14 主と従者。
朝、目が覚めれば麗しい王様の腕の中。欠点なんて何一つ見つからない美しい寝顔。
こんな朝を迎えるのは、四回目。ぼんやりと見つめたあと、そっと彼の首元に顔を埋めた。こうして、また眠ってしまいたい。
彼の背に手を回そうとして、私はハッと我に返る。
お、き、な、きゃ。
慎重に腕から抜け出してベッドから下りる。脱出成功。
どうしよう。ベッドに入った記憶がない。テラスでジェイソンさんと話して、レックスと二人っきりになって……思い出せない。
床に座り込んで、踞る。でも、まあいいかと起き上がった。酔ってる子をどうこうするような男ではないだろうし、俺様紳士だし、私を守るって使命をまっとうする従者だもの。
浴室に行って顔を洗ったあと、髪をとかして思い出す。今日のセットはよぞらさんの言っていた美容室でしてもらうんだった。
しっとりとした白銀の髪の感触を味わいながら、ブラシでとかしていく。
あ、そうだ。フェンリルにもブラシをしてあげよう。
浴室から出て、レックスがまだ寝ていることを確認する。それから、テラスに出た。
少し明るくなった藍色の空を見上げて、冷たいあの空気を吸い込む。静かな朝だ。気持ちいい。
しまっていた武器の杖をタップして出す。装備は出し入れ可能なんだよね。
コマンドの召喚から、フェンリルの名前を杖で叩く。
ふわりとそよ風が舞う中、少し眩い召喚陣から白銀の大狼が現れる。このテラスには、少し狭すぎなくらい大きい。大型犬の四倍くらい。
しー、と人差し指を口に当てて静かに中に入ってもらった。ソファーでブラシタイム。水色の模様の入った白銀の毛は、艶があって気持ちいいからついつい撫でてしまう。
もふもふ。ふふふ。
綻んで彼の額に頬擦りをして、むぎゅーと抱き締めた。あったかい。
フェンリルは種族であって、私はフェリーと呼んでいる。
グリグリと耳元を撫でてみた。耳あったかい。
フェリーは気持ち良さそうに目を細めて、やがて目を閉じた。
やっぱり召喚術士になって正解だな、としみじみ思う。無言のまま戯れた。
少しすると、腰をつつかれた。フェリーじゃない。振り返ると、猫っぽい姿の蝙蝠モンスター。レックスの仮の姿。
「R!!」
きゃわいい!!
むぎゅっと全力で抱き締めた。黒猫みたいにフワッとした触り心地は一瞬だけ。忽ち、レックスが元の姿に戻る。妙な体勢だったから、レックスと一緒にソファーの上に落ちた。レックスの頭を抱き締めて押し倒す形になる。
「ベッドから黙って抜け出すとは、いい度胸だな?」
かぷり、と首筋に甘噛みをされたものだから、私は結局今日も朝から声を上げることになった。
髪を下ろしたまま、よぞらさんと一緒に宿を出る。もちろん、レックスも。
美容室に行って、ダンジョン行きの準備だ。
昨日降り注いでいた紙の花は一つもなく、静かな朝。ちらほらいる街の人に挨拶されるので、深々と頭を下げて挨拶を返す。
「……あの、ファンです。愛名さん」
「あ、ご存知でしたか。光栄です、ありがとうございます」
恐る恐る言ってみれば、道端で頭を下げ合った。こちらこそ。
「ぶ、不躾な質問だとは思うのですが、あの……デビューはしないのですか?」
「はい。ただ作って歌うのが好きなので」
笑顔でよぞらさんは答えた。明るい声が可愛らしくて、笑顔と一緒にキュンとしてしまう。
「今の生活に満足しているんですよね。愛する人と一緒に、何でも屋を生活費を稼いで、曲作って歌って、こんな非現実を味わえれば、人生は最高ですから」
私の前でローブと赤い髪を舞い上がらせて、くるりと回った。
すごい人は、充実しているんだなぁ……。
「彼がいれば……今も最高なんですがね」
「す、すみません」
笑顔がなくなり、がくりと俯いたよぞらさんはとぼとぼと歩く。
「惜しかった……あと少しで彼も来れたのに……」
「……恋人さんも、喜びますか?」
「ん? ……さぁ? 彼はわたしが幸せなら満足するので」
「えっ」
なんとなく訊いたら、よぞらさんは首を傾げた。
「わたしの願いを叶えるためなら、悪魔と取り引きして世界を壊そうとするような人なんです」
