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弟子の事情と師匠の葛藤

 テオ達とお話ししていたらちょっとは落ち着いたので、少しだけ心にゆとりが出来た。顔を合わせて直ぐに逃げる、なんて事は流石にしない。

 今日はオスカーさんに何も言わずに出てきたから、早めに帰ろうと早足で帰路に就いて。

 

 そうして玄関を開けて「ただいま帰りました」と声を上げると、どたどたと足音が響く。奥の廊下から顔を覗かせたオスカーさんは、走ってきたかのような雰囲気。表情は、焦りを浮かべている。

 それから、戸惑う私に足早に近寄って……そのまま、私を腕の中に収めた。


 余裕が消し飛んだというか、心臓が飛び出そうになった。


 逃げるとか、拒むとか、そんなものは考えが及ばなかった。ただ、強く抱き締められて、私の頭は瞬間沸騰した。

 ちょっとは落ち着いたかななんて思った私が馬鹿だった。全然落ち着いてない、というかこの状態で落ち着く訳がない! 何で出迎えが抱擁なの! オスカーさんどうしちゃったの!?


「ぇ、あ、えと、えっと、ええっと……!?」


 ぎゅ、とがっちり固定されているのでおろおろするしかない。

 こんな事初めてで、普段でも驚くだろうに、よりにもよってこのタイミングで!


 余計にドキドキして動悸が止まらなくて、驚き過ぎて逃げるとか以前に呆然とオスカーさんを見上げる私。

 オスカーさんは、そんな私を見つめる。


「……出て行ったのかと」


 小さく呟かれた言葉には、紛れもない安堵が含まれていた。


「な、何で出て行く事になるんですか」

「お前、感情が振り切れると飛び出すって身を以て理解してるから。だから、何処か行くんじゃないかと」

「た、単にテオ達の所に行ってただけですよ……?」

「……そうか」


 ほっと一息ついたオスカーさんが腕に込めた力を緩くするものの、今までの離さないといった拘束から包むような抱擁に変わったので、逆にどきどきしてしまう。

 いつもはオスカーさん、こんな事しないのに。


 私は、かなりオスカーさんに心配をかけてしまっていたみたいだ。……毎日悄気させていたから、それは自覚しているのだけど……その、抱き締めるまで消耗させていたなんて思わなかった。


「……弟子よ、俺は何かしてしまったのか」

「え?」

「最近俺から逃げるから」


 ……どうやら、オスカーさんは自分が何かしたからこうなったと思っていたらしい。その、前科が一回あるから。でも、私もおんなじ事しちゃったから、責められないんだよね。

 そもそも、これはオスカーさんのせいではないのに。


「や、あ、あの、その、それはですね、師匠が嫌いとかじゃなくてですね? ちょっと、思うところがありまして……」

「俺に問題があるものか?」

「師匠に問題、というか、私の心の持ちようがその……」


 オスカーさんが直接的に悪い訳ではない。いやオスカーさんにも原因の一端はあるのだけど、結局私の迂闊さと隙が原因な訳で。

 ……私が無防備にしていなかったら、オスカーさんはきっと、あんな事しなかっただろう。それでも、オスカーさんは寸止めしていたし、本気ではなかった、とは思うけど。


「何かあるなら、言って欲しい。俺が悪いなら、改善するから。というか大概今まで俺が悪かったから」

「ち、違うのです、今回はそうじゃなくて……ぁぅ」


 ど、どう説明したら良いんだろう。全部明け透けに話せば良いの? でもそんな事したら私が物凄く恥ずかしいし……!

 けど言い訳したらオスカーさんが凹んじゃうし、私だってこのままで良いとは思っていない。……や、やっぱり、ちゃんと言うべきだよね……?


 恥ずかしいけど、ちゃんと説明くらいはして然るべきだろう。オスカーさんを傷付けてしまった訳だし……。


 そう思って、事情は話す事にした。……この体勢のままはお互いに恥ずかしいと気付いて、慌てて離れてから居間で、だけど。

 ソファに座って、私は隣のオスカーさんをおずおずと見上げながら、どう話したものかと口をもごもごとさせる。


 話しあぐねるのも仕方ないだろう、だって、こんな恥ずかしい事口にしなきゃいけないなんて。は、話すけど……。


「……そ、の。……あの時、クラウディアさんから、えっと、……男女の営みの事を、教えて貰って」

「ぶっ」


 意表を突かれたらしいオスカーさんが吹き出す。だ、だって、オスカーさんが話して欲しいって言うから、正直に言わなきゃって。


 危うく噎せかけたらしいオスカーさんが落ち着くのを待ちつつ、次の言葉をどう紡いだものかと考える。

 こんなの、直接口に出すのは恥ずかしいんだけど……でも、オスカーさんのお願いだし。


「頭、ぐちゃぐちゃになって、どうして良いのか分からなくて、混乱して。それで、師匠の、あの時の事も分かったから、その、恥ずかしくて……」

「わ、分かった、皆まで言うな。これは俺が全面的に悪かったから、俺の自業自得だと分かったから」


 平謝りしてくるオスカーさんに、私は首を振る。

 オスカーさんが謝る事はないと思う。あの時は、酔っていたんだし。結局的に何もなかったのだから、責めるつもりなんてないし……も、もしそういう事があっても、責めたりはしないと、思う。


