6-3 村娘とは
赤城菜摘は、儀同と草薙先生が魔蛸に向かっていった後、沙耶の隣に並んだ。
右手にはいつものフォーク、左手には鋼の籠手。胴には革のベスト。
菜摘はチラリと、儀同の背中を見た。
馬頭との戦いの際にものにしたのだろう、儀同は胴だけではなく全身を変身させていて、全ての能力が数段上がっていた。
その姿を見て菜摘はぐっとフォークを握った。
(大丈夫、あたしはやれる)
心の中で自分に言い聞かせた。
「さて、そろそろあたしもいくかな」
菜摘は一歩踏み出した。
足下から冷気がたちのぼっている。完全に凍っているからか、何かの魔法の作用か、足が滑ることはなさそうだった。
「物理貫通強化」
沙耶の声がして、一瞬、菜摘のフォークを淡い光が包んだ。
「ありがと!」
背中に感謝を投げて、菜摘は走り出した。
魔蛸は自由になった4本の足で儀同と草薙先生の二人を追い払おうとしている。
太い足が氷面を叩き、払う。
二人はその足を避けつつ、少しずつ攻撃を加えては離れ、魔蛸の注意を引きつけている。
菜摘は一直線に魔蛸へと向かっていった。
魔蛸の目が一瞬菜摘を見た。
草薙先生に向けられていた足の一本が、くねりながら振りかぶられ、菜摘へと向けられた。
魔蛸の足が鞭のようにしなり空を切った。
先端は速すぎて見えない。
菜摘は足の根本の動きでその軌道を見切った。
右へと跳んだ。
その一瞬後に蛸の足が氷面を打つ。
氷の破片が飛び散った。
破片のいくつかがぱちぱちと菜摘の体を打った。
菜摘は再び魔蛸へと向かう。
二度三度と立て続けにたたきつけられる足を避けた。
4度目のたたき付け。
難なく避けた。
「はっ」
菜摘は次の打撃に移ろうとしているその魔蛸の足にフォークを刺そうとした。
蛸の足の弾力でフォークの先端が入らない。
「あーくそ!」
(振り上げる勢いに乗って一気に近づこうと思ったのに!)
企みが失敗して菜摘は再び走り始めた。
ショートカットできないなら、地道に近づくしかない。
その横合いから、魔蛸の足がなぎ払われてきた。
菜摘はフォークを氷面に刺し、棒高飛びの要領で空中に飛びあがった。
間一髪。
魔蛸の足が踵をかすった。
『勇者』のように際立つ身体能力もなく。
『魔王』のように無比万能の魔法もない。
『村娘』である菜摘には、天賦の武才と鍛えた技術だけが頼りだ。
人型ではない魔蛸を相手にしては分が悪い。
それでも、彼女は自分にできることをただやるしかない。
菜摘はひたすら魔蛸の懐めがけて進んでいく。
足の根本に近づけば、魔蛸には物理的な攻撃手段はない。氷にロックされ、距離をとることも出来ない。
あと20メートル。
あと少し。
斜めにたたきつけられる足を左に飛んで避けた。
そこにもう一本の足が飛んできた。
(やばいっ)
避けられない。
とっさに判断してフォークで受け止めようと構えた。
「氷柱!」
沙耶の魔法が飛んできて、菜摘の目の前に2本の氷の柱が立った。
氷柱が魔蛸の足を受け止めた。
ほっとしている暇はない。
菜摘はまた駆ける。
「構造変化」
再び沙耶の魔法援護。菜摘の目の前の海面の氷が形を変え、階段を作っていく。
階段の先には魔蛸の右目。
菜摘は階段を駆け登った。魔蛸の巨大な瞳が目の前にある。
フォークを両手で構えた。
しっかりと体中の力を乗せて突き込んだ。
びし。
フォークの先端が何か堅い物に阻まれた。
空中に魔法陣が一枚浮かんでいる。
菜摘のフォークの先端は、その魔法陣を突き破ることができず、止められていた。
「くそっ」
ならもう一度、と菜摘がフォークを引いた時、それは起こった。
蛸の頭、生物学的に正確に言うなら胴体の部分だが、そこに無数の赤い線が生じ、『目』が開かれた。
魔蛸が放つプレッシャーが増大する。
離れた方がいい。
そう判断して飛び退け駆けた菜摘の腰に、蛸の足の先がするりと巻き付いた。
(気付かなかった!)
