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師匠の心の内と、報復

オスカー視点です

 話を聞いて、どうしてあの時無理を言ってでもついていかなかったのかと、後悔した。

 躊躇った弟子を説得できていたなら、一緒に行ったならば、こんな事にはならなかったのに。後悔しても遅いというのは、分かっている。だが、どうしてあの時、と悔やまずにはいられなかった。


 弟子は、ただ淡々と話して、それから抱き締めたままだった俺の胸に、顔を埋めた。微弱な震えは、未だに続いている。


 ……いつも無邪気で、元気な弟子。俺と同じように奇跡的なまでに魔法に適合した体を持った、鍛えれば最強にでもなれる魔法の申し子。


 でも、こうしてみれば、ただのか弱い少女でしかないのだ。どれだけ振るえる力が大きかろうが、体は華奢で、そして心は年頃の少女で。

 見知らぬ男に乱暴されそうになって、恐くない訳がないのだ。


 それでも、弟子は涙を零そうとはしない。ぎりぎりの所で保って、耐えている。泣いては駄目だと誓っているかのように。それが虚勢に見えるのは、気のせいではない。


「長風呂、したのは……気持ち悪いの、取れないから、擦ったんです。……擦っても、ふやかしても、引っ掻いても、気持ち悪いのは取れないけど」


 ……ああ、だから、あんな赤くなっていたのか。そこに、触れられたから。それを理解すると同時に、頭の裏がカッと熱湯を注がれたように熱くなった。

 つまり、その部分を触られたという事だ。胸元や内腿を。


 ふざけるな、とその屑共が居たら言ってやりたい。ついでにその触れた腕を切り落として粗末なものも潰してやりたい。

 ……今回は、憲兵に引き取ってもらったらしいが……まだ、仲間は居るだろう。

 ああ、本当に、ついていけば良かった。俺が居たならば、指一つ触れさせなかったのに。


 思い出したのかぶるりと体を震わせる弟子の背中をそっと叩くと、少しだけ強張りが解ける。


「勿論、自分が迂闊だったのも、あるのですけど……怖いなって、思ってしまって」

「俺も、怖いか?」

「……いいえ。師匠なら触られたって嫌じゃないです。……でも、他の人は怖いですね。ちょっと、構えちゃいそう」


 胸元に顔を埋めてしがみついたまま、苦笑の声色で呟く弟子。その声が湿っている事は、指摘しない方が良いだろうか。

 それでも、弟子は、まだ泣かない。怖かっただろうに、それでも泣こうとしないのだ、頑なに、一人で飲み込もうとして。


 ……馬鹿な弟子だ。俺はそれすら受け止められないような、狭量な師匠だと思っているのだろうか。

 お前を弟子にすると決めた時から、俺は、全て受け止めるつもりだったというのに。


「……我慢しなくて、良いんだぞ。嫌なら嫌と言えば良いし、苦しいなら苦しいと言えば良い。泣いても、誰も咎めないから」

「……甘えたら、甘やかしてくれますか?」

「特例だぞ」

「そう言いつつ、師匠は優しいから甘やかしてくれるの知ってますよ」


 肩を揺らして笑った弟子は、ちらりと顔を上げて、見上げてくる。ほんのりと、潤んだ瞳。今だ涙が滴らないのは、意地だろうか。

 泣いてしまえば、すっきりするだろうに。


「……ふふ。やっぱり師匠が良いな」

「何がだよ」

「男の人は、師匠が一番良いなって。ううん、師匠じゃなきゃ、やだ」


 小さく囁かれた言葉に心臓が跳ねる。……ああ、この弟子は、本当に、馬鹿だ。よりによって、俺が良いなんて。

 ずっと昔から知っていたし、ひしひしと感じてはいたが、それは揺るぎないのだろう。馬鹿だ。……本当に、馬鹿だ。


 ひたむきに好意を示してくれるこいつに、応えるのを先延ばしにしている俺は、それよりも遥かに愚かなのだろうが。


「……ねえ師匠」

「なんだ」

「やだ、な。きもちわるい。……こわいの」


 震える声で呟いた弟子に、そっと抱き締める力を強める。


「ほら、我慢なんてしなくて良いから。泣きたいなら、泣けば良いだろう。見られるのが嫌なら、見ない振りするから」


 弟子の肩にかけたローブのフードを被せて、全部見えないようにして。そのままぽんぽんと背中を叩けば、堪えきれなくなったようで、胸の辺りでくぐもった声。

 ひっく、としゃくりあげる声がして、小さな背中が揺れた。


 弟子は、大きな声を上げて泣かなかった。ただ、静かに静かに、声を殺すように泣いた。

 僅かな嗚咽と震える体、涙に湿るシャツの感覚が、涙腺の崩壊をこれ以上になく主張している。


 俺の弟子は、ただのか弱い少女なのだ。気丈であろうとする、年相応の少女なのだ。

 ……守りたいと、側に居たいと思うのは、ほだされたとか流されたとかじゃなくて、俺自身の意思だ。……まあ、弟子にした時から、それだけは変わらないのだが。思いの形が、変わっただけで。


