15 空を飛ぶ。
今までラフな格好だったレックスも、戦闘服にチェンジした。
初めて会った時の立派な鎧やマントは、削ぎ落とした感じ。逞しさがよくわかるフィットしたシャツと、丈の短い革のジャケット、腰防具にズボンとごついブーツ。赤黒い系で、クールだ。
美しすぎる上半身が、これまた艶かしくてもう。ぽけーと見つめてしまう。
「フン。一日中見つめているつもりか? ダンジョンに行くぞ」
「はい……」
満更でもなさそうにニヤリと笑ったレックスに、ムギュッと頬を摘ままれて急かされた。
準備万端の【月の覇者】と、金の森の【狐月組】一行とともに、街の人達に盛大に見送られて出発。
「冒険に」
「ヘイッ!」
「行きましょう」
「ヘイヘイッ!」
「皆で行きましょーお」
「ヘヘイッ!」
白い虎の召喚獣に乗っているよぞらさんと隣を歩くキアくんが、元気よく歌っている。
そんなよぞらさん達を見ているだけで、なんだか楽しい。だから、皆が笑顔だった。
安心して綻ぶ。けれども、昨日今日見たプレーヤー達は、前向きになってくれた人達だけ。
私が知らないところで、蹲っている人がいるのだと思う。皆、帰してあげなくちゃ。
初ダンジョンは不安だけれども、私は改めて気を引き締めることにした。
「ふふ。楽しいですね。こんな風に大所帯で行進なんて」
騎士姿のジェイソンさんが、おかしそうに小さく笑って後ろを振り返る。
行列だ。それも様々な装備をつけたプレーヤーだから、奇妙でもある。でもなんだか、異世界って感じでしっくりくるのは、順応しきってしまったからかな。
「ルベナ様。予知夢を見ると言っていましたね。具体的にどんな夢ですか?」
にこやかにアーロンさんが、私に声をかけた。
「大したものではないですよ、公開前の漫画やドラマの一瞬見るくらいのものでした。あ、レックスと皆さんと【黄昏の草原】で出会うのは見ましたよ。ヘルメット被って眠ってしまった時に」
「そうなのですか。……じゃあ、予知夢を見てなにか危険を避けたり、宝くじを当てたりしたことはないのですか?」
出会う予知には驚いた反応を見せたけど、なにかに役立っていないのかと問われた。ジェイソンさんも気になるようで、見てくる。
「はい、そういうのは全くないです。あ、あれ予知夢だったんだ……って起きてからわかるものばっかりで。色んな夢を見ますから、どれが予知夢なのかさっぱりで」
「……イルカさんですね」
「あはは、ジェイソンさん。能力使いこなせないこと私をイルカと呼んでますか? イルカに失礼ですよ」
「可愛いと褒めているのですよ?」
「可愛いとバカは同意語みたいなものですから、褒め言葉じゃないです!」
ジェイソンさんが笑顔のまま言うものだから、私はちょっと泣きかける。
「確かに未来の出来事を見たくらいでは、大して役に立ってはいませんけども」
ジェイソンさんのからかいに立ち直って、アーロンさんに顔を向けた。
「あ、これ夢で見たって、クスリと笑ってしまうだけでも、楽しいですから」
他人からしたら、だからなにって話だけれども。私からすれば面白くて、楽しいものだった。
思い出し笑いをしていたら、アーロンさんがじっと私を見てくるものだから、きょとんてしてしまう。
「……あなたは、素敵ですね」
「へっ?」
今までのぞわぞわする大袈裟な褒め言葉じゃなくて、心の底からそう思っているようなアーロンさんの真面目な顔にドキッとしてしまう。
すると、グイッと隣を歩くレックスに顔を向けられた。こちらはムッとした顔だ。
「おれはあんま夢見ないなぁ」
「……全く見ない」
いつの間にか歌を止めていたキアくんと、レノくんが呟いた。
「実は一晩に何回も見ると聞いたことあるよ。覚えてないだけで」
「へーえ」
よぞらさんが、キアくんに向かって言う。私も二つか三つ、見て起きるなぁ。
「わたくしは空を飛ぶ夢を見て、感動したことあります」
「あ、私もありますよ! 自由に飛び回るのが、もう堪らないです!」
「コントロールして飛ぶ夢ですか? わたくしは風に身を任せる感じでした」
「自由に飛び回るのは最高ですよ! もう気持ちよすぎて、気分爽快です、ふふっ」
アーロンさんと空飛ぶ夢の話をして、私は空を見上げる。雲一つない鮮やかな青い空だ。
軽く両腕を広げて、夢の中で飛んだ感覚を思い出してみる。高い空を自由に飛び回る夢はもう、楽しすぎた。
「ん?」
レックスが私の腰に手を当てたものだから、顔を向ける。レックスの顔が近くて、にやりといわくありげな笑みを浮かべていた。
「空、飛ぶか?」
「……へっ?」
ポカンとしている間に、レックスがひょいといとも簡単に私を空へと投げた。軽く五メートル高く。悲鳴を上げて、落ちるより前に、グンッと更に上へ行く感覚を味わう。
黒いドラゴンの首の後ろに引っ付いた。
ドラゴンは翼を羽ばたいて、風を突っ切る。
「落ちるなよ、ルベナ」
引っ付いた首から、レックスの声が響いてきた。返事ができないまま、ただ毛を握ってしがみつく。空を飛んでいるんだ。落ちたくない。
でも、あれ?
