジェイソンさんも手伝ってくれるなら、味見せずにすむ。よかった。
「やった!」とキアくんが両腕を突き上げる。それからレノくんの背中をビシバシ叩いた。
「ルベナ様……なんてお優しいのですか。ああ、あなた様の優しさをいただけるなんて……まさにあなた様の優しさを糧に生きているこの喜びこそ、幸福!」
「さて、行きましょう。ダンジョンへ。今日は早めに切り上げましょう」
アーロンさんが長々と感謝の意を示そうとしていたけれど、ジェイソンさんは最後まで言わせず席を立ち、出発を促した。
今日もダンジョンに向かい、集めるだけレアアイテムを集める。
飽きてしまったらしく、ワンランク上のダンジョンに行こうとキアくんが駄々をこね始めた。
ジェイソンさんが適当に流したけれど、近いうちに連れていかれそうで怖いな……。
夜の街は相変わらずお祭りムード。飲んで食べて騒いでいる。最初よりは控えめ。
バーベキューのお肉を作りながら、ジェイソンさんとカレー作り。作っている間、ずっとジェイソンさんが妹さんの話をしてくれた。妹さんと料理した時の話。
とても楽しげな横顔が素敵だったので、私も楽しかった。
せっかくだから【黄昏の草原】に材料を運んだ。石を積み上げて、魔法で火を起こして焼いた。
「そう言えば、レックスはバーベキューでよかったの?」
「ルベナと二人なら、なんでも構わない」
レックスがなにも言わないから、勝手にバーベキューで決定してしまったけどいいみたい。
果物をベースのソースを漬け込んだ肉の串を焼けば、甘くて香ばしい匂い。かぷりと噛みついて、上質なお肉を堪能。
美しい景色を眺めながらの食事。この上なく、贅沢で素敵だ。
遮るものが何一つない澄み切った藍色の夜空と三つ月は圧巻。草原を走った冷たい風も、気持ちよくて寝転がりたい。
でも食事中だから、もぐもぐと空を眺めつつ肉にかじりつく。
「レックスと二人っきりって……なんか久しぶりに感じる」
相変わらず同じベッドで眠っているけど、起きている間は【月の覇者】と行動していた。この静けさも久しぶり。
レックスを召喚した場所でもあるから、あの時を思い出す。
「なんだ……わざと二人っきりになることを避けているのかと思っていた」
隣に座るレックスが、お酒を啜りながら言った。
「……え?」
「……」
レックスの紅い瞳が、ただ私を見つめている。穏やかな夜風は、私達の間をすり抜けた。
「へーーーいかっ!!!」
その風に乗ってきたかのように、美女が現れる。それも、レックスに抱きついて。
しかし、露骨に顔をしかめたレックスは、彼女の頭を掴む。情け容赦なく、べしっと引き剥がして地面に叩きつけた。
「陛下ぁああっ!」
「喧しい、消えろ」
「そんなぁああ!」
泣きべそかいたその美女に、キアくん達の対応と同じくレックスは冷たく吐き捨てる。
よく見ると、その美女には狼のような大きな耳と、大きな尻尾があった。しくしく泣く彼女に合わせて、動いている。
レックスを陛下と呼ぶ辺り、きっと魔人さん。狼女さんだ。確か、側近に狼がいるって聞いた気がする。
「お願いしますぅ! お城にお戻りくださいぃっ!」
その言葉で、把握した。
レックスは魔人の国の王。なのに、私が従者にして、かれこれ十日くらいそばにいる。国王が不在。
「世界が変わって、勇者は来なくなかったし、陛下は召喚陣に消えてしまったきり帰らないし、だから国が混乱してるしのにっ……連絡しても総無視なんて酷いです!」
「ひぃいっ! ごめんなさい、ごめんなさいっごめんなさいっ!!」
魔人の国が混乱状態。私のせいだ。ガタガタ震えながら、謝罪した。
ピクン、と狼の耳を立てた美女が私を見る。
「美味しそう! 食べていいですか!?」
「あ、はい、どうぞ」
「帰れ」
バーベキューに注目した。まだあるので、手渡した。
かぶりついて尻尾をフリフリしている狼美女さんを、レックスは呆れた目で見下ろす。
食べ終えたあとに聞いてみようと待っていたら。
空が明るくなった。燃えるように、真っ赤に灯る。浮かんでいる三つ月も血のような赤に染まり、輝きをなくしていた。
空と月だけではない。後ろの【ルーメンルーナエ】も、なにかが変わったように感じた。
「チッ……【ブラッドムーン】か」
レックスの苛ついた声が、妙に響く。風がピタリと止み、不気味なほど静まり返った。
20160303




