二回目の師匠のお祝い(後編)
オスカーさんは、宣言通り一日側に居てくれた。
お部屋には帰らずに、居間で私との時間を大切にしてくれる。隣で、和やかにお話をして、時々頭を撫でてくれて。
くっついても怒らなかったし、夕食後に待望のイチゴタルトを食べる事になった時は食べさせてくれた。至れり尽くせり過ぎてどうしようかと思った。
「……幸せそうに食べるな、お前」
「幸せですから!」
いつものお店のイチゴタルト。今回は誕生日という事を伝えているらしくて、何だかイチゴの盛り方が豪勢だ。
真っ赤なイチゴをたっぷりと乗せた、艶めく真っ赤なタルト。表面にはちょこんとミントが飾られていて、赤に良く映えている。小さなチョコレートのプレートが飾りとして添えられていて、お誕生日おめでとう、と書いているのが分かった。
そんな贅沢なタルトを、オスカーさん手ずから食べさせて貰えるのだから、幸せ以外の何物でもないだろう。
「まあそこまで喜んでくれるなら、この恥にも耐えられるわ……」
「そんなに嫌なら自分で食べますけど」
「俺の手で食べたいなら、今日くらい食べさせてやる」
「じゃあ食べさせてもらいます!」
厚意は受け取っておきたいのであーんと口を開けると、オスカーさんは少しだけ恥ずかしそうにしながらも切り分けて口の中に運んでくれる。
いつもここのタルトは果物が瑞々しくクリームも程好い甘さ、生地の焼き加減も完璧で美味しいのだけど、いつもより美味しく感じる。やっぱり好きな人に食べさせてもらえるっていうのが大きいのだろう。
「……美味しいか?」
「はい!」
問い掛けに頷くと、オスカーさんは安堵したように眉を下げて笑った。
そんな御褒美タイムも終わって、お片付けも完璧に終わらせた所で、お風呂の時間が来た。
「期待に満ちた眼差しをされても駄目だからな」
「流石に駄目かなーって思ってましたけどやっぱりですか。そこは弁えてます」
オスカーさんの全力拒否により一緒にお風呂にはならなかったものの、私も何だかちょっと恥ずかしかったので止めておいた。
オスカーさんになら見られても良いけれど、微妙に、抵抗がある。いやないとおかしいといオスカーさんに言われるし、私も分かってるのだけど、どうしてだろう。
……あの夜を思い出すと、どきどきする。そのせいかな。
ちゃぷん、と顔まで浸かって、ぶくぶくと泡を出す。
何で、あんな事したんだろう。何をしようとしたのかは、分からないけれど。
肌を触られた。嫌じゃなかったし、どきどきした。……あのまま止まらなかったら、オスカーさんはどうしたんだろう。私は、どうしたんだろう。
考えても分からなくて、私はただ口から空気を出すのに専念した。
そうしてお風呂から上がって寝間着に着替えると、途端にオスカーさんはぎくしゃくしだすのだ。
目のやり場に困る、と言われたのだけど、私下着姿じゃないし、ちゃんと胴体は隠れてるもん。腕は出てるけど。そこまで極端な露出じゃないのにな。
「師匠師匠、一緒に居てくれるんですよね?」
「今程後悔した事はないぞ……確かに一日って言ったけどさ……」
「約束ですもん」
「そうだよな……約束だもんな……」
何だかとても躊躇い気味なオスカーさんに「そこまで嫌なら……」と眉を下げると慌てて首を振られた。
「嫌とかじゃない、が……俺にも色々と踏みとどまらないといけない一線があってだな」
「馬車では一緒に寝てくれたじゃないですか」
「あれはその、心境の違いとかがあるし、お前が寝付かなかったから」
「……師匠居ないと、ざめざめ泣きながら不貞腐れてやります」
「何だよその脅し文句……」
まあ泣きはしないけど不貞腐れるのは事実なので誇張すると、オスカーさんは暫く悩んでいて……それから、私の手を引いた。
きょと、とオスカーさんを見上げると、オスカーさんはただ脇目も振らずにオスカーさんの部屋に引っ張っていくのだ。
あれ、良いの? とか思ったのだけど、着いたら着いたでオスカーさんはクローゼットを漁り出す。
あまりに突然過ぎて首を傾げるしかない私に、オスカーさんは目的のものを探しだしたらしく私に手渡してくる。何かと思えば、大きいシャツだったのだけど。
「これ、着てくれ。その格好は色々と駄目だ」
「は、はあ……似合いませんか?」
「似合うが、似合いすぎて問題がある」
「褒められてるのですかそれ」
「褒めてる。取り敢えず着ろ」
よく分からないけど、着なければ添い寝はしてくれないようだ。
まあ格好に拘っている訳ではないので、そこまでと言うなら取り敢えず着替えようと寝間着の裾を持ち上げて――。
「誰が脱げと言ったこの馬鹿!」
はたかれた。痛い。
どうやら上に着ろという事だったみたいだ。紛らわしいのでちゃんと言って欲しい。
オスカーさんは「人前で着替えるな馬鹿!」とも付け足したのだけど、オスカーさんは確実に後ろ向くからいけるかな、とつい。
……うーん、もしかしたら見たがるのかもしれない。よく分からないけれど、あの時のオスカーさんは、見ようとしたから。
取り敢えず、オスカーさんの言う通りに上にオスカーさんのシャツを着て、ボタンを留める。といっても首元までボタンがないものだったので胸元までしか留められないのだけど。
……それにしても、オスカーさんのシャツって大きい。テオやイェルクさんみたいに長身って訳でもないのだけど(というかあの二人が成長しすぎ)、それでもやっぱり男の人だから大きい。
シャツがワンピースになるくらいには、ぶかぶかだ。寝間着も隠れてしまって、寝巻きを着ていないみたいな見掛けに見える。
まあ、これならオスカーさんも文句ない筈。
「これで良いですか? 露出も減りましたし、寧ろ袖なんかぶかぶかで手が見えません!」
「やっぱ脱いでくれ」
「意味が分かりませんよ!?」
何でだろう、オスカーさんの言う通りにちゃんと着たのに何が不服というのだろうか。
何でですか、と余りすぎな袖でぺしぺしオスカーさんを叩くのだけど、オスカーさんは顔を押さえて呻いている。何が問題だというのか。
「兎に角脱ぎませんよ、私、これ気に入りましたもん。このまま寝ますっ」
オスカーさんに脱がされない内にベッドに飛び込んだ。これなら退かせられまい、とむふむふ笑いながらオスカーさんを見上げると、オスカーさんは「ああもう!」と声を荒げながら同じくベッドに転がった。
そのまま背中を向けるので「師匠」と呼ぶのだけど、師匠は背中を向けたまま微動だにしない。
「早く寝ろ、側には居るだろ」
「……はぁい」
確かに、側には居る。嘘はついてない。
……なら、これで我慢するしかないのだろう。前みたいに、ぎゅっとして欲しかったのになあ。
せめて、触れていたくて、背中にそっと触れるのだけど、オスカーさんはただ体を強張らせてしまった。構って欲しくて、かりかりと指先で引っ掻いても、此方を向く事はない。
暫く細やかな構って攻撃をしていたものの、オスカーさんが振り向いてくれる事はなかった。
……小さく吐息を零して、私も背中を向ける。
オスカーさんなりに譲歩してくれたのだから、我慢しなくては。本当ならオスカーさんは全力で拒んだだろうし、一緒に寝てくれるだけでも、結構に幸せだ。
瞳を閉じて、眠ろうとしても、中々に寝付けない。
どうしてだろう、オスカーさんの側に居ると安心してぐっすりと眠れるのが当たり前だったのに、ちっとも寝れやしない。一人の方が、もしかしたら寝れるかもしれない。
薄暗い中瞳を細めて時計を見れば、もうすぐ日付が変わる所だった。
……誕生日は、終わり。
オスカーさんも好きで一緒に寝てくれた訳じゃないし、もう明日になっちゃうから、お部屋を出よう。今日一日一緒に過ごせただけで、私は充分に幸せだから……。
そうして起き上がった所で、オスカーさんが私の手を掴んだ。まだ起きていた事にびっくりだけど、オスカーさんはオスカーさんで眠れなかったのかもしれない。
「どうした」
「いえ、日付が変わるから出ていこうと思って。邪魔かな、って。師匠、こっち向いてくれないです、し」
「……ごめん。嫌とかじゃなくてだな、その……お前が、俺の服を着ているのが、何というか凄く、危ういというか」
「危うい?」
「……男心が色々あるんです!」
何故か敬語で捲し立てて、それから私をぐいっと引っ張る。
当然、私はオスカーさんの元に倒れ込んでしまって。
ぽふん、とオスカーさんに受け止められたと思ったら、そのまま私を抱き締めて離さないようにしてから、転がる。
オスカーさんの吐息が、首筋に当たって、擽ったい。
「……お前は無警戒で無防備だから、とても困るんだ。このままかじっても逃げそうにないし」
「食べても美味しくありませんよ……?」
「誰が食うと言った。……兎に角、お前があんまりにも俺に気を許し過ぎてるから、俺から線を引かないと取り返しのつかない事になるんだよ」
唇が首筋の、肌に薄い所に触れて、何だかぞわぞわする。
けどいやじゃなくて、オスカーさんに触れられているのだと思うと、心地好い擽ったさとも言えた。
「……お前はまだ預かりものなんだから、あんまり、俺に何かさせる隙を見せないでくれ」
「何かって、何ですか?」
「……その辺の知識、母親かディルクの弟子の女達辺りにでも聞いてくれ。切実に。俺の為に」
……その辺の知識、と言われても困るのだけど、クラウディアさんやテレーゼに聞いたら教えてくれるだろうか。オスカーさんが此処まで言うなら、知っておいた方が良いのだろう。
分かりました、と頷くと、オスカーさんはちょっとほっとしたように息を吐いて……それから、少し顔を上げる。
「日付、変わるな。……最後にして欲しい事とか、あるか?」
「最後に、して欲しい事……ええと、じゃあ師匠、ちょっと瞼見せて下さい。きゅっと」
ちょっとだけ、私からしても良いよね。
オスカーさんは私を疑う事なく不思議そうに瞳を閉じたので、私はそのまま、頬に唇を押し当てた。
びく、と固まって直ぐ様瞳を開けたオスカーさんに、悪戯っぽく笑いかけてみせる。今日くらい、許してね。
「おやすみのキスですよ。おやすみなさい、師匠」
暗闇で良かった、多分今私も顔が赤いから。
そのままもぞもぞとオスカーさんの胸に顔を埋めると、つむじに「このあほ……」という呻き声。それから、ぎゅうっと強く抱き締められた。
「お前、今度覚えてろよ」
そんな言葉をかけられて、私は聞かなかった事にしてそのまま瞳を閉じた。
……まあ、オスカーさんが私に酷い事なんて出来るとは思ってないので、そう心配しなくても大丈夫なんだけどね。
笑っていたら、背中をべしりと叩かれた。痛いオスカーさん。