空を飛んでいる?
風の中を進む中、私は恐る恐ると目を開く。開けにくかったけれど、見開く光景だった。
生い茂る草原も森も、グングンと通り過ぎていく。壁に囲まれた街も見えた。黒いドラゴンがバサリと羽ばたきながら、迂回していく。
夢の中のあの感覚だ。ひゅーと身体の中身を置いていってしまいそう。風は吹き飛ばしてしまいそうだけど、進んで進んで進む。
本当に、飛んでいる。
雲一つない青空を進み、追い風を受けていく。ゾクゾクと痺れていった。
南の苔の沼地から、東の【黄昏の草原】よりも向こう側の草原の上空。三つ月を間近に感じたあと、北の【赤熱の荒野】や【深淵の崖】。遠くに魔人の国。純白の谷の森。
そして、ダンジョンの目の前。ヒュン、と浮遊感に襲われる。しがみついていたドラゴンが消えたかと思えば、地上でレックスに受け止められた。
「楽しかったか?」
笑いかけながら、レックスは私を下ろす。
嬉しくて嬉しくて嬉しくて、跳ね回りたいところだけど、なにも言えない。まるで、初めて彼と会った時のよう。見つめあった。
楽しかったって伝えるには、抱きつくことが一番だ。私はギュウッと力一杯に抱きついた。
ドクン、と穏やかな鼓動を感じる。温もりも。
レックスは両腕で抱き締め返してきた。温かい。
「……ルベナ、顔上げろ」
耳元に囁かれたから顔を上げると、とても近かった。
目を丸めていたら、レックスが舌打ち。震え上がってしまったら、私じゃないと言わんばかりに頭を撫でられた。
「ドラゴン飛行は楽しかったですか? ルベナさん」
「いいな、いいなぁ! おれもドラゴンで飛びたい!」
旋回しているうちに進んでいたらしい【月の覇者】が追い付いていた。
はしゃぐキアくんが駆け寄ると。
「ハン。地面にのめり込んでろ、小僧」
レックスが嘲笑って一蹴。おかげで喧嘩腰になってしまったので、慌てて割って入る。
ダンジョン前。まるで空気を吸い込むように大口を開けた洞窟。なにもないみたいに真っ黒だ。
「さぁー行こう!」
昨日と同じく、ガラクさんが先頭。次にキアくんとレノくん。そしてジェイソンさん。最後がアーロンさんと私とレックスだ。
出てくるのは、三頭身くらいの小太りの岩の傭兵達。レベルは30。
なので、私の元に行き着く間もなく、ガラクさんとキアくんとレノくんが倒す。
【深淵の谷】のように狭くて暗い。そして、わらわらと集団で現れてくる。わりとドキッと怖くなるけれども、前衛が頼もしすぎて助かる。
「チッ。だからルベナが育たないんだ」
レックスが舌打ちをした。
「は? 経験値はもらえるだろ」とキアくんが振り返る。
パーティを組んでいれば、攻撃していなくとも経験値をもらえてしまうんだよね。
「ただ経験値を貰えても意味がないだろうが、バカめ。まだ初心者のルベナが戦い方を学べないと言ってるんだ、バカめ」
「んだとコラー!!」
レックスが苛立ちを込めてバカと二度も吐き捨てるものだから、キアくんが大声を上げた。洞窟に木霊するから、びっくりする。
「大丈夫ですよ。一層のダンジョンボスとの戦いでは前線に立っていただきますから」
ジェイソンさんがにこりと言う。
ひぃいっ! 初ダンジョンボスと戦わされる!
