6-6 鬼の王
海の中を引き込まれていく。
菜摘は自分たちを拘束するタコの足を拳で叩いてみたが弾力に跳ね返されるだけに終わった。
掴もうにも、ぬるぬるとした表面で手が滑る。
(くっそ)
どうすれば抜け出せるだろうか。
魔蛸の足はしっかりと菜摘と沙耶に巻き付いている。
攻撃手段、あるいはなにか他の手。
何か。
なにか。
息が続いている間になんとかして束縛から抜け出して水面にたどり着かなければ。
菜摘の思考とは裏腹に、魔蛸は一直線に海底へ向かって潜っていっていた。
まずい。
手がない。
(あぁ……)
もっと自分に攻撃力があれば。
力でも魔法でも。
どちらかでもあれば。
絶望は見ないように見ないようにと目を背け続けているうちに、逃げられないほど近くまで忍び寄ってきているものだ。
村娘。
特筆すべきところのない平凡な存在。
いかに菜摘に武術の才能があろうと。それはあくまで地球人類の枠の中でのこと。
村娘。
それをこれほど無力に思ったときはなかった。
(ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう)
菜摘は、気を失ったままでいる沙耶の体を抱きしめた。
自分には何もできない。
これが草薙先生だったら、瞬動術でするっと逃れられただろう。
これが儀同瑞月だったら、たとえ余力が無くとも力を引き出して見せただろう。
ただの村娘である菜摘にだけは何もできない。
無力さが自分に返ってくるだけなら良かった。
けれどそうではない。
沙耶まで巻き込んでしまった。
高校でできた初めての友達。
私と同じように前世に悩んでいて、方向性は真逆とは言え、勝手に親近感を感じてしまっていた。
ほっとけなかった。
この子を放っておくことは、私自身を放っておくことと同じ事だと思った。
(ごめん)
菜摘は心の中で謝る。
海中はすでに暗い。もうどれだけ潜ってきたのだろうか。
(あたしにもっと力があれば……)
これまで何度自分の前世を呪ったろう。
なぜ村娘なのかと。
せめて兵士でもよかったのに。
赤城菜摘は無力な村娘に過ぎなかった。
(力が欲しい)
菜摘はただ願った。祈りといってもいい。
(神でも悪魔でも何でもいい。あたしに力を)
自分のためではない。
(さっちゃんを助けられるなら、なんだっていい―――!!)
『ほう、言ったね?』
声がした。
その瞬間、菜摘の意識が反転した。
次の瞬間には、菜摘の目の前には、朽ち果てた廃城があった。
沙耶ならそれが魔王の城であることに気づいただろう。
魔王城の城門の前の橋の上だと。
しかしそれを初めて見る菜摘には、それがどこか分かるはずがなかった。
「え、ちょ、城!?」
海の中からの唐突な城の出現に菜摘は戸惑っていた。
「なんだよこれ、どうなってんの!?」
「うるさいなぁ」
混乱している菜摘の背後から声がかけられた。
「誰っ!?」
菜摘は鋭い動きで振り返った。
そこに見慣れた姿の少女がいた。
「さっちゃん? いや……違うな」
菜摘の精神は一気に警戒モードになった。
姿は沙耶そのもの。
しかしその不敵な表情が、威圧感ある雰囲気が、沙耶ではないことを教えてくれていた。
「分かるの?」
菜摘はびし、と指を突きつけた。
「さっちゃんはそんな悪い顔しない!」
「ひどい。魔王も沙耶なのに」
「もしかして、魔王の方?」
「そうとも。はじめまして、今生の我が友よ」
魔王は両手を広げた。
菜摘はうさんくさそうな目で魔王をみた。
「……で、何の用?」
「そんな怖い顔をしないで欲しいな。友達に向ける顔じゃないでしょう?」
「魔王の方とは友達になった覚えないからさ」
「厳しいなぁ。魔王だって沙耶なんだからなっちゃんのことは大好きなのに」
菜摘は睨んだ。
沙耶は肩をすくめた。