よぞらさんがおかしそうに笑う。すごい例え。それくらい溺愛されているってことかな。
……会ったら、引き裂いたことを怒られそう。
「話が変わりますが、その……この状況に対応できていない人はどのくらいいますか?」
「数人ほど高校生以下がいましたが、宿のお手伝いをしています。見たところ、ほどんどのプレーヤーが前向きに順応しようとしていますよ。大丈夫ですよ、人間は元々順応能力が高い生き物ですから。中でもオタクやゲームをする人はわりと高いはずですし」
私の質問に応えると、よぞらさんは軽く笑った。
「あまり気に病むことないですよ。誠意を持って、ログアウトをさせてあげればいいんです。このゲームは異世界ファンタジーを楽しむものですし、本物になったら喜ぶべきです。ゲームがしたいだけなら、プレーヤーらしく戦ってアイテムを取りに行けばいいんです。仮にも勇者なんだから、痛みにも恐怖にも挑んで偉業を成し遂げろって思うんですよね。今現在、本物の戦士であり魔法使いであるのですから、挑めって言うんですよ」
よぞらさんは可愛い笑顔のまま可愛い声で、淡々と言葉を並べた。
ま、まさかこの人、毒舌キャラ!?
「甲冑着た人が踞っていると……この臆病者め! と言いたくなりますね」
「言っちゃだめですよ!?」
「あはは。これで一曲作ろうかなぁ……」
いい笑顔でよぞらさんが私を向くから、びくりと震え上がる。
「ほーう。なかなかいい女じゃないか」
レックスが口を開いたから驚いた。
「お褒めいただき、ありがとうがざいます」とよぞらさんは笑みを返す。
「そ、そうか……レックスはよぞらさんみたいな人がタイプなのか……」
「……妬いてるのか?」
「べ、別に」
「ふーん?」
ニヤリと笑うレックス。昨日のことを思い出してしまったので、私はちょっぴり離れた。
「お二人は、付き合ってるのですか?」
にっこり、とよぞらさんに問われてぎょっとしてしまう。
「いえいえ! 私とレックスは召喚術師の主と従者であって、決してそのような関係ではないです!」
「……」
ドン、と言い退けたら、レックスが不機嫌な顔をして見下ろしてきた。
え!? 違うの!?
「ふふ。あ、着きましたよ」
小さく笑ったよぞらさんが指差すのは、美容室。
その名の通り、髪型を変えるお店。煉瓦の家だけれど、硝子張りの面があって中が見えた。プレーヤーらしき数人が、激しく手を振っている。
私かな……レックスかな……愛名さんかな。
「あ、彼女達は異世界だと認識しています」と一言。よぞらさんは、先に中に入っていった。
「おはようございます、いらっしゃいませ、女神様!!」
興奮した様子で、声を揃えて挨拶をされる。
「店長のザッカリーです。ご来店、ありがとうがざいます」
この世界の住人の美容室の店長は、オカマさん。長身マッチョで、赤と紫のグラデーションの派手な髪型とメイク。語尾にハートマークつけているような話し方だ。
「俺のことは、ツカサって呼んで」
双剣のプレーヤーが名乗る。姿は黒髪と黒コートで青年なのだけれど、声は女の子に思えた。
「あ、中身は女ッス!」と告白した。性別を変えたのか。
「うちは、サーシャです!」
巫女姿の女の子が右手を上げた。
「自分は、ウキョウです」
クールな雰囲気の黒スーツとポニーテールの女性は、銃使いかな。
サーシャさんに急かされて、椅子に座る。カットではなく、ただ編み込んで三つ編みにしてもらうだけ。でもこうして美容室でやってもらうと、ドキドキしちゃう。
レックスはまたプレーヤーを警戒しているのか、私のすぐそばに立ち、腕を組んだ。皆少し気圧されている。
「ルベナさんは、リアルではどんな髪型なんですか?」
ステータスの確認をしているらしいよぞらさんだけは気にした様子はなく、私に問う。
「ボブです、茶髪の」と店長さんに髪をとかされながら答える。
よぞらさん達も自分の髪型を教えてくれた。
話題は、ツカサさんの容姿に変わる。何でもBL漫画のキャラだそうで、熱心に語ってくれた。
「実際は、俺デブなんだ……」
「それは言わない約束よ」
「こっちでは余分な肉が無さすぎる……」
「それな! ナイスバディー!」