なんでもこのダンジョンは三層まであって、各々に大ボスがいるらしい。
今日は二層まで行って、ボス二人を倒してレアアイテムをゲットする予定。
ガクガク震えつつも、心強い仲間と一緒にダンジョンを進んだ。
数が多すぎる時は私の出番もあって、範囲攻撃系の魔法で倒す。こういう技は、やっぱり魔法使い職が強い。
三十分ほど、ダンジョンモンスターを蹴散らしながら進むと、広い空間に行き着いた。
数十メートルだけしかない道の先は、崖。と言っても地面がちゃんと見える。同じようにまるで塔みたいに岩の柱がその空間にいくつも並んでいる。天井は高すぎて真っ暗で見えない。壁も遠い。流石は広々した洞窟だ。ひんやりした空気と湿った匂いがする。
「ここは、いわば休憩の間です。本来ならログアウトをして休憩を取ってから、先に進みます」
アーロンさんが私に教えてくれた。ここには魔物は来ないらしい。キアくんは休む気満々で、端に腰を下ろした。
「初めは探索を楽しむのですよ。入り口は一つではないのです。中ボスの元に繋がる入り口や、行き止まりもあります。冒険の一興ですね」
「我々は大ボス狙いですから、道はわかっています。真っ直ぐに進みましょう」
アーロンさんもジェイソンさんも、その場に座った。
「実は、秘密の入り口もあったりするのですよ」
「そうなんですか! へー……いいですね」
アーロンさんの情報に食いつく。そんな面白そうな仕掛けもあるなんて、見付けてみたい。秘密の入り口。
うずうずしながらも、周りを見回してみた。皆が休んでいる間に、散歩してきちゃだめだろうか。
「そうだ、ルベナ!」
キアくんが立ち上がったかと思えば、私の腕を掴んだ。
「休むんじゃないの?」とレノくんが呆れた目を向けた。
「鬼ごっこしようぜ!」
「……鬼ごっこ?」
物凄く懐かしい響きに、きょとんとしてしまう。
「ルベナってさ」
スキップするような足取りで後退するキアくんに引っ張られていく。
「初心者だから知らないだろ?」
キアくんの後ろにはもう、道がない。
「おい!」とレックスが制止しようとしたけれど、遅かった。
キアくんがそのまま、後ろに身体を倒す。掴まれている私も一緒。
ヒュン、とまた味わう浮遊感。下には受け止めてくれるレックスがいないから、くるであろう痛みに恐怖した。
けれども、スタッ。とあっさり、キアくんと着地した。痛みなんてない。十メートルはありそうな高さから落ちたのに。ポッカーンとしてしまう。
「びっくりした?」
キアくんは無邪気に笑った。
「それにレベルが高けりゃ、ロープなしバンジージャンプも出来ちゃうんだぜ! 感覚があるとやベー楽しいな!」
心底楽しそうな笑顔だ。
なるほど! 【深淵の崖】をレックスが飛び降りたけど、最高レベルだからこそ可能だったのか!
高いところから飛び降りたくらいでは、怪我もしない強靭な身体。それが私達なんだ。
「ふざけるなよ、小僧! ルベナはまだ50レベだぞ!」
「お前が鬼なー」
「なにを勝手に遊びに付き合わそうとしている!? 勝手に逃げ回ってろ、雑魚め!」
「ルベナ、逃げようぜ!」
「ルベナを連れていくな!!」
キアくんがまた私の手を掴むと、レックスに鬼を押し付けて走り出した。
すぐに飛び降りて止めようとしたレックスの前に、ジェイソンさんが阻む。
「おや。鬼なら、10数えないといけませんよ?」
「……叩き潰してやろうか?」
「いいですね。HPは削り合えないので、倒れた方が負けというタイマンを張りましょうか」
私が仲裁しなかったせいか、レックスとジェイソンさんが対戦を始めてしまった。
すぐに岩のせいで見えなくなってしまうけど、激しい戦いの音が響いている。
「あはは! いいなぁ、見てみたいけど今のうちに逃げよう!」
「ちょ、キアくんっ!」
ジグザグに進んでいくキアくんに、引っ張られ続けてしまう。
止めないと! 最強同士の戦いを止められる自身ないけども!
「あっ!」
キアくんの手が離れた。「こっちこっち!」と言うけど、私は足を止めてしまったので見失ってしまう。
戻ろうと振り返ると、岩の柱がまるで複数の道があるみたいに並びすぎていて迷路状態。
私、迷子になってないよね。洞窟で迷子になったら泣いちゃう。
引きつりつつも、激しい音がする方に向かってみた。
真っ直ぐ行けば、二人がいるよね?