「わかったよ。本題に入ろう、友よ。私に忠誠を誓うつもりはあるかい?」
「忠誠?」
「そう。あぁ、なにも魂をよこせとか、そんなアコギなことはしないよ。興味ないし」
「なら何を?」
「簡単さ。沙耶を裏切らない。それだけのことさ」
菜摘は腕を組んだ。
「その代わりに何をくれるって言うの?」
魔王は、にいっと笑った。
「人外の力を」
悪魔が取引を持ちかけるような悪い笑顔だ。
「村娘では決して届き得ない、支配者の力を」
魔王の手にいつの間にかゴブレットが握られていた。
魔王はそれを菜摘に差し出す。
「飲み給え。魔王の血を触媒としてかつての我が臣下の魂を繋ぎ、君を新たな存在へと作り替える」
「それを飲めば、さっちゃんを助けられる?」
「もちろん」
魔王の答えを聞いて、菜摘は躊躇うことなくゴブレットを受け取った。
ぐいと一気に流し込む。
勢いよく杯を傾けすぎて口の端から溢れた血が一筋、菜摘の喉を伝った。
ゴブレットを空にして、菜摘はそれを放り捨てた。
からん、と乾いた音を立て、橋の石畳の上にゴブレットが落ちた。
その音が響き終わるころには菜摘の姿は魔王城から消えていた。
血管の中を、炎と氷が同時に流れているようだった。
体が内側から灼かれ、同時に冷やされる。
破壊と修復が繰り返されていた。
血、肉、骨が置き換わっていく。
不思議と痛みはなかった。
見た目が変わるわけではない。内臓も変わっていないだろう。ただ自分というすべての根源が変わっていく。
菜摘の額に小さな平べったい菱形の結晶が生じた。
菜摘は魔蛸に深海へと引き込まれ続けながら、穏やかにその変化を受け入れた。
変化が終わる。
「鬼王憑依」
宣言と共に、額の結晶が強く輝いた。
額の結晶から一本の角がまっすぐ生え、肌が赤く焦げた小麦色に染まっていく。
瞳は紅蓮に燃えさかる。
服はワンピースになり、村娘の革のベスト、鋼の籠手が装備された。
体の内から気が膨れ上がる。
その圧で魔蛸の足がはじけ飛んだ。
菜摘達の沈下が止まる。
獲物が自由になったことを察した魔蛸が体ごと振り返った。
菜摘は海中を踏んで、上へと跳んだ。
2度3度と海中で足を踏みきり、すぐに海面に躍り出た。
抱えた沙耶の体を持ち替えお姫様抱っこして、海面に着地。
「先生は……いないか」
見える範囲に草薙先生と儀同の姿はない。
菜摘は沙耶を離さないよう、しっかりと抱き寄せた。下から魔蛸が浮上してくるのを感じる。
数秒後、海面を割って魔蛸が飛び出してきた。
魔蛸は空中で足を広げた。広がった足は5本。魔蛸はすでに3本の足を失っていた。
「わるいけど、長く付き合ってあげるつもりはない」
菜摘は悠然と言い放つと、右足を軽く引き、わずかに重心を落とした。
海面を踏み、一直線に魔蛸に向かって跳んでいく。
襲いかかってくる魔蛸の足。
菜摘はその全てを空中を踏んで方向転換し避けた。
「さっちゃん、ちょっとごめんね!」
沙耶の体を上空高く放り投げた。魔蛸を見据える。
「全解放」
赤いオーラが菜摘を包んだ。
右拳を堅く握る。
菜摘を包むオーラがその右拳に一点に集中し、夕陽のように強く輝く。
菜摘は大きく身を沈めると、全身のバネを使って勢いをつけ跳んだ。
「くらえぇぇぇぇぇ!」
赤い閃光が魔蛸に向けて空を走った。
「鬼王渾身撃!」
魔蛸と当たる瞬間に拳を振り抜く。
光が炸裂した。
拳との接点から流し込まれるオーラが魔蛸の内側で膨れ上がり、爆発したのだ。
バラバラになった魔蛸が海面へと落ちていった。
菜摘は落ちてきた沙耶を優しく受け止めた。
沙耶はまだ目を覚ましていない。
菜摘はもう一度沙耶をしっかりと抱きかかえて、空の一点を見上げた。
そこに。
「楓花先生。こんなところで何してんの?」
楓花先生が、スーツにパンプスといういつも校内で見かける姿で、浮かんでいた。




