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そんなに急がなくても良かったのに

「……君ら、仲良くなったよね」


 実家から帰って来て数日。

 イェルクさんが訪ねてきたのだけど、私とオスカーさんを見てイェルクさんは呆れ気味にそう言った。


 何でそうなったんだろう。別に、いつも通りにお茶を出してからオスカーさんの隣に座っただけなのに。まだべたべたしてる訳じゃないし、特段会話してる訳じゃないのに。


 こてん、と首を傾げてオスカーさんを窺うと、オスカーさんは「あほか」という眼差しをイェルクさんに向けていた。


「何を基準にしてそう感じてるんだよ」

「雰囲気? 君に心境の変化があったと見える。何、もしかして向こうで」

「何もないからお前は黙れ」

「おや、そういう言い方はないだろう。僕は結構に君らの仲を心配してたんだよ?」


 かなりひやひやしてたからね、とわざとらしく溜め息をついたイェルクさんに、ぐっと息を詰まらせるような顔をするオスカーさん。

 そう言われると、オスカーさんは反論出来ないんだよね。実際、色々と気を使って貰っていたし、相談にも乗って貰ってたから。


 オスカーさんもあの時の事はかなり反省しているらしいので、何も言えずただ呻くように喉を鳴らしている。


「まあ可愛いソフィちゃんが幸せそうなら良いんだけどね」

「はい、幸せなので大丈夫です!」


 ぺとっと腕に凭れても文句は言われなかったのでくっついた。あ、でも怒られると嫌なのでちらりと窺ってからしたよ。

 オスカーさん、ぎゅっと唇を噛んで照れを誤魔化してたから多分大丈夫な筈。


「……オスカー、本当に何もしてないの? 何か、凄い距離が……」

「してない」

「それにしてはソフィちゃんが」

「いつもの事だ」


 確かに私がぺっとりくっつくのはいつもの事だ。断言されるのも複雑なものの、その通りである。

 だから、特段オスカーさんが意識することでもない……のかな。その割に、頬はほんのりと赤いけど。


「……いつもの事ねえ。女が苦手なオスカーも進歩したというか、ソフィちゃん限定で甘いのかな?」

「うるせえ! 冷やかすなら帰れ!」


 ……確かにオスカーさん、最初の頃に比べたら、私に触れてくれるようになった。最初は腕に抱き付くだけで顔を真っ赤にして逃げてたのに、今ではこうしてくっついても逃げはしないし、偶に抱き締めてくれたりするし。

 私が積極的にくっついてたから、慣れたのかな。


 ただイェルクさんの指摘にオスカーさんは顔を歪めている。怒ってるというか、焦っている、が近いかもしれない。

 そんなオスカーさんに、イェルクさんは意味深な笑みを浮かべていた。


「ま、良いんだけどさ。それで用件なんだけど、これはソフィちゃんに言えば良いかな」

「私に?」

「暫くオスカー貸してくれない?」

「え?」


 オスカーさんを、貸す?


「ちょっと依頼にオスカーの力を借りたくて」

「それは俺に言えよ、俺はものじゃねえぞ」

「まあそれはそうなんだけど……万が一今までの誕生日の二の舞になったら嫌だから、ソフィちゃんに無断で連れてくのも悪いなって」


 誕生日の二の舞、という言葉を聞いて、イェルクさんの言いたい事は何となく察した。


 ――私の誕生日まで、一ヶ月と少し。そうすれば、私は十六歳になる。


 十四歳、十五歳の誕生日は、オスカーさんが居なかった。皆気にして祝いに来てくれたけど、オスカーさんだけが居なかった。

 イェルクさんがオスカーさんに助力を願う程なのだから、余程その依頼は危険なものなのだろう。時間がかかるかもしれない。もしかしたら、誕生日までに帰って来られないかもしれない、といった危惧をしているらしい。


 私の事をかなり気にしていてくれたイェルクさん。

 だからこそ、躊躇いがちな頼み方をしているのだ。


「私は師匠が良いなら、としか言えませんね」

「え、良いの?」


 今までを知ってるので、イェルクさんはかなり驚いている。

 オスカーさんも微妙な顔をして私を見ていた。


 どうしてそんな顔をするのだろう。別に、怒ったりとか嫌がったりはしないんだけどな。お仕事の邪魔をするつもりはないもん。

 そりゃあ、もし誕生日にオスカーさんが居なかったら悲しいけど……これまた悲しい事に、慣れてしまったのだ。居なかったら後日一緒に居られなかったし小さなお祝いでもしてくれたら良いかなって。


「イェルクさんが頼むのですから、大仕事でしょう? 私一人の事を気にしちゃ駄目ですよ」

「でもね」

「それに、あの時は不貞腐れてましたけど、もう師匠居るし……また誕生日に居なくても、大丈夫ですよ。慣れてますし」


 苛々と孤独感が募っていたあの頃とは違うし、もうそれで不貞腐れたりキレたりはしない。私だって大人になったのだから、流石に暴れたりはするつもりはない。

 帰って来た時に、おめでとうの一言があれば、それで。


「それに、もしそうなったらディルクさんの所に行って賑やかに過ごしてきますから」


 ディルクさんと愉快なお弟子さん達と居ると、楽しいし、凄く賑やかだ。皆いい人だし、ディルクさんもちょっと残念だけど何だかんだ優しいし。オスカーさんが居ない頃はよく頼らせて貰っていたもん。