なんて不安になりつつも、ジグザグと岩を避けながら歩いていくと。
「ルベナ様」
アーロンさんが私の手を掴んだ。ホッとする。迷子じゃない。
「こっちに行きましょう」
「いえ、レックスのところに戻りた……わわわっ」
にっこりするアーロンさんに、今度は引っ張られてしまう。
キアくんが進んだ方でもなく、音がする方でもない。
「あ、あの、アーロンさん!」
呼んでも止まってくれない。お願いだから、レックスの方に連れ戻して。迷う前に。
「星は好きですか? ルベナ様」
「星? 好きですけど……。そう言えば、この世界にはないですよね」
振り返らずに問われたことに、私は答える。
太陽も星もない。三つ月しかない。
「ありますよ。星」
足を止めてアーロンさんは、笑顔で振り返った。目の前に、洞穴。例のどこかに繋がる入り口だろうか。
アーロンさんが私の手を引いて中に入ってしまう。その先は、ひんやりしていた。そして仄かな青い光が見える。
行き止まりだ。ドーム型だけれど、天井が特別だった。
それは藍色の水面。泉のように揺れている。星空のように光が無数に散らばっていた。
その光景に息を飲んだ。この世界の星空がそこにあった。光は少し眩しいくらいだけれど、見つめていたくもなる。
嗚呼、なんて美しい世界なのだろう。
「こんな美しい場所を考えた人はすごい……」
ポツリと漏らしてしまう。ダンジョンの中の行き止まりの空間さえも、私は虜になる。拘ってくれたのだろうか。惹き付けるために、頑張ってくれたのだろう。
「ありがとうございます……」
アーロンさんを見てみると、まるで今褒められたのは自分だったみたいに、嬉しそうな微笑みを浮かべていた。
「女神様はもっと美しくしてくれました」
アーロンさんは、星空の泉を見上げる。
「冷たさを感じます、今までなかったのに。光をこの身に感じます」
私もまた見上げて、眺めた。泉の冷たさも、光りも感じる。
「ルベナ様。星空を飛ぶ夢を見たことがありますか?」
「星空をですか? んー、夜の空ならありますが、星は見なかったと思います」
さっきの話に戻り、私は考えてみた。夜のような空を、すいすいと自在に飛んだ夢なら見たことがある。
「では輝く星空を飛びましょう」
そう言って、アーロンさんは手を差し出した。私は目を見開く。
「え……え? これ、泳げるのですか?」
頭上の泉の中に入れるって意味かと思い、確認する。
この触れたら、ビシャーって溢れて落ちてしまいそうな泉の中に入れるの!?
「はい。ここは行き止まりに見せかけた、秘密の入り口です」
アーロンさんは上機嫌に笑う。
「この先に、封印された精霊がいます。召喚術士がレア従者を手に入れる限定クエストなんです」
「げ、限定なのですかっ?」
「はい。早い者勝ちです。ルベナ様、手に入れましょう」
限定と聞いては、億劫になってしまう。ただでさえ【月の王】を独占しているのに、新参者の私が手を出してもいいのか。
「精霊はまるで星空のように美しいですよ?」
「……あ、うぅ……」
美しいと言われては、一目見てみたい気持ちが上回ってしまった。
唸ったあと、私は頷くことにする。
行きます。封印された美しい精霊に会いに行きます。この星空の泉の中を、泳いで。
「では、行きましょう」
「え!? 二人で行くのですか? な、なにかと戦うんですよね?」
クエストだもの。戦いは付き物だよね。なにか強いモンスターが立ちはだかるんでしょ。
「大丈夫です。わたくしが援護するだけで、ルベナ様は倒せます。【月の王】も気にしていましたし、成長した証拠に示して見ましょう」
アーロンさんは大丈夫だって物腰柔らかく説得するけど、不安しかない。レックスのいない戦闘か。怖いなぁ。
でも、一人で戦えれば、レックスがパーティを反対しなくなるかもしれない。意を決してみた。
「はい。よろしくお願いいたします」
「お任せください」
ペコリとお辞儀をして、アーロンさんの手を掴む。アーロンさんは一言伝えると、私を抱え上げて泉の中に押し入れた。
水面の中に落ちるように、ぽちゃんと入いる。
息は出来そうにもない。けれども、視界は良好だ。水とはまた違うみたい。重力はないみたいに、浮いている。無数の光の球の中に、私はいる。
右を向いても、左を向いても、上を向いていても、藍色の星空の光景。
アーロンさんも、泉の中に入ってきた。光を浴びたアーロンさんの金色の長い髪が、星の輝きを纏う。私も浮いている自分の髪を見てみれば、同じだった。
眺めていたいけど、息が持たない。
微笑んだアーロンさんに手を引かれ、上へと泳いだ。あまり力も必要なく、簡単に浮上していく。
星空を飛んでいるみたい。ひんやりしているし、光が気持ちがいい。
ああ、本当にこの世界が好き。
三つ月が浮かぶ青い空も、赤い夕陽に染まる空も、この星空の泉も好き。
この世界が、愛しくてたまらなかった。
20150119




