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クラウド

 ある日の平日。

 僕は家庭の事情を理由に一日休みを取っていた。

 家庭の事情、と言っても、美波さんは職場へ向かい、凜花も同じく幼稚園。

 

 そんな二人を除いた僕の家庭事情と言えば……。

 ターミナル駅から少し歩いた場所にある年季の入った雑居ビル。

 初めてここに来てから、一年と少し。

 一度は口論となり、結局依頼をすることもなかった場所。


「あ、おはようございます。清水さん」


「おはよう。大石さん」


 大石円香。

 彼女と僕は今、探偵と依頼主という雇用関係を結んでいる。

 

「いきなり気温が下がりましたね」


「そうですね。少し、鼻声じゃないですか?」


「あはは。昨日はここに缶詰でしたから……」


「それはそれは。中々お忙しいんですね」


 ズビビ、と大石さんが鼻をすする。

 そんながさつな姿を見ていると、折角の整った顔が台無しだな、と思わずにはいられない。

 勿論、そんなことは口にしない。

 

「それで、何か収穫はありましたか?」


 僕が彼女に依頼している内容。

 それは、初めてここにやってきた時と同じもの。


 明美のスマホから見つけた写真の男の捜索だ。


 あの時は、確か僕は凜花の親権を手放すためにその男を探していた。

 ただ、今は違う……。


 今は……件の男から慰謝料を奪うこと。

 それが、僕が彼女に仕事を依頼している理由だ。


「もうそろそろ一年になりますか。あなたの依頼を受けてから」


 しみじみと、大石さんが言った。


「そうですね」


「まあ、当初の想定通りですね。やはり捜索は難航しています」


 ここに来るのは、一月に一回と決めている。

 一月、合間を見て彼女に男の捜索を任せて、定期連絡という形でこうして赴くのだ。


 ただ、今日までのこの定期連絡で、彼女から良い連絡を聞けた試しはない。


「今回は奥さんの実家方面を当たってみました。近隣住民への聞き取りとか、色々。だけど、空振りです」


 これまで彼女が当たってくれた調査先は、かつての明美の交友関係や地元など多岐に渡る。

 ただ、警察でもない彼女が手を出せる捜査ではやはり確信に至ることは出来ず……さっき彼女が言った通り、事態はそんなに芳しくない。


「では、今月の依頼料です」


「……どうも」


 男の捜索の糸口を掴めないながら、僕は当然、彼女に依頼料を支払っている。

 この定期連絡は、その依頼料の支払いの場も兼ねているのだ。


 ただ、捜査が芳しくないからか、お金を受け取る彼女の顔は仄暗い。


「一体、どこの馬の骨なんでしょうね」


「本当ですね。早く、その面を拝みたいものです」


「……ねえ、清水さん?」


 大石さんは、続けた。


「これ程調べても何も見つからないのであれば、手法を変えるべきではないでしょうか?」


「……お金は渡しているはずですが、嫌気でも差しましたか?」


「差しまくりです」


 大石さんは呆れた顔をしていた。


「何も成果がないのに、お金だけはキチンと支払われる。責任感と罪悪感が募ってばかりです」


「……あなたは優しいですね。男を見つけない限り、一定の収入が見込めるのに、そんなことを言うだなんて」


 彼女が男を見つけられない限り、僕は彼女にこの依頼料を毎月払い続けることになるのだ。もし彼女が悪人だったら、この関係を悪用して半永久的に僕からお金をむしり取る策を考え出してもおかしくない。


「……あたしだって、別の仕事があるんです。これ以上首を突っ込むくらいなら、別の仕事を受けた方が良いと思い始めたまでです」


「本当に?」


「……はい」


 重々しい彼女の頷きからは、言葉通りの意思は感じられなかった。


「初めて会った時は、あなたの性格がこんなだとは思わなかった」


「どんなだと思ったんです」


「もっと、優柔不断な人だと思いました」


 初めて会った時、凜花の親権を妻の不倫相手に渡そうとしていた時の僕だったら、確かにそう思えたかもしれない。


「……今でも迷ってばかりですよ」


「でも、今のあなたの執着心は凄まじいと思います」


「そうでしょうか?」


「もう、托卵相手を訴えて、仮に慰謝料を奪えたとしても……この一年であたしに払った額で、相殺されるんじゃないですか?」


「……」


「あなたがそれに気付いていないとは思わない」


 重々しい空気が流れていた。

 言葉を発するのも躊躇ってしまいそうになるような、そんな空気だ。


「清水さん、あなた……本当に、慰謝料目的であたしに仕事を依頼しているんですか?」


 僕は大きく息を吐いた。


「不倫の消滅時効は、発覚から三年だそうです。あと、二年しか期間は残されていません」


 思った返事を寄越さない僕に、大石さんは辟易とした顔をしていた。


「引き続きよろしくお願いしますよ、大石さん。良い連絡、お待ちしています」


 これ以上、ここで話すことはない。

 そう思って、僕は立ち上がった。


「……清水さん、奥様のスマホは、あれ以降触っていますか?」


 去り際、彼女に尋ねられた。


「……」


「……おかしいと思いませんか?」


「何が」


「メッセージアプリやメール、通話の履歴はない。なのに、写真だけはある」


「……」


「もう少し、あのスマホを調べた方が良いのではないでしょうか?」


「時々やってるよ、娘が寝ている間に。一人こっそりとね」


 しかし、どれだけ調べようが……あのスマホからあれ以上の情報は得られそうもない。

 だから、あのスマホをこれ以上調べるのは止めたのだ。


「奥様の不倫は五年前……いいえ、一年経ったから、六年前ですよね」


「……ああ」


「五年前だったら、スマホも機種変更くらいしているのでは?」


「……!」


「最近のスマホのデータ移送は、各携帯会社のクラウドサービスを経由していることが多いですよね」


「……そうか」


 クラウドサービスか……!


「メッセージアプリの履歴は、機種変更の時にうっかりすると消えてしまう。メールアドレス、電話番号の情報は、クラウドから移行する際、まだ取捨選択をしやすい。だけど、膨大な量がある写真は移行の際に手抜きがちになり、一括移行してしまう……っ!」


 だから、あのスマホには画像以外の情報が残されていなかった。


「……あなた、いつからそれを?」


「最近です」


 自分のスマホを、大石さんは机に置いた。


「最近、スマホの機種変更をしたんです」


 そして、照れくさそうに笑った。


「……調べてみます」


「そうしてください」


「はい。……はいっ!」


「……清水さん?」


「……はい?」


「娘さんが悲しむようなことだけは、しないであげてください」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 大石蔵人?
[一言] 現状でさえ心に罅入ってんのにクラウドデータ見つけたら発狂しそう
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