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師匠は猫好きです

前回の続きです。

 ふに、ふに。


 眠りから覚め始めて、微睡んだ状態で、頬に触れる感触。温い何かが頬を軽く撫でてつつく。

 あやすような仕草は、眠りと覚醒の狭間に居る私にとって擽ったく、そして心地好く。んにゃあ、と喉を鳴らして自ら頬を擦り寄せる。


 それは、頬を寄せると少し震えて、けれど優しく頬を撫でるのは変わらない。

 ふに、ふに、とそっと触れるそれ。どんどん場所が変わって、ゆっくりと唇をなぞる。すり、となぞってくるそれが擽ったくて、唇で挟むであむあむと食むと、震えが大きくなった。


 なんだろう、とぼんやりした意識で唇に触れたなにかに吸い付いて確かめるのだけど、味という味はない。舐めても、なんの味もしない。

 ただ、少しだけ硬さのある感じで。


「……っ!」


 そこで、それを引っこ抜かれた。

 いきなり唇に挟んでいた硬さが消えて、それから「この寝ぼすけは……!」という焦りが入った声が聞こえて、あれ? と意識を浮上させて……。


 そうして、ゆっくりと瞼のカーテンを上げると、私の顔を見下ろしながらほんのりと頬を染めるオスカーさんが居た。何故か片手を庇っている。

 手を丸めながら指の背で瞼を擦りつつ、もぞもぞとオスカーさんに芋虫のように近寄る。


 ……どうやら帰ってきたようだ。それは分かったのだけど、さっきからオスカーさん何してたんだろう?


 くぁ、と欠伸をしつつ起き上がる。丸まっていたので何だかまだ窮屈な感じがして、背伸びをして漸くオスカーさんに向き直る……のだけど、オスカーさんは目を逸らしていた。

 ……さっきからどうしたんだろう。


「お帰りなさい、師匠」

「……人の部屋で寝るなよ……無防備な……」

「大人しく待ってたから問題ないでしょう? 偉いです?」

「……はー。偉い偉い」


 何だか疲れた様子のオスカーさん、若干なげやり気味に頭を撫でてくれた。自然と喉が鳴ってしまう私に「猫かよ」と呟いてるのだけど、半分くらい猫になってますからね私。


「……で、その猫耳の話なんだが」

「あ、ユルゲンさんに聞いてきたのです?」

「急いで聞きに行って帰ってきたら呑気な顔で寝ている白猫が居たんだよな、不思議だな」

「……えへ?」


 可愛い子ぶって誤魔化そうとしてみたけど頬をつねられた。痛い。


「で、その耳と尻尾だが、一日くらいで自然に消えるそうだ。……お前はお前で何で飲んだかな……」

「師匠の好きなものに近づけるって聞いたから。……まさか猫耳が生えてくるとは思いませんでしたけど」


 自分の手でも、頭部から生えた三角形のそれに触れる。

 ぴこん、と立った耳は、髪の色にあった毛並みをしていて、白銀色。白猫とオスカーさんが例えたのだけど、まあ私の髪は白に近い銀だから白猫と言っても差し支えない。


「にゃーん?」


 猫と言われれば猫っぽく振る舞ってみたくなるもの。

 わざと甘えるように声を出してオスカーさんに抱き付いてみると、オスカーさんにはたかれた。

 地味に痛いので「ふにゃー」とはたかれた場所を押さえると、オスカーさんが慌て出した。……慌てるくらいなら叩かなければ良いのに。またそこまで痛くないから怒りはしないけど。


「もっと可愛がってくださいよー。乱暴、良くないです」

「……お前があざといのが悪い」

「まあ確かに今のは自分でもわざとらしかったな、とは思うのですけど」

「……他は素だった辺りが一番あざといんだ馬鹿」


 そんな事を言われても。


「兎に角、お前は一回着替えろ。落ち着かん」

「え? これ寝間着じゃないですよ?」

「……尻尾で捲れるから、見えるんだ馬鹿」


 見える、……見える?

 よく考えれば、この尻尾、尾てい骨の辺りから生えてて、かなり動く、よね?


「見たんですか」

「見えたんだ、見たくて見た訳じゃねえ」

「ですよね。師匠興味なさそうですし」


 下着を見られて恥ずかしくない訳ではないけれど、相手がオスカーさんだからまあ良いし……。今日何穿いてたっけな、という事は考えてしまうけど。


「師匠、私今日何穿いて、」

「知らん! そんなじっくり見る訳がないだろ馬鹿!」

「尻尾はじっくり見てたり触ってたのに?」

「……それはその。……お、お前の胴体は見てないからな!? 尻尾しか見てないからな!?」


 途端に狼狽えだすオスカーさんに、それはそれでどうかと思うんですけど……と言いたかったものの、黙っておいた。ちょっと複雑だ、私の体は興味ないと言われてるに等しいし。