 だから大丈夫ですよ、と笑うと、オスカーさんは私の肩を掴んできた。何故かとても大真面目な顔だ。


「直ぐに帰ってくる、絶対に間に合わせるから」

「え? は、はい、ありがとうございます……?」

「今年はちゃんと居るから」


 必死に主張されて、私はそこまで焦らなくても良いのにな、とか思いながらも頷いておいた。


 ……オスカーさんの中で、私が大泣きした事はとても罪悪感となって残っているらしい。

 私、泣いたから結構すっきりしたけど、代わりにオスカーさんの中に淀んだそれが溜まってしまったのかもしれない。

 だとしたら、申し訳ないなあ……。


 そんな訳で、謎のやる気を見せたオスカーさんは、イェルクさんのお仕事に同伴して家を出ていったのだけど――。




「帰った!」


 二十日程で帰って来た。想定では一ヶ月かかるかも、との事だったのに。

 これにはびっくりで、居間で読書に勤しんでいた私も勢いよく地下から居間に飛び込んできたオスカーさんの姿に目を丸くしてしまった。


 オスカーさんは、息を荒げていて、おまけに顔には疲労が溜まっている。ああこれ無茶したな、というのが一目で分かった。


「ず、随分と早いお帰りで……」

「そりゃあ全力だったし強行軍だったからね」

「あ、イェルクさんも。お帰りなさい」


 後からついてきたイェルクさんも、結構に疲れていた。しかも土埃や返り血らしきものにまみれている。いきなりこんな姿の美形男子が現れたら、普通の人は飛び上がりそうだ。


 強行軍、という事はかなりオスカーさん無茶をしたのだろう、それにイェルクさんも付き合わせていたらしい。

 ……幾ら急いでたからって、そんな焦らなくても良かったのに。


「余裕で間に合っただろう」

「そうですね、余裕過ぎてびっくりしました。そんな疲れてるなら休んでから転移すれば良かったのに」

「早くソフィちゃんに顔見せたいって帰ってきたんだよ、オスカー」

「あほか。単に家で休んだ方が疲れが取れるからに決まってるだろ」


 そういうオスカーさんだけど、多分、イェルクさんの言う事が正しいのだろう。オスカーさん、滅茶苦茶気にしてたみたいだから。

 オスカーさんの言葉に「素直じゃないねえ」と笑ったイェルクさん。慣れたものといった感じがしてるけど。


「ええと、イェルクさんもすみません、うちの師匠が無茶を……」

「いつからお前が保護者になった」

「まあ生活面では事実上の支配者だからねソフィちゃん」

「……それはそれだ」

「ま、良いよ。久し振りにオスカーの本気も見れたし。動機が面白くて笑ったけど。まさか早く帰りたいが故に海割るとか思わなかった」

「お前は黙れ」


 ……オスカーさん、何してきたんだろう、ほんと。私との依頼の時に湖割ったのは何となく覚えてるのだけど、海まで割るとか。何してるんだオスカーさん。山とかもその内割りそうでちょっと怖い。


 オスカーさんが偶によく分からないというか、実力が謎過ぎて困る。とんでもなく強いのは分かる。

 ……本当に、私オスカーさんと同じような存在なのかな。私そんな事出来る気配がないんだけど。


「ま、兎に角早めに帰って来れて良かったよ。じゃあ僕は報告に行ってくるから」

「あ、ありがとうございました、イェルクさん」

「いやいや。僕が付き合わせちゃったからね。それじゃごゆっくり」


 せめてお見送りをしようと思ったのに手で制されて、イェルクさんは笑顔を浮かべて出て行った。


 オスカーさんは、疲れたようにソファに座る。

 ……やっぱり無茶したんじゃないかな、オスカーさんは魔力はほぼ無尽蔵にあっても、そもそも扱う体の方の体力がないから……。本人に言ったら怒られるけど。


「師匠、大丈夫ですか?」

「問題ない。……ただ、少し眠いから、仮眠する」

「なら、部屋に……」

「……此処で良い」


 疲れてるなら部屋に帰った方が良いのに、と思ったものの、オスカーさんは何故だか部屋には帰ろうとしない。

 もしかしたら、寂しい思いをさせたと思って、私の側に居てくれようとしてるのかな。……本当に、気にしなくて良かったのになあ。


 眠そうなオスカーさんが瞳を擦るので、私は苦笑してソファの端っこに座り直す。


「師匠師匠、はい」

「……何だ」

「枕をどうぞ!」


 オスカーさんが私を気遣ってくれるなら、私もオスカーさんを気遣おう。疲れているのなら、休んだ方が良い。横になって寝るのがベストなのだけど、オスカーさんは意地っ張りだし素直じゃないから。

 せめて楽にしてもらおうと、私は自らの太腿をぽんぽんと叩いた。


 男の人が疲れている時は膝枕が良いと、クラウディアさんが言っていた。一回も実行した事がなかったのだけど、今回はチャンスだ。

 ……まあオスカーさんだから「あほか」と一蹴される可能性が高いのだけど。


「眠いなら横になって寝ましょう。だから枕をどうぞ!」


 冗談めかして誘うと、オスカーさんは