2-1 月の町
それから10日後、私たち新入生は月にたどり着いた。
50人乗り貨客宇宙船が、降下速度を抑えるための噴射炎を吹かしながらゆっくりと降下し、月の地表に設けられた発着台へと落ちていく。
宇宙船の着陸脚が発着台を捉えた。噴射が終わり、宇宙船が地面にへばりつくように沈み込んだ。
機長のアナウンスが客席に響いた。
「当機はただいま、月面発着場に着陸いたしました。ターミナルとの連結及び下船の案内がなされるまで、シートベルトを外さず客席を立たないようお願いいたします。現在の時刻は地球標準時午後16時15分です。長旅お疲れ様でした」
私は、宇宙船の窓から、荒涼とした月の景色をじっと眺めていた。空は黒く、無数の星が光る中で半月のような地球がぽっかりと青く美しい姿を見せていた。
地面は起伏が少なくなだらか、どこまでも灰色一色が広がっている。
写真でしか見たことのない光景が目の前にあって、なにか圧倒的なものを前にしているような気分だった。
なるほど、実物の迫力は違う。
私は複雑な思いでその景色を眺めていた。
「すごいね」
隣に座っていた菜摘が身を乗り出して窓をのぞき込んできた。
「うん。これが月なんだね」
月面への着陸は、月面ダンジョン攻略関係か公的な月面調査以外の者には一切禁止されている。
私たちくらいの年齢で月面に来れるというのは特別なのだ。
「地球は青かった」
菜摘がぼそっと呟いた。
「何それ?」
「ずっと昔の人が、はじめて宇宙から地球を見てそう言ったらしいよ」
「ふぅん」
菜摘は気に入っている文句のようだけど、私にはその言葉の良さがよく分からなかった。目の前の光景は、言葉にはできないものがあると思っていた。言葉にしてしまうのはもったいない。
しばらくして、宇宙船にボーディングブリッジが接続された。
宇宙船の船員達が慌ただしく動き始めた。
さらに数分待って、ようやく機長から下船の案内があった。
「それでは皆さん、降りますよー。1組から付いてきてくださいー!」
楓花先生が『引率の教職員の一人』のような顔をして新入生達を先導していた。
たぶん、新入生で楓花先生が理事長だと知っている人は私以外いないだろう。学校理事長の名前をわざわざ調べるような女子高生はいない。メリットないし。
入学式では学長の挨拶しかなかったし、楓花先生はこっそりと教職員列に並んでいただけだった。
時々他の教職員が苦笑いしていたり緊張しすぎていたりしたくらいがヒントと言えばヒントだが、ヒントがこの程度ではかなりの難問だ。
私たちは宇宙船から下りて、月面宇宙港のターミナルに入った。
私はうっかり地球の感覚で床を蹴ってしまい、ふわりと跳び上がってしまった。
菜摘が手を捕まえてくれて、床に引き戻してくれた。
流れに任せてぞろぞろと通路を歩いて行くと、入国審査のブースについた。
『United Nation Controlled Area』
国連の紋章と共にそう掲げられている。国連管理区域。どの国の領土でもない月面だが、月面ダンジョン攻略のためにはどこかがそこに入る人員を管理しなければならない。
そのようなことができる国際機関は国連しかないのだった。
私たちはパスポートを見せて一人一人チェックされ、入国ゲートをくぐった。
「ようこそ月面ダンジョンへ」
係官が、私のパスポートに判子を押しながら英語で挨拶してくれた。
「サンキュー」
私はパスポートを受け取って、奥に入った。
奥には1台のエレベーターがあった。ボタンは下行きだけ。定員25名の大きなエレベーターだ。
エレベーターのかごはガラス張りだったが外は見えない。
私たちはそれに乗って、下に降りていった。
月の軽い重力のせいで体が浮き上がりそうになった。
少し降りていくと、エレベーターの外が急に明るくなった。
月面空洞の中に出たのだ。
空洞の天井に並べられたライトが昼間のように明るく中を照らし出していた。
それと同時に急に体が重くなった。地球と同じ重さだ。
「え、重力?」
「月なのに?」
エレベーターの中に動揺が広がった。
「月面空洞とダンジョンの中は、地球と同じ1Gの環境になっているんですよ」
楓花先生が解説係を買って出た。
「月は地球より軽いから重力が小さいはずじゃないんですか?」