いつの間にか忍び寄ってきていたのだ。
菜摘の体に恐ろしい加速度がかけられた。
ぐん、と後ろへと放り投げられ、一瞬後には魔蛸を見下ろすほどの高い空の上にいた。
菜摘は放物線を描いて飛んでいく。
空中で姿勢を整えるような技は菜摘にはない。そのまま飛ばされるしかなかった。
魔蛸の周囲の海氷が割れた。
砕かれた氷は無数の柱状へと形を変え、菜摘めがけて飛翔してきた。
避けることは出来ようはずもない。
菜摘は殺到する数百の氷柱をただ見た。
(あ、これ死ぬ)
先端がとがっていないのは殺さないためだろうが、氷柱の打撃に加えて落下時のダメージを考えると、自分の身はどうなるか。
菜摘は自分の力を冷静に分析し把握していた。
その菜摘の手が誰かに掴まれた。
草薙先生だ。
刀を口でくわえ、右手一本で飛んでいく菜摘を捕まえたのだ。
「先生!」
菜摘は草薙先生に引き寄せられ、抱き留められた。
景色が一瞬で変わり、氷上へ。
草薙先生の瞬動術だ。
飛翔していた氷柱は一瞬目標を見失ったが、すぐに転移した菜摘たちを見つけ、空中で急角度を付けて軌道が変わった。
草薙先生は口の刀を手に、構える。
「生徒を守るのは教師の義務よ」
草薙先生は刀を右肩に乗せて構えた。
「全解放」
宣言と共に、草薙先生の刀が炎に包まれる。
菜摘は草薙先生の背後で距離をとった。
刀が振り切られる。
「掃破斬!」
炎は空中の氷柱たちめがけて広がっていった。
氷柱が炎に包まれて溶け散っていく。
炎は氷柱をすべて溶かして消えた。
草薙先生が魔蛸とにらみ合う。
魔蛸の周囲には氷がなくなっていた。
魔蛸は海面に浮かんでいる。
氷を砕き、飛ばしたことで氷のロックから解放されたのだ。
「先生?」
どうする、と菜摘が声をかけた。
「プランC」
「了解!」
応えて菜摘は背後の沙耶の方に駆けだした。
プランC。
魔蛸の氷ロックに失敗または解放されてしまった場合で、自由な移動は防げている状態における作戦。
「さっちゃん、Cだ!」
菜摘は走りながら叫んだ。
沙耶がうなずいた。
沙耶は王笏を氷に突き立てると、魔法を準備し始めた。
大きく複雑でありながら精緻な球形の魔方陣。
美しい。
そんな感想すら抱いてしまう。
菜摘にしてみればうらやましいほどに強力な魔王の力。
菜摘はぐっと歯をかみしめて邪念を払った。
沙耶が魔法を完成させた。
「氷れる八頭竜!」
沙耶の周りの氷面から、8本の柱が伸びたかと思うと、体をくねらせながら龍の形へと変わっていった。
龍達の顔が一斉に魔蛸に向けられた。
しばし、魔蛸と龍達がにらみ合ったかと思うと、龍達は一斉に魔蛸へと襲いかかった。
魔蛸の触手が龍を迎え撃つ。
龍達が魔蛸にかみつき、魔蛸は足を龍に絡めて締め上げようとする。
怪獣大決戦だ。
龍達は魔蛸に一度かみつくと離れない。
龍がかみついた部分から、魔蛸の体表が氷に覆われていく。
魔蛸は、足一本では龍に太刀打ちできないと悟ったのだろう。一匹あたり2本の足を使ってねじ切り、引きちぎろうとし始めた。
龍達もまた、簡単にはやられまいと体をくねらせた。
蛸と龍が1つになって水と氷をまき散らしながら踊っている。
龍が一匹、ちぎれた。
二匹目の龍が頭を潰され、砕け散った。
魔蛸も、足の一本が完全に凍って動けなくなり、自らの足に絡まれて根元から折れた。
互いを互いが喰らい合う。
菜摘はその戦いをじっと見ていた。
人間には手が出ないスケールの戦いだった。
プランCでは、菜摘にできることは沙耶の近くで待機することだけだった。万が一、攻撃が沙耶に向かった場合に備える。それが菜摘の役目。
だが万が一のことになったとして、菜摘に何ができるだろうか。
身を挺して守ることしかできないだろう。
菜摘はそれだけを決意して、魔蛸と氷龍の戦いを眺めていた。
氷龍は残り3匹。
ほどなく氷龍は全滅するだろう。
魔蛸の足は2本減り、残り6本ある。
氷龍がさらに一匹減った。
後は早かった。しゅるりと2匹の氷龍に魔蛸の足が絡みつくと、がちりと引きちぎられた。
その瞬間を待っていたかのように。
「「全解放」」
草薙先生と儀同の声が唱和した。