 じー、と視線を送ると、とても気まずそうに目を逸らされた。




 取り敢えずオスカーさんの真面目なお願いにより、服を着替える事となった。ショートパンツで上から尻尾を覗かせる形にした。

 これなら問題ないだろうと思ったのにオスカーさんは「脚を見せるなはしたない」と怒った。

 オスカーさんはお母さんにジョブチェンジでもするのだろうか、いやオスカーさんみたいなお母さんは御免である。主に家事が出来ないという意味で。


 別に家だし、寝間着の時は脚が見えるから今更じゃないかな、と思ったものの、オスカーさんがうるさかったので太腿まで覆う靴下を履いたら怒られた。もう意味が分からない。


 説得してこれで妥協してもらった。……腰に布を巻かれそうになったけどまあ阻止したので問題はない。


 そんな訳でご飯を作って、食後ゆったりしていたら……オスカーさんがいそいそと何かを持ってきた。

 まあその何かって、猫じゃらしなんだけども。


「師匠、流石にそこまで猫化した訳では」

「やっぱりか?」


 オスカーさんも冗談で持ってきたらしいのでそこまでがっかりした様子は無さそうだ。というかなんで猫じゃらし持ってるんだろう。

 まあオスカーさんもお茶目な所があるな、という事にして猫じゃらしから視線を外そうとして……ゆらゆら、と揺れるそれに、何故か阻止されてしまう。


 やんわりとしなる棒の先に、羽のようなものがゆらり、揺れる。

 気付けば、猫の手を作って、ぱしっと叩いていた。


 オスカーさんは、固まる。私も固まる。


 先に硬直が解けたのは、オスカーさんの方だった。

 それから、棒を揺らして、先端についた飾りも揺らす。私の手は勝手にそれを弾いてしまう。

 時折思い切り動かして私の弾く手がスカるようにしつつ、絶妙に猫じゃらしを揺らしてくるので、堪らない。


 うう、オスカーさんに遊ばれてる……でも何か頭があれを触れと言うんだもん……。


「もぉぉぉ、師匠!」

「はっはっは」


 私が一心不乱に猫じゃらしと戯れているのが面白いらしい。人を猫だと思って遊んでいるな、いや猫だけどさ。


 でもちょっと遊んでたら飽きてくるのも事実で、私は猫じゃらしで構われるよりオスカーさんの手で構われたいのだ。


 それを訴える為に、猫じゃらしを叩くように見せ掛けて、オスカーさんに飛び付いてやった。

 お膝の上に乗ってじーっと顔を覗き込む。幾らオスカーさんが平均的な背丈だからと言っても、私とオスカーさんはそこそこに体格差があるので、こうして下から覗く形になるのだ。


 急接近にオスカーさんは後ずさろうとしたものの、ソファの上なので逃げ場はあるまい。

 ふっふっふ、オスカーさんに反撃の時間だ。


 構え構えー、と頭をぐりぐりと胸板に押し付けると、オスカーさんが急に挙動不審になるのが面白い。

 私で遊んだのだから、私にも付き合ってもらわなければ不公平なのだ。うん、だからこれは正当な対価を要求してるのであって、普段出来ない事を堂々とするチャンスだとか思ってないもん、うん。


 ふにゃー、と甘える声を出して凭れると、オスカーさんは引き剥がせないようだ。この耳と尻尾のせいで無為に出来ないらしい。

 ……猫も良いかもしれないと思ったこの頃。


「……おい馬鹿弟子」

「私は猫ですもーん」


 だから撫でてください、と堂々と要求すると、オスカーさんは非常に疲れたように溜め息をついた。

 それから、頭を撫でてくれる。猫耳を重点的に触れてくるので分かりやすい。


 にゃー、と喉を鳴らす私にオスカーさんは「大きな猫だと思えばいける」と呟いていた。ひどい。私は小柄な方だもん。オスカーさんの腕にもすっぽり入るもん。


 むむ、と唇を尖らせつつ不満を露にする私に、オスカーさんは「よーしよし」と頭を撫でて誤魔化してくる。

 そんなので誤魔化され……るけど、オスカーさんは然り気無く突き刺す言葉を投げてくる時があるので私も身構えなくてはならないのだ。


 むすっとする私を撫でていたオスカーさん。やっぱり尻尾のふさふさが気になるらしくて、そうっと尻尾にも触れだす。

 触られるのは、嫌じゃない。オスカーさんになら触らせても良いと思うし、寧ろ、触って欲しいとすら思うのだ。


 ゆっくりと毛並みを整えるように掌全体を使ってするすると撫でてくるから、心地好さにうっとりと顔がふやけてしまう。

 ……オスカーさん、多分本物の猫に触りたかったんだろうなあ。私は代替品だけど、私でちょっとでも満たされるなら存分に触って欲しい。私も幸せ、オスカーさんも幸せ、良いこと尽くしだ。


「ふぁ……」


 優しく撫でられていると、眠くなってくる。

 そもそもオスカーさんの腕の中だから、温かくて、ちょっぴり早い心臓の音ですら私を安心させてくれて、微睡みに誘うのだ。

 絶妙な力加減で触れられていては、眠気に抗う事すら難しい。


 ……猫化したこの体は案外燃費が悪いのかもしれない、あんなに寝たのに、もう眠くなって――。




 気が付けば、オスカーさんまで寝ているようだった。


 くぁ、と欠伸をしつつ視線を周囲に向ければ、そのまま膝の上で凭れて眠っていたらしい。オスカーさんもソファに身を預けて爆睡してる。

 心なしか満足げな顔をしているのは、猫(擬き)に触れられたからだろうか?


 まあオスカーさんが楽しんでくれたなら良かった、と笑って、オスカーさんの胸に頬擦り。


 耳と尻尾の感覚は、消えていた。

 案外薬の効果が切れるのは早いみたいだ。……ちょっぴり残念だけど、まあ、これで良かったかもしれない。

 オスカーさんが、いつか自分からこうしてべったりさせてくれるようになれば良いなあ。


 オスカーさんは、幸せそうな顔で寝ている。


「……にゃーん」


 寝てるなら、まだ猫としてくっついていても、良いよね?

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