3-4 赤城菜摘
一週間後の放課後、私は菜摘と道場で向かい合っていた。
約束の組手だ。
私たちは頭にはヘッドギア、手には指の先が出る薄手のグローブをはめている。
「勝負の方法は?」
問う菜摘に、儀同さんが答えた。
「私が勝負あったと止めるまでの一本勝負よ」
「手加減は?」
「もちろん不要」
儀同さんのルール説明を聞きながら私は緊張していた。
一週間、儀同さんに言われるままに特訓をしてきたけれど、組手は一度もやっていない。
ちゃんと戦えるのだろうか。
そもそも攻撃手段は正拳突きだけ。
受け技の類いはやっていない。
儀同さん曰く
『無駄よ無駄、赤城さん相手に中途半端な受け技やったって餌与えるようなもの。搦め手から気の抜けてるところ打ち抜かれて一発KOよ。よけてよけられないものは全身固めて受け止めなさい。魔王の耐久力でカバーするのよ』
とのこと。そんな耐久力があるとは思えないけど。
「それじゃあ、2人とも、準備はいい?」
儀同さんが私と赤城さんの顔を窺ってきた。
「あたしはいつでも」
菜摘は自然体そのもの。手慣れている様子だ。
「大丈夫」
私も応えて、構えをとった。
左拳を前に伸ばし、右手は脇に。ひたすらこれだけを繰り返した正拳突きの構え。
「はじめ!」
儀同さんの声が響いた。
私は動かない。あくまで待つ。
菜摘は私の構えを見て、半身に構えてステップを踏んだ。両拳を顔の脇に。
ボクシングスタイルだ。
「さて、まずは小手調べをさせてもらうぜ」
私の構えは、片手が前に突き出ている分距離感が図りやすい。
菜摘が私にパンチを当てるには、突き出た私の片手が必ず邪魔になるはずだ。
円を描くように私の周りを回り始めた菜摘に対して、私は向きを変えて正面を保った。
菜摘が一歩踏み込んできた。
私は左ジャブを警戒してその手をじっと見た。
打ってこない。
視界の端で菜摘の右手が揺れた。
右ストレート。
私はとっさに首を傾けて拳をかわした。
(かわせた!)
菜摘の拳が頬をかすっていた。肌がチリつく。
2発目は打たせない。
私は多少崩れた体勢のまま、左手を引き、右拳を突き込んだ。
菜摘は私の正拳突きを左手で防いだ。ゴツッとした音が響いた。
私はそのまま、今度は左拳を突き出した。
菜摘はそれをステップで回避しながら、左フックを放った。
よけられない。
私は身構えた。頬に菜摘の拳が刺さる。
衝撃。
私の頭が弾けた。しかし体勢は崩れない。備えたおかげでダメージは深くない。
菜摘は次の瞬間には距離を取っていた。
「なるほど、無策ってわけでもないわけだ」
「そりゃあ、ね」
菜摘対策は儀同さんと一緒に組み立ててはいる。
問題は、どこまでプラン通りにできて、通用するか。
「そうこなくちゃ。楽しませてもらうよ」
菜摘は笑みを浮かべて、再び距離をはかり始めた。
私は自分のダメージを量る。頬の痛みはある。けれど、それだけだ。動きに支障はなさそうだ。
再び菜摘が踏み込んでくる。
今度は私が先制して突いた。
菜摘は私の突きを難なく避け、ジャブで反撃してきた。
ジャブの連打。
私は突き出した片手で防げごうとしたが、何発か顔にもらってしまう。口の中が切れて血の味がした。
反撃しなきゃ。
私は負けじと拳を突き出した。
しかしこれも避けられる。
避けざま、菜摘は大きく踏み込んできた。斜め下から右拳が突き上がってくる。
あれをもらっちゃいけない。
私はとっさに両手で顔をガードした。
「しっ」
その拳の軌道が変わる。
私の胴めがけて。
備えはできていなかった。菜摘の拳が私のお腹に入った。
「―――!」
内蔵への打撃に声にならない声が出た。
顔のガードが下がってしまった。
菜摘の右拳が引かれ、がら空きになった私の顔にもう一撃加えようと迫ってくる。
私はとっさに後ろに跳んで、その一撃を避けた。
着地をし損ない、数歩たたらを踏んだ。
菜摘は追ってこなかった。
「はぁ、はぁ」
一息つく。
「反応は悪くないね」
菜摘の呼吸は穏やかだ。余裕が現われている。
「まだやる?」
菜摘が聞いてくる。
私は口の端からたれていた血を腕で拭った。
「もちろん」
「そっか、じゃあ、こっからは全部使うよ」
菜摘が宣言した。