「でも今からジムには行けないよね。今は絶対に痛いよね」
「麻酔なしで身長を伸ばしたり削ったり、顔をいじくったりしちゃうのかな、あはは」
よぞらさんが笑うけど、想像した私達は青ざめる。
ジムの方では体型を変えるけど、ゲーム時のひょいひょいと変えるようなことは今はできないはず。
「でも今なら素敵な髪型に変え放題よ! 奇跡の前までは、勇者達の髪型は決まったものばかりしか注文しないからつまんなかったのよね!」
ザッカリーさんが言った。
「そうそう! 髪型は決まったものしかできなかったけど、今は髪を結ぶこともできるしね、ウキョウみたいに!」
「あとね、服もアレンジし放題!」
「ていうか、服作るんだぁ!」
制御のない今、可能になったことは山ほどあるようで、プレーヤーも店長もはしゃいだ。
決められたパーツ以外にも、好みや個性を取り入れることの嬉しさが堪らないらしい。
「それにしても羨ましいなぁ、女神様。【月の王】を従者にするなんて……」
不意にツカサさんがレックスに目を向ければ、一同が注目した。
「す、すみません……独占して」
特殊能力で見目麗しい【月の王】を、独り占めしていることに罪悪感を覚えて俯いてしまう。
「……【月の王】様。どうか、俺に"このデブ、痩せろ"と罵ってください!」
ツカサさんがレックスと向き合ったかと思えば、そんなことを言うものだから吹いてしまった。
「実物のイケメンに言われたらダイエット効果があるはず!」と拳を固める。
ダイエットのために、罵ってもらいたいのか。わ、私なら無理。
「ハン。綺麗になるために罵られたいだと? バカか貴様。女なら綺麗になって好きな男に褒められて、更に綺麗になれ。女を綺麗にするための罵る言葉など、この世にはない」
嘲笑ったかと思えば、レックスは真面目に言い切った。それがイケメン過ぎて、私達全員は悶えた。心も乙女の人も含む。
「ふああぁっ」
「アタシを綺麗にしてっ」
「【月の王】がイケメン過ぎて、ツライッ」
「ちょっ、女神様! いつもこうなの!?」
「はいっ、四六時中俺様イケメンですっ」
いや本当にこんなイケメンを独占して申し訳ありませんきゃあああ!
「はい、出来たわ! 【月の王】様に綺麗って言われてるから、こんなに美しいのかしら? きゃあ!」
興奮したザッカリーさんのセットが終わった。カチューシャのように編み込んだあと、後ろで三つ編みにした髪型。今までレックスが簡潔にやってくれたけれど、やっぱりプロがやると上手いと感心してしまう。編み込みは難しいもの。
いや、レックスに言われたことないけども。
「……あ、言っていないな」
じっと見てくるレックスが、ボソリと呟いた。
「【狐月組】は、当面の資金を稼ぐために金の森に行きます。宿代やログアウト代のためにも、大勢で行ってきます」
よぞらさん、がそう告げた。
金の森とは、文字通り金のなる木のこと。プレーヤーは一日一回だけ、金貨を採取が出来る。
制限されていたけれど、今はなってるだけ取れるのだろうか。
「ダンジョンの近くにあり、レベル40以上の魔物が彷徨いているので、この街の住人は元々そこを利用しないのだとか。だから取りすぎても大丈夫そうです」
「そ、そうですか……調べたのですか?」
「はい。情報は武器ですよ。集めておくので、またなにかあればご報告します。また、ルベナさんと【月の覇者】のダンジョン探索は宿の掲示板に張り出しています」
「え!?」
「努力をしているとわかってもらうために、必要ですので」
げ、芸能人みたい。ダンジョン行きは別に隠すものでもないから、いいけども。
「あ、【月の覇者】の……えっと、アーロンさんがいますよ」
よぞらさんは外を指差した。硝子の向こう側にアーロンさんは立っていて、私に手を振っている。
ザッカリーさん達にお礼を伝えてから店を出ようとすれば、呼び止められた。
「白いロングブーツは綺麗だけども……」
「白はちょっと太めに見えるから、うちには履けない……」
「女神様、チャレンジャー……」
「!?」
白いニーハイブーツについて、言われてしまった。
足が太く見えてるの!? ひぃいいっ! それは嫌!
