3-2 地獄の特訓
「魔王って、あれよね。魔族の王、って書くやつよね」
「そうだよ」
「なるほど、特待生になるわけよね。それは確かに、私と同じ特級の前世だもの」
「それで、それを聞いた勇者はどうするの? 私を討伐でもしてみる?」
儀同さんはきょとんとした。
「なんで?」
「なんでって、勇者と魔王ってそういうモノでしょ」
「よく知らないわ、最近は勇者と魔王が仲いいストーリーだってあるんだから」
儀同さんは手足を伸ばし、ストレッチを開始していた。
「何してるの?」
「ストレッチ」
「いや、それは見れば分かるけど。私が聞きたいのは、なんでストレッチしてるのかってことなんだけど」
「これから自主練するからに決まってるじゃない」
疑問などどこにもない、とでも言うようにはっきりと言い切っている。
儀同さんは立ってできるストレッチを一通りこなし、体育館の床に座って脚を広げた。ほぼ180度開いている。おそるべき柔らかさだ。
「そうなんだ。がんばってね」
私は応援を送って、体操着に手をかけた。
もう話が終わりなら、着替えて寮に戻ろう。
「何してるの?」
儀同さんはぺたんと体を前に倒しながら、不思議そうに聞いてきた。
なぜそんな意外そうな顔をするのだろうか。
私はTシャツを脱ぎかけて首に賭けたままの状態で手を止めた。
「着替えて寮に戻ろうかと」
「なんで? 自主練しないの?」
「私もするの?」
なんで?
「一緒に自主練しようと思って誘ったのに」
そんなこと、一言も言われた記憶無いんだけど。
もしかして儀同さんて不器用な子なのかな。
「私が特待生かどうか聞くためにここに呼んだんじゃなかったの?」
「そんなのただのついでよ。自主練しないのに体操着に着替えるわけないじゃない」
言葉が足りなさすぎる。
というか、入学式の時の凜々しい雰囲気はどこに行ったのだろう。
「それ先に言ってよ」
「……言わなかったっけ?」
儀同さんはしれっと体をねじっている。
「いいから顔貸せ、としか言われてないよ。シメられるかと思ったよ私は」
「ごめんなさい。じゃあ改めて、一緒に自主練しましょうよ」
体をねじる方向が変わった。
「やです」
「まぁまぁそんなこといわずに。自主練に付き合ってくれたら、鬼沢さんの言うこと一つ聞いてあげるから」
「そんな取引には応じません」
つんとして、私は改めてシャツに手をかけた。
「そんな」
と言う儀同さんの姿が床から消えた。
どこに、と思った私の両肩に手がかけられた。いつの間に背後に。速すぎる。
「こと言わないで」
私の脚から力が抜けて体がストンと落ちた。床に尻餅をつく直前に何かが私のお尻を支えて軟着陸、私は開脚の姿勢で床に座っていた。
「付き合ってよー」
儀同さんが後ろから私の上体をぐいっと前に押し倒す。
「いたいいたい!」
ぐっと押されて股関節に痛みが走った。
そこでぴたっと後ろからの力が止まった。
「鬼沢さん、体硬いのね」
柔軟性というモノにほとんど縁の無い私だ。足は開いて90度を少し超えるくらい。
ガチガチだ。
「そりゃあね! 運動なんて学校の体育くらいだったからね!」
私は叫んだ。
いい加減解放してくれないだろうか。
「じゃあまずは120度目指して頑張りましょう!」
儀同さんにはそんな考えは毛頭無いようだった。
「なんでがんばる前提なの!?」
「がんばらないの!?」
「がんばらないです。私は攻略者になるつもりはないです」
「そうなんだ。じゃあここには何をしに来たのよ?」
私は、うっかり全て叫びたくなる衝動を飲み込んだ。
彼氏に振られた上に高校全部落ちてどうでも良くなった、なんて言えない。
だから、結論のところだけ言うことにした。
「友達作って、一緒にスタバで無駄話するために」
「素敵!」
てっきり馬鹿にされると思っていたが、儀同さんは弾けるような声をあげた。
「じゃあ今日の帰りにスタバ寄りましょう」
「え、それ自主練の後の話?」
「もちろん。私は、あなたと自主練したい。あなたは、私とスタバ行きたい。Win-Winだわ」
「どこが!? そもそも儀同さんとスタバ行きたいとは言ってないよね!?」
「仲良くしましょう」
儀同さんが背中を押してきた。
痛い。これは脅迫なのではないだろうか。
「なんで!?」
「私、勇者だからか、友達少ないのよ。お願い」
勇者とは関係ないところが原因では、という言葉が喉まで出た。
しかしこのままでは、儀同さんは私を解放してくれそうにない。
「わかったよ。まずは今日だけね!?」
今日限定の友達。
これでなんとか乗り切ろうと私は思った。
「まずは今日からね!」
おそらく儀同さんは勘違いしたが、これはこれで仕方ない。
私にはまずは今日乗り切ることが最優先なのだ。
「じゃあまずは柔軟から。はい、脚閉じて、いくわよー」
「いたいいたいいたいって!」
「大丈夫、柔軟で死んだ人はいません」
「柔軟で死ななくても筋切れるー!!」
「切れません。ちゃんと加減してるわ」
「あぁー!!」
私は悲鳴を上げた。
一通り柔軟で泣かされた後、儀同さんは体育館から出て校内を走り始めた。
「まず10周!」
と言って儀同さんはさっさと走って行った。
きっと普段から走り込んでいるのだろう、すごい速度だった。
私はと言うと、儀同さんに比べるとナメクジみたいな速度だった。
息もすぐ切れた。
5週目くらいからは儀同さんが横を走って応援し続けてくれた。
応援なのか監視なのかはもはや分からない。
それでも私は10周を走りきった。
「走りきったらキャラメルマキアート! 途中で諦めるなんて、スタバの店員に馬鹿にされるわよ、ファイト!」
と、夢にまで見たスタバのメニューを連呼されて煽られては走りきるしかなかった。
伝説のキャラメルマキアートよ!
写真でしか見たことない夢の飲み物よ!!
待っていて。
私はきっとこの試練を乗り越えて飲んでみせる!!
10周を走りきって、私は地面に倒れた。
胸の中で心臓が跳ね回っている。肺も酸素を求めて拡張と収縮を繰り返している。
呼吸をいくらしても足りない気がする。
「お、おわ、った……」
息も絶え絶えに私は拳を突き上げた、
やりきったのだ。
これでスタバが。
「お疲れ様」
そういう儀同さんの手には木刀が二本。
「……まさか」
終わりじゃない……だと……!?
「やっと準備運動が終わったところでしょう」
そう。これは地獄の始まりにすぎなかった。
全ての自主練メニューが終わったのは、午後20時を回った頃だった。
「はい、キャラメルマキアート」
儀同さんが私の分と注文してくれたスタバの商品を渡してくれた。
儀同さんの手には、『グランデなんとかチョコレートなんとかダークなんとかフラペチーノ』なる謎の呪文を唱えて召喚された巨大な飲み物があった。呪文は意味が分からなすぎて覚えられなかった。
今日スタバデビューを果たしたばかりの私にはとても唱えられない高等呪文だ。
勇者畏るべし。
「美味しい?」
シンプルなキャラメルマキアートを飲む私に、儀同さんが聞いてきた。
疲れた体にキャラメルとバニラの香りが効いたラテがしみこんでくるようだった。
「美味しい……これが……スタバ……」
お母さん。私はついにスタバデビューを果たしました。
「自主練の後の甘いものは最高よね」
「儀同さん、ありがとう。自主練のときは鬼かと思ったけど」
「失礼ね。私は鬼じゃなくて勇者よ」
いいえ鬼でした。完全に鬼でした。
ギリギリで死ぬ方に脚を突っ込むくらいのメニューを強制してくる鬼でした。
私には心の中で突っ込む元気しか残っていなかった。一年分のツッコミを今日した気がしていた。
「今日は楽しかったわ、私の自主練に最後まで付き合ってくれる人、なかなかいないの」
「まぁわかる」
儀同さんは人の話を聞かない。
自主練で言えば、限界についての相手の自己認識を問題にしていない。無理と言ってもやめない。
客観的な限界を見極めて、それを伸ばすべくギリギリのメニューを強制してくるのだ。
特訓の鬼だ。
「無理ってところでやめずに、ほんとのギリギリまでさせにくるもんね」
「それ、赤城さんにも言われたことあるわ」
「そうなの?」
「えぇ。赤城さんとは同じ中学でね、よく争ったわ」
「勇者と争うとは、さすが……」
「昔は、私の方が全く歯が立たなかったのよ。彼女、武道については天才的で、小学生の頃はいろんな大会を総なめしてたわ。神童だって、周り中が期待してた。
さぞすごい前世に違いない、そうして望んだ診断の結果は村娘。周りは一瞬で手のひらを返した」
私は儀同さんの話を黙って頷きながら聞いていた。
「一方の私は勇者。でもそれまで彼女に一度も勝ったことはなかった。前世の力が少しずつこの体に出てくるようになって、やっと勝てるようになったけど、いまも技術で言えば私は赤城さんには遠く及ばない」
儀同さんはじっと自分の右手を見た。
「銀月に来れば、赤城さんとはもう会うことはないと思っていたのに、赤城さんはここにまで来ていた。
私はあの子が怖い。
彼女は、今世の技と努力だけで、私の前世を含めたものを超えてくるんじゃないかって。
そう思うと、私も限界まで鍛えなきゃって思うのよ」
私の知らない話だ。
私は菜摘とそんな話をしたことはない。私はそういう真面目な話にならないようにしていた、といってもいいのかもしれない。
「どうして、その話を私に?」
私は聞いてしまった。深みをえぐるような質問だと私自身理解していた。
儀同さんは、私の目を見て、いたずらっぽく笑った。
「ふふ。勇者って、おせっかいなものなのよ」
そうですか。
私たちはスタバのドリンクを飲みながら寮に戻った。
部屋に戻る別れ際、儀同さんが聞き捨てならないことを言った。
「明日朝、6時に起こしに行くから、よろしくね」
「なにを?」
「そりゃあ、朝の自主練よ。楽しみにしてるわ。おやすみ!」
そう言うやいなや儀同さんはさっさと部屋に入っていってしまった。
断る暇も無かった。
「……」
なんとなく、途中からわかってはいたんだ。
今日だけになんてなることはないって。