生徒の一人が楓花先生に尋ねた。
「良い質問です! もちろん、ここ以外の月面では地球の6分の1の重力しかありません。これは、月面ダンジョンがこのような環境にしている、と考えられているのです。重力制御ってやつですね。まだ人類が手にしていない未知のSF技術です」
私たちを乗せたエレベーターは、空洞の底に向けて一直線に降りていく。
空洞の底には、大小大きさの違う円形の区画が離れて点在していた。建物はそれぞれその円形区画の中にある。
その円の一つ一つが世界各国の攻略隊の基地だ。
もちろん、日本の基地もその円の一つで、銀月高校はその中にある。
エレベーターは再び空洞の底の建物のエレベーターシャフトの中に入り、停止した。
エレベーターを出た先には、再び管理ゲートがあって、国連の係員が一人一人を再度チェックしていた。
こちらの係官は日本の高校生にサービスするという精神は持ち合わせていなかった。
事務的な無愛想さで私はチェックを受け、ゲートを通った。
そこから2台のバスに乗って、日本区画へ。
建物の外は荒野そのものといった状態で、ごつごつした小さな岩が転がっていて一本の草木もなかった。道は所々分岐で分かれ、その先に各国の円形区画を守る高い壁がそびえていた。
日本区画に入るところでも、私たちはバスに乗り込んできた日本の係員にチェックを受けた。
こう何度もパスポートを出させられると、いいかげん面倒になってくる。
チェックが終わり、バスが日本区画のゲートから中に入ると、一気に都市が現れた。
間隔を広くとって並んでいる建物は高いものでも5階程度だが、道は広く、街路樹が植えられて良く整備されていた。
バスは銀月高校の校舎の前に止まった。4階建ての、ネットのHPにも写真が出ていた校舎だ。
私たちは楓花先生に先導されて校舎に入り、1年1組の教室に入った。2台目のバスに乗っていた新入生は1年2組の教室に入っていったようだ。
机には新入生の名前が書かれた書類が置かれていた。
私はその中に自分の名前の書いてある書類が置いてある席に座った。隣の席が菜摘で、私はちょっと嬉しかった。
「はい、それではもうすぐ担任の先生が来るので、静かに待っててくださいね!」
「えー、楓花先生じゃないのー!?」
生徒達から声が上がった。
悪魔の顔を全く出さない楓花先生は親しみやすく、新入生達に人気があった。
私だけが知っている。
そいつは悪魔だ。みんな気をつけて。
「そうなんです、私若すぎて任せてもらえないんですよぉ」
悪魔はいたいけな新入生を騙して遊んでいる。
「さっちゃんて、楓花先生嫌いなの?」
菜摘が小声で聞いてきた。
「ちょっと苦手なタイプかな」
私は濁した。
楓花先生は一通り騙しきって満足したのか、手を振りながら教室から出て行った。
「どうして?」
私は菜摘に聞き返した。
「なんか睨んでたから」
睨んでたか。私は全く意識していなかった。気をつけよう。
しばらく教室で待っていると、再び教室の扉が開いた。
入ってきたのは女の先生だった。
パンツスーツ姿のベルトに日本刀をぶら下げている。左の袖から出ている手は金属の光沢を持っていた。義手だ。
生徒の何人かがざわついた。
「草薙一紗だ……」
菜摘が驚いている。
私にはざわめく理由が分からなかった。
「だれ?」
「知らないのか? 本当に? 初めて第四層に足を踏み入れた攻略者だよ」
そのニュースは知っている。
この人なんだ。
私は改めてその女教師を見た。
「はい静かにしてね。静かになるまで何秒かかりましたみたいなベタネタはやらないからねー」
生徒達はすぐに静かになった。
「うん、いい子たちだね。知っている人もいるようだけど、私は草薙一紗。元攻略者。今は、未来の攻略者がダンジョンの魔の手に捕まらないための子守りをさせてもらってる。草薙先生と呼ぶように。
さて、さっそくだけど君たちには、これから」
草薙先生は、言葉を切って教室をぐるりと見回した。
隙の無い攻略者の目つきだ。何人かの新入生がその目に薙ぎ払われ心奪われてよろめいていた。
「自己紹介をして貰うわ」
定番のイベントだった。
大丈夫。
準備は万端だ。
菜摘にはスルーされた私のネタだけど、さらに改善を重ねている。今度こそ決めてみせる。
私は意気込んで気合いを入れた。