 暫く受け止め続けて、漸く涙が枯れてきた頃。弟子は、腕の中からおずおずと此方を窺ってくる。

 まだ涙に濡れていた、綺麗な青の瞳。目尻に溜まっていた雫を拭って、優しく濡れた頬を指の腹で撫でる。


 俺を見つめる不安げな眼差しに、苦笑。


「大丈夫だ、今度こそ俺が守るから。だから、離れないでくれ。もう、後悔はしたくない」

「……でも」

「信用出来ないか?」

「違います。重い、でしょう? 一介の弟子なのに、そんな約束させて」

「あほ、お前くらい抱えても俺は余裕だ。素直に頼っとけ」


 重いというのなら、俺の方が結構に重いのを、こいつは知っているのだろうか。

 自分の方が重いなんて、大間違いだぞ。……依存しているのは、どちらだろうな。


「お前は俺の唯一無二の弟子だ。お前以外に弟子を取るつもりなんてないからな。お前だけで良いんだ。……お前だけ気にかけて、大切にしてやる。これでは不満か?」

「……破格の待遇ですね」


 くすっと、漸く笑った弟子は、また俺の胸に凭れる。


「やだなあ、もう。私、ずっと師匠の弟子のままで居たくなっちゃいます」

「……それは困るというか、してくれないと俺は」


 ……弟子である限り、俺は、お前を。


 小さく呟いたつもりが、弟子には聞こえたらしくきょと、と不思議そうに見上げてくる。

 ああ、今のは失言だった。……俺の弟子でなくなるその時まで、俺は、何も言わない。俺なりの、誓いだ。


「いや、何でもない。……兎に角、師匠らしい所の一つや二つ、披露させてくれ」

「……師匠はいつだって師匠ですよ」

「そりゃあ、お前のお師匠様だからな」

「ふふ」


 少しだけ元気を取り戻したらしい弟子の頭を撫でて暫く弟子の望み通りに甘やかしていると、どんどん眠そうに瞼が落ち始める。

 元々、精神的に疲労していたのだから、眠くなっても仕方ないだろう。張り詰めていた糸が、切れたのかもしれない。


 うとうとしだした弟子の小さな体を横抱きにして、部屋に。

 流石にこのまま寝かせる訳にもいかずに着替えてもらうのだが、弟子は不安で離れて欲しくないらしく俺を部屋に待たせたまま着替えるという暴挙に。……勿論、後ろは向いていたが。


 そうして寝巻きに着替えた弟子は、寝巻きの袖や胸元から赤くなった肌を覗かせている。余程擦ったのだろう、未だに赤みが引いていない。

 痛々しいが、じろじろと見る訳にもいかず、そのまま不安げな眼差しの弟子をベッドに寝かせる。


 一緒に寝てやるのは不味い……というか、今後の予定に関わるので無理だったが、寝るまでは側に居てやる。

 優しく髪を梳いてやると、途端に安堵したように瞳を和ませた。全幅の信頼を寄せられているのは理解していたが、此処まで安心されると、少し気恥ずかしいものがある。……まあ、それも慣れたものだが。


「……ししょー」

「何だ」

「おやすみのちゅーが欲しいです」

「調子に乗るな」


 くそ恥ずかしい事をせがんでくる馬鹿弟子の頬を軽くつつくと「冗談ですよ」とあどけない顔で笑う。


 それから暫くすれば、弟子は眠りに落ちた。安心感からか、ぐっすりと夢の中に。……それを、より深めるべく、魔法で眠りを。


 早起きして俺が居なかった、なんて、今のこいつには、酷だろう。だから、俺が帰ってくるまでは、眠っておいてくれ。


 すーすーと深い眠りに落ちた弟子の頬を撫で、……それから、少し、いやかなり躊躇ったものの、弟子の手の甲に小さく唇を落とす。……おねだり、これで聞いた事にしておいてくれ。


 気のせいか心なし頬が緩んでいる気がしなくもない弟子の寝顔を眺めて、溜め息。


「さて」


 立ち上がって、返ってきたローブを身に纏う。

 夜は、まだまだ長い。夜は、大人の時間であり、そして悪人が跋扈する時間でもある。人目のつかない、寝静まった頃に活動するのが、あいつらの鉄則だ。


 ……だから、俺も人知れず、掃除に行かなくては、な。滅んでも誰も悲しむものは居ないだろう。

 まあ、俺の愛弟子に手を出そうとしたのが運の尽きだった、という事だ。恨んでくれるなよ?

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