6-5 全解放
4体の魔蛸が同時に距離を詰めてくる。
草薙先生と儀同さんはまだ遠いところにいてバラバラだ。
どうする。
儀同さんはほぼ変身限界。草薙先生も2回全解放技を放ってほとんど余力は無いだろう。
私はまだ多少変身して戦えるが、私の魔法だけでは4体の魔蛸を仕留めることは不可能だ。
戦って勝てる状況ではない。
逃げるにしても4方を囲まれている。
空から逃げられるだろうか。
いや、魔蛸は対空で氷を飛ばしてきていた。今迫ってきている4体にも同じ事ができると考えるのが自然だ。
逃げられない。
「降臨」
諦めかけた私の隣で、菜摘が変身した。
「戦える力が残っているうちに諦めることなんてできない。戦って、逃げる糸口を探すんだよ」
「なっちゃん……」
「あたしたち殺されることはないんだしさ、やれるだけやろうよ」
そう言ってフォークを構える菜摘の手はかすかに震えていた。
私たちの年齢からいって、ここでダンジョンに捕まれば禁固15年。
ただ、最初にダンジョンが人類を滅ぼすとして予告した50年のリミットまではあと7年しかない。
人類を滅ぼすときに、捕まえられている者達はどうなるのか。
もはや解放されないのではないか。
ここで捕まれば自由を奪われ、解放されることのないまま、殺されてしまう可能性だって高いのだ。
それが分かっていない菜摘ではないだろう。
「あたしは全解放してもできる大技なんてないけどさ。立って戦えるうちは絶対に諦めてやるもんかって、そう決めてるんだ」
「そう、だね……」
私は菜摘の言葉に勇気をもらった。
「なっちゃん、諦め悪そうだもんね」
「あたしは村娘の分際で月面まで来る女だからね」
「戦いで生き残る秘訣、知ってる?」
「諦めの悪さかな」
「世の中を甘く見ることだってさ」
「儀同が言いそうなことだなぁ」
「わぉ、正解」
「やっぱり。あいつ絶対世の中舐めてるもん」
「そうかなぁ。儀同さんも頑張ってるよ」
「さっちゃんはお人好しすぎる。悪い男に騙されるぞ」
「ふふ。月には女の子しかいないから大丈夫だよ」
「世の中女の子が好きな女の子もいるんだからな?」
「なっちゃんになら騙されてもいい」
「え、おい……」
「冗談だよ」
「びっくりしたなもー!」
この場に似合わない笑いを2人で漏らした。
笑ってみれば緊張が少しほぐれた。
私は心を決めた。
「なっちゃん」
呼んで左手を差し出す。
「ん?」
菜摘は振り返って、その手を見て、私の目を見た。
「……本気?」
菜摘は真剣な顔で聞いてきた。
私が何をしようとしているのか悟ってくれたようだった。
私は頷く。
「うまくいかなかったらごめんね」
「いいよ。あたしの命、さっちゃんに預けた」
菜摘は変身を解いて私の手を握ってきた。
「ありがとう」
私は一言お礼を言って、目を閉じた。
試したことはない。
作戦会議の時にやり方の説明を聞いただけ。
けれど、きっとできるという不思議な確信はあった。
私は深呼吸を1つした。
宣言する。
「全解放」
鍵器、王笏を媒介に私の中の魔王を呼び出す。
王笏から黒い光が溢れ、変身の時よりも強い力が体を駆け巡る。
『おいおい、本気なのかい?』
ふてくされて寝ていたはずの魔王の声がした。
もちろん本気だ。
そうでなければフルバーストなどしない。
闇が収束し、ローブ姿にまとまった。
『……まったく。体の負荷が大きいから、なるべく早く済ませた方がいいよ』
魔王の言葉を裏付けるかのように、私の頭を頭痛が襲った。
「あ……くっ……」
頭の両側がひどく痛む。内側から錐でザクザクと刺されているような激しい痛み。
私は王笏を力一杯握って耐えた。
側頭部から何かが生える。
