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師匠の心配

今回と次回はオスカー視点です。

 買い出しに行った弟子が、中々に帰ってこない。


 俺もついていくと行ったのに「毎回ついてきてもらうのも悪いですし」と断られた。

 最近は物騒だから憲兵仕事しろとか常々思っているというのに、あいつは一人で行くと聞かなかった。


 今は、一人で行かせた事を少し後悔している。帰りが遅いと、何かあったんじゃないかと、胃が軋む。


 心配性と言われそうだが、あの馬鹿は危なっかしいのだ。ただでさえ雰囲気からして緩そうだというのに、最近とみに……その、何というのか、女性らしくなった、というか。

 成人した姿を初めて見た時は我が目を疑ったし、戸惑った。仕方ないだろう、俺にとっては一ヶ月程度家を空けていただけなのに、帰ったらいきなり子供から大人に成長していたのだから。


 それから、どんどんあいつは女となっていく。些か無邪気なものの、それでも気が付けば立派な女になっていたのだ。羞恥を身に付けた馬鹿弟子は、何というか、男がそそられるような雰囲気を滲ませるのだ。


 そんな馬鹿弟子を、一人でうろつかせるのは、気が進まない。というか今からでも追い掛けたい所だ。何があるか分からん。


 一時間程悩んでいた『探しに行く』という考えをそろそろ実行しようとソファから立ち上がった瞬間に、玄関のドアが開く音。……弟子が帰って来たのだろう。

 居間に近づく足音に安堵して、廊下の方を見て。


 それから、視界に入った弟子の表情に、大きな違和感を感じた。


「……何かあったのか?」


 思わず、そう聞かざるを得ない程に、弟子の表情は沈んでいた。というか、青ざめていた。


「いえ、ちょっと気分が悪くて。晩御飯、作りますね」


 けれど、俺に追求される前に、弟子はさっさと台所に入っていく。聞かれたくない、と言わんばかりに。


 弟子がこういう態度を取る時は、大抵何か嫌な事を隠している時だ。

 ……この馬鹿は、基本的に溜め込む。嫌な事があっても、笑顔で飲み込む。一度、俺がその許容量を超えた事をして爆発させてしまったから、それは身に染みて分かっている。


 確実に、何かあった筈だ。


 問い詰めたかったものの、逆に言えば隠すという事は聞かれたくない、詮索されたくない、という事でもある。聞いてよいのか、分からない。忘れたい事なのかもしれない。それをほじくりかえすのは、どうなんだ。


 そう躊躇っていたら、晩御飯が出来上がっていた。馬鹿弟子は、先程の顔はなかったかのように、いつも通りに戻っていた。

 いつもの、無邪気な笑顔で。


「さ、ご飯食べましょうか」


 ただ、少しだけ青白い顔だった。




 ご飯を食べて風呂の時間となったが、馬鹿弟子は「ちょっと長風呂するので先に入ってください」と譲らず、俺が先に入る事となった。


 まあ、それは良いんだが……後から入った弟子が、一向に出てこない。

 長風呂といっても精々一時間半あるかないかだろう、そう思っていたのだが、一時間半を超えた辺りで流石におかしいと気付く。……普段こんなに長く入る事はないのだ。出てくる様子すらなく、物音もしない。