ラピスラズリーのように金色のラメが散りばめられた藍色のコルセットと同じ色にチェンジ。ふわりと光が舞う。
ずっと白だったから、柔らかいインナーは青と緑のオーラ色に変えてみた。ちょっとお金が減っちゃったな。
ぱちぱちと皆に拍手されたので、照れながら会釈。
レックスと外に出ると、アーロンさんがキラキラした眼差しを向けた。
「今日もお美しいです、ルベナ様。藍色の夜空に浮かぶオーロラの精のよう……いえ、あなた様は女神の方がぴったりです。傅いて祈ってもいいですか?」
「丁寧にお断りしてもいいですか?」
アーロンさんに傅かれるのは、ちょっと……。
「……アーロンさん、それは素ですか?」
「はい? あ、胡散臭いですか? キャラですが、本心ですよ」
キラッ、と笑顔で言い退けた。キャラなんだね……。
「紳士口調は憧れでしたので、この姿ではこのキャラを貫くつもりです。現実ではどうも恥ずかしいですが、完全に容姿が違う今ならば成りきれます」
さっきのツカサさんもそうだったし、コスプレも現実よりも忠実に出来ちゃうし、違う自分に成れる。
私も格好が違うし、特別な力だって持ってるし、この世界にいる自分が好きだ。
アーロンさんも現実の自分に不満でもあるのかと見ていたら、彼が肩掛けをつけていることに気付く。
いつもの神父姿に付け加えてる。それを留めているボタンが、私の襟型チョーカーにつけた宝石とよく似ていた。
「あ、これは信者の一人が作ってくれたのです。ルベナ様の信者はこれをつけています」
「なに信者って!?」
「今朝、ミサを済ませました」
「なにしてるのアーロンさん!?」
「神父ですから」
キラッ、とアーロンさんは言い退けた。
とんでもないことをやってたよこの人! 物凄く余計なことをしてるよこの人!
「おい、ルベナ。そんな奴に構ってないで、さっさとダンジョンの準備をしろ」
「あっ! そうだったね」
「お付き合いします」
レックスに急かされて、道具屋に向かう。アーロンさんはついてきた。
「ダンジョンでは回復薬はどのくらい必要ですかね? 私、ソロ中は自動回復設定していたのでたくさん買い置きしてましたが……」
「回復なら、わたくしがついています。そんなに買い込まなくとも大丈夫ですよ」
所持している回復薬を自動で使うように設定していた。今はそれは機能しなくて、苦めの薬をゴクゴク飲まなきゃいけない。
バックの中は、枠で区切ってある。しまう時は光になって、嵌まる。例えば回復薬は100個は同じ枠に収まると言った形。そこのところはゲームのまま。
回復職とパーティを組めるなら、安心してもいいかな。
「あ、召喚石……可愛いなぁ」
薬を買い終えたあと、召喚石の店が目に留まる。
戦闘には使えないけれど、移動用に使う召喚ものだ。幼い狼や虎、雛までが展示されている。実際は乗れるくらい大きいものが来て、乗せてくれるんだ。ちょっと高いんだよね。
召喚術師は呼び放題だから、得してる!
でも召喚石の子達も、欲しいぃ。
「……そう言えば、ルベナ様は召喚術師になったばかりでしたね。ではまだ召喚クエストをやっていないのですか」
「召喚クエスト?」
「従者を手に入れるクエストですよ。レアな従者が手に入れることができます」
召喚従者を増やすクエストか。どんな従者かとワクワクしながら訊こうとしたら。
「フン。俺以上の従者はいないだろうが」
レックスが鼻で笑い退けた。
魔人の国の絶対君主【月の王】以上の超レアはいない。
レックスから、アーロンさんに目を戻す。アーロンさんは笑顔のまま首を横に振る。いませんね。
「あ、そうだ、武器の強化をしなきゃ」
「もう済ませてあるぞ」
「いつの間に!?」
「俺以上の従者はいないだろう?」
「素敵すぎ!」
自信満々な笑みをニヤリと浮かべて、腕を組んだレックス。本当にいつの間にやってくれたんだろうか。
装備の最大強化も済んだので、宿に戻ることにした。
合流して、今日こそダンジョンへ。
20160107