 それでもオスカーさんの表情は罪悪感に彩られている。


「……ごめん、あの時はどうかしてた。何にも知らないお前を手込めにしようなんて」

「あ、謝らないで下さい! お互いに酔ってましたし!」


 何かあの時私ふわふわしてて全然頭回ってなかったし、オスカーさんはオスカーさんでいつもより優しくて、その癖積極的だったし。

 あれはお酒の力がそうさせたんだろう。


「そ、それに、どきどきしたけど、嫌じゃなかった、ですし」

「お前はもっと怒れ、あのまま止まらなければ、下手すればなし崩しにしてたんだからな!?」


 ……あう。オスカーさんの焦りと叱責は、ごもっともなんだけども。

 で、でも、オスカーさん私が嫌がったら止めてくれるだろうし……いやあの時嫌がるかと言ったら嫌がらない気がする。だって、何されるか知らないんだもん。


「……止まって良かった。流石に、酔った勢いでとか有り得ない。弟子に手出しとか社会的に抹殺される案件だぞ」


 その理屈だとディルクさんが抹殺されちゃうんだけど……う、うん、オスカーさんは知らないみたいだ。二人から正式に報告があるまでは言わないでおこう。


 何とも言えずにオスカーさんを見ると、頬をほんのりと染めては眉を吊り上げている。


「兎に角! お前はもっと警戒心を持て。俺だって聖人君子じゃないからな」

「は、はい」

「……本当に分かってるのか」


 う、疑り深いなオスカーさん。……今の態度で分かると思うんだけど。

 おずおず、と窺う私に、オスカーさんは暫く形容しがたい表情をしていたけれど、はぁ、と溜め息をついた。


「ったく。……まあ、漸く分かってくれたなら、何よりだ。俺のやきもきを理解してくれたか」

「……はい」


 そこは大丈夫、ちゃんと理解したもん。……オスカーさんがかなり困っていた事も。

 嫌がってなかったから良いかなとか思ったけど、色々と耐えていた、みたいだ。


 ……でも、オスカーさんも最近は女の子として見てくれていた、という事は分かったから、嬉しいのと恥ずかしいのが半々くらいだ。


 何とも言えない感情に、照れというか羞恥がじわり。それを隠す為に曖昧に笑うと、オスカーさんは眉を寄せてしまった。


「……調子狂うというか。大人しいお前も良いが、何か、いつものお前でないとしっくりこないというか」

「そ、そんな事言われましても」

「……馬鹿弟子」

「は、はい?」

「……避けられるのは嫌なので、普段通りにして欲しい。俺が言えた台詞じゃ、ないのかもしれないけどさ」


 小さく唸るように呟かれたのは、懇願混じりの言葉。

 ……オスカーさん、帰還後の事をかなり気にしているみたいだ。あの時はオスカーさんが私を避けていて、今回は逆に私が避ける形となった。

 それを覚えているからこそ、私に強く言えない、のだろう。自分が、避けてた前科があるから。


 私だって、普段通り接したいんだよ。気恥ずかしいから、ぎこちなくなっているだけで。


 いつも通り、というのは落ち着いた今でもほんのちょっぴり恥ずかしいけれど、オスカーさんが望むなら……と隣のオスカーさんにくっつくと、オスカーさんはとても分かりやすく背筋を震わせた。 


「そこをいつも通りにしろとは言ってない」

「でもいつも通りって」

「お前のいつもはこれか!」

「だって、くっついてなきゃいつもの私じゃないですもん」

「……いやそうだけどさあ」


 無邪気にくっつくのが、多分オスカーさんにとっての私なんだろう。

 全てを知ったから何も考えずにべったりというのは無理だけども、理解した上でくっつく事は出来る。……嫌じゃないもん。寧ろ、嬉しい、よ。


 どう言ったら良いんだろう。……オスカーさんが嫌がってないのが、私を女の子として扱ってくれるのが、嬉しいというか。

 昔は子供扱いだったし実際に子供だったから、仕方なかったんだけどね。今は、私の事、そういう目で見てくれるんだなって。


 いつものようにぺとり、と凭れるようにくっついて、一息。

 抱き締められた時はあんなに心臓がばくばくと音を立てて暴れまわったのに、今回は不思議と、落ち着いた。……きっと、ちゃんとお互いに理解して線引きしたからかも、しれない。

 

「ふふ」

「何だ」

「やっぱり、師匠が一番だなって。こうしてるのが、結局一番落ち着くかもしれません」

「……俺が落ち着きませんー」


 相変わらず、オスカーさんは顔を赤くしてそっぽを向いている。照れは、いつもより強そうで。


 それでも拒まないのは、寂しかったからなのかなあ、なんて考えたら嬉しくて、擽ったくて。

 ひっそりと笑うと「何笑ってるんだよ」と不貞腐れた声が聞こえて、私は堪えきれない笑いを隠す為にオスカーさんの腕に顔をくっつけた。


 オスカーさんから抱き締めてきたのに、くっつかれると慌てるなんて、ね。……もっと、どきどきしてくれたら、良いんだけども。

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