 まさかな、とは思うし、女性の入浴中に風呂場に近付くなど変態だと思いはする。

 だが、こうも静かで、気配すら感じさせないのも、おかしいだろう。


「……おい馬鹿弟子、そろそろあがれよ」


 本当に気は進まなかったものの、声をかけつつ浴室の扉から少し離れた場所から、声をかける。

 これで返事があったならさっさと居間に戻るし、俺の杞憂だったと笑えば良い。


 けれど、返事はこない。


「おい、馬鹿弟子」


 再度呼び掛けるも、反応はなかった。


「おい! 聞いてるのか!」


 今度は大きめの声を上げる。ドア越しだろうが絶対に聞こえる筈の声量で呼び掛けて反応を窺うものの、やはり返答が来る事はない。

 いや、そんなまさかな、と頬を引き攣らせつつ、磨りガラスの向こう側の存在に、意識を集中する。


 弟子と繋がっている契約印は、曖昧な反応を伝えてくる。ただ、間違いなく万全の状態では、ない。

 細かく分からないのは仕方ないが、今ばかりはもどかしくて仕方がない。いっそ気持ちでも伝われば早いのに。


「……良いか、今から開けるからな。怒るなよ、いや怒ってくれ。というか返事してくれ」


 今後を考えると非常に居心地が気は進まなかったものの、風呂場で寝るとか有り得そうな馬鹿弟子だ。

 長湯にも程があるし、起きてるなら反応はある筈だ。浴槽で寝られても困る。……溺れ死ぬとか冗談じゃないぞ。


 何度も声をかけても返事がなく、仕方なしにそろっと浴槽のドア開けると、もわっと湯気が此方に流れ込んでくる。

 軽く魔法で換気しつつ中を恐る恐る覗き込むと……馬鹿弟子は、浴槽に前のめりに凭れていた。


 白銀の髪は肌にくっついているが、その合間から覗く肌は火照って赤い。普段の白さを知っているからこそ、これは異常だと思えた。


「馬鹿弟子……!」


 呼び掛けにも、応じない。……これは、もしかしなくても、逆上せているのだろう。


 本当は、女の風呂を覗くなど以ての他だし、変態と罵られてもおかしくはない。

 けど、このまま放っておく訳にもいかず、ぐったりとしている馬鹿弟子の両脇に下から手を差し込んで、浴槽から引きずり出す。


 視線は逸らしたものの、抱き留めた時の感触だけはどうしようもない。熱くなった肌の柔らかさなんて、感覚遮断でもしなければ否応なしに気付いてしまう。


 何も考えないようにしつつ、脱衣所にあったタオルを何とか引っ張ってきて、体に巻き付ける。

 なるべく触らないように、見ないようにしているから、留めが甘くはあるが、これで見れない、程ではないだろう。


 顎を持ち上げると見るからに顔を赤くして、熱でも出したかのようにぐったりとしている。虚脱した体が俺に全体重を預けてきて、か細い呼吸音が耳を擽る。

 早く体を冷ましてやるべきだ、と横抱きにして、リビングのソファに寝かせておく。それから濡れタオルと桶に水を張ったものを用意して足と首筋を冷やすと、少しだけ馬鹿弟子の表情が緩んだ。


 無心で冷やしながら、顔の辺りも緩く冷風を送る。……もう少し丈の長いタオルを買ってくるべきか、と心の底から思いつつ、力の抜けている肢体をゆっくりと冷やす事に専念する。


 ……暫くすれば火照った体もゆっくりではあるが、熱が引いていき、赤さも薄らいでいく。

 胸の上下もゆっくりと安定したものになり、安堵すると共に、何というか居たたまれなさを感じてしまった。


 目のやり場に困る。必死に介抱していた時はよいものの、落ち着いてくると、とても、直視出来ない。

 年頃の少女がタオル一枚の姿というのは、とても目の毒だ。

 幾ら弟子とはいえ、もう、子供じゃないのはよく分かっている。……悔しい程に、この馬鹿弟子は、女の子らしくなった。


「……ん」


 喉を鳴らして、少し体勢を変える馬鹿弟子。タオルの留め方も緩くて、零れそうになった柔らかそうなそれから慌てて目を逸らそうとして……そして、気付く。


 タオルから覗く範囲ではあるが、火照りとは別に、皮膚が赤い。まるで力強く擦ったようにそこだけが赤くなっていて、その上引っ掻いたのか、うっすら皮膚から血が出ていた。

 よく見れば、二の腕や内腿にもそんな風に赤くなっている所がある。際どすぎて直視なんて出来っこないが、それでも、強く擦ったのは分かる。


 風呂場で磨くにしては、強すぎて局所的だ。

 皮膚でも剥がそうとしたんじゃないかと思うくらいに、部分的に強く擦っている。まるで、何かから逃れようとしてるみたいで。


「……ししょー……?」


 玉の肌をついジロジロ眺めている事に気付いて慌てて目を逸らそうとして、青の瞳がぼんやりと此方を見た事に気付く。

 起きたのか、と思うと同時に途端に居堪れなくなってしまって、視界が泳いでしまう。

 ……非常に、この状態は危うい。布一枚では隠しきれない体のラインに、何というか物凄く見た事に罪悪感を感じてしまった。


 意識がはっきりしてきたらしい弟子は、ゆっくりと気だるそうに体を起こす。大分体も冷えてきたようだが、それでも擦って引っ掻いたらしい肌の痛々しさは、健在だ。


「……その、逆上せていたから此処まで運んだ。な、なるべく見ないようにはしたからな!?」

「……そっか、私あのまま……」


 つい上擦った声を出すも、弟子はそんな事を気にせず、ただぼんやりと呟く。薄桃の唇がか細く吐いた吐息が、やけに重たく聞こえた。


「ご心配かけて、すみません。長風呂しすぎましたね」


 困ったような笑みを浮かべて小柄な体を抱き締める馬鹿弟子は、何処か、儚く、触れれば崩れそうな脆さがあった。

 それは、恥じらいで体を隠す動作ではない。何かを堪えるように、縋りつくものがなくて自分だけを頼りにするしかない、といった風に見えて。


 ああ、やっぱり何かあったのか――それを悟って、俺はソファにかけていたローブを弟子の肩にかけて前を合わせてから、そのまま細い体を抱き締めた。

 分かりやすく揺れる、小さな肩。


 抱き締めるのが恥ずかしいとか、言ってられないだろう。こんなにも、あの弟子が震えているというのに。


「……何があった? 話せるなら、話してみろ。無理強いはしないから」


 なるべく柔らかく問い掛けると、弟子はもう一度体を震わせて、それから俺を見上げてほんのりと湿った瞳を向けてくる。

 ゆっくりと、躊躇いがちに紡がれる言葉を、俺はただ静かに聞いた。

もう一話オスカー視点が続きます。

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