私自身では見えなかったけれど、後で菜摘に聞いた話によると、それは角だった。
太く、ねじれながら先端を後ろへと向けた黒い角。
角が生えきると頭痛は治まった。
全解放は成った。
ただやはり長い時間は保たなそうだ。
意識が何か奥底へと強く引っ張られている。気を抜けば気絶してしまいそうだ。
握っている菜摘の手が強く熱く感じられた。
それだけが私の意識を現実に留まらせてくれた。
私は菜摘の手を握ったまま転移の魔法を発動した。
空高く、上空へ。
4体の魔蛸を見下ろす。
草薙先生と儀同さんが待避するのを待っている暇はない。
私はすぐさま魔法の構築に入った。
空一面に魔法陣が浮かぶ。
巨大で複雑な、複数の球形の魔法陣を更に組み合わせた、超常の魔法。
下で、草薙先生が瞬動術で儀同さんと合流し、さらに瞬動術を使って上空まで来た。
魔法に巻き込まれないよう、私からは安全な距離を保っている。
私は魔法の制御に集中していて2人の細かい様子を見る余裕はない。
魔法陣が完成に近づくにつれて空が暗くなっていく。
一面が闇に覆われて星が見えた。
『称えよ、讃えよ、頌えよ。深淵の彼方、空の果て、冥き地平の底に封じられた創世の残滓よ』
魔王が詠唱していく。
『永遠の刹那の果て、時すら死せん』
王笏の宝玉が闇を湛え、黒く、冥く、光を放つ。
闇は宝玉の中で収束し、ひとしずくとなって下へと落ちていった。
私たちも、魔蛸も、全員がその闇が墜ちていくのを見守った。その闇が振りまく恐怖と美しさに呑まれ、誰一人目を離せなかった。
闇が氷の上に落ちた。
「破滅の奈落は天空に座す」
闇が膨れ上がると共に、周囲の全てを引き込んで飲み込み始めた。
氷が砕けた。
氷の破片は渦を巻きながらさらに細かく砕け、海水と共に、中心の奈落へと向かって落ちていく。
魔蛸たちが呑まれまいと海に飛び込んだ。
しかしその海水もすでに奈落へと落ちていく激しい渦を作っている。
2体の魔蛸が渦に巻き込まれ奈落へと飲み込まれていったのが見えた。闇に引き込まれていく過程で魔蛸は細く引き延ばされ、ちぎれながら姿を消した。
残り2体は深く潜ったのか、上からではどうなったのか見ることができなかった。
上空にも奈落に向かって吹き込む激しい風が吹いていた。
奈落はあらゆるものを吸い込み、飲み込み続けた。
「さっちゃん!」
大きな声がして、私ははっとした。
魔法を維持していた私の集中が途切れ、ふっと奈落は消滅した。
奈落のあった後には何も残っていない。
その空間を埋めるように大気と海水が殺到しぶつかり合った。
「なっちゃん……敵は……?」
「見てなかったの? 飲まれたよ、魔法に」
「そっか……」
私のローブと杖が散って、変身が解けた。抗いがたい疲労感が全身を襲ってきている。
「よか……た……」
それだけ呟いて、私は気を失った。
「お、おいさっちゃん!」
沙耶が気を失ったのを見て、菜摘は慌てた。
今沙耶と菜摘が空中にいるのは、沙耶の魔法によるものだ。
その術者が気を失えばどうなるか。
当然、魔法は力を失い、ふたりは落ちていくだけだ。
「起きろ、起きてってば!」
菜摘にはどうすることもできない。
菜摘は沙耶の体を抱き、目を覚まさせようとするが、沙耶は全く目を覚ます気配がなかった。
「くっそ、降臨!」
菜摘は変身した。
防御力を少しでも上げて海面にたたきつけられることに備えたのだ。
草薙先生が瞬動術で助けてくれれば。
そう思いながら、菜摘は荒れ狂う海面を見た。
だから、菜摘には見えた。
海面を割って、一本の魔蛸の足が伸びてくるのを。
魔蛸の足は沙耶と菜摘の体を一緒に巻いて掴むと、そのまま、2人を海の中へと引き込んだ。
実は菜摘が主人公という説ある。