全部使う、とは、蹴りも投げもということだ。
投げ技は一番警戒が必要だ。投げられてきちんと受け身を取るにも技術がいるが、私にはそんな技術は無い。菜摘には決して掴まれてはならない。
私はかかってこい、とばかりに再び構えを取った。
菜摘の構えはほぼボクシングスタイルの時と同様だが、わずかに手が開いている。
菜摘が踏み込み、打ち込んできた。
私は迎撃。
拳が交差した。
菜摘の拳は正確に私の顔を捉え、私の拳は空を切った。
そう簡単にはいかない。もちろんそれはもとから分かっていた。
けれど私には、この一週間、7万回繰り返した正拳突きしかない。
何回目かも分からない空振りの後、私はとっさに菜摘の服を掴んだ。避けられるなら、掴んで止めてやる。
掴んだ手を引きつつ、反対の拳を放つ。
いける。
そう思った瞬間、世界がくるっと回った。
何が起こったのか分からないまま背中に衝撃。天井が見えた。
投げられたんだ。
私は結果だけ理解した。
すぐに飛び起きた。菜摘はどこだろう。
左右を見回すと、いた。すでに蹴りの体勢。
私は菜摘の蹴りを両手でガードした。
私は菜摘に向かって飛びこんでいき、拳を振るった。
踏みきる足から腰へ力が伝わり、腰の回転が胴へ伝わり、引き手がそれを加速させ、全ての力が乗った右拳が菜摘めがけて伸びていく。
これまでの7万発の中で一度もできなかった奇蹟の連動。
しかし私の拳は、やはり空を切った。
同時に、こめかみに衝撃が走った。
頭が意識ごと揺らされる。
体が倒れていく。
まだ、まだだ。まだ私は一撃も入れていない。
一週間も特訓に付き合ってくれた儀同さんのためにも、なすすべなく負けることなんてできない。
私は歯を食いしばり、脚に力を込めた。
顔を上げる。
菜摘と目が合った。
もう一度、あの一撃を。
足から腰、腰から胴、全身が再び完全な連携を見せた。
せめて一撃。
そう思う私の意識は、そこで途切れた。
次に見えたのは天井だった。
武道場の天井ではない。
どこだろう。
あたまがぼーっとしていた。
私はベッドに寝かされているようだった。
「おはよう、さっちゃん」
横から声。菜摘だ。
「なっちゃん……ここは……天国?」
「保健室だよ」
菜摘は私のボケをいつも通り冷静にあしらった。
「何がどうなったのか、覚えてない……」
私は説明を求めた。
「投げた後からでいい?」
「うん」
「あのあと、さっちゃんの拳を避けながら、あたしはカウンターでテンプルに一発たたき込んだ。アレで終わると思ったんだけど、さっちゃんが気迫を見せてきたから、全力で蹴ってとどめを刺した」
「ぜんっぜん覚えてない」
「うんまぁ、頭にきっちり入れたから……。さっき保健室の先生に治癒かけてもらったからもう大丈夫だと思うけど」
「儀同さんは?」
「自分の自主練してる。薄情な奴だよな」
「儀同さんらしいね」
「まぁね。痛いところないか?」
「たぶんないよ」
私は保健室のベッドから起き上がった。
「よかった。それじゃ、スタバでも寄ってかないか?」
「いいね、それ。この一週間スタバに通い詰めた私の注文力見せてあげるよ」
朝晩必ずスタバ行ってた。
「そっちの特訓の成果も、見せてもらおうじゃないか」
ベッドから降りて、脇に置かれていたボストンバッグを手に取った。
中には制服が入っている。
「……ねぇなっちゃん」
私は着替えようとした手を止めた。
「なんだよ?」
改まった私の調子に、菜摘はちゃんと私を見た。
「私ね、なっちゃんに一つ嘘ついてることあるの」
「うん」
何について、と目が聞いてくる。
「私ね、前世、女王じゃなくて魔王なの」
菜摘は少しの間黙っていた。
表情はみじんも変わらない。何を考えているのか、私からは全くうかがい知れなかった。
私たちはそのまま見つめ合った。
菜摘はゆっくりと腕を組んだ。
「あたし、言ったよね。前世は関係ないって」
私は頷いた。
「だからさっちゃんの前世が何でも、あたしは気にしない。ただ、嘘をつかれてたことについては、この後のスタバで謝意を示してもらいたいな」
泣きたくなったのをこらえて、私は笑顔を作った。
「グランデでも、特別メニューでも、トッピングもオールオッケーだよ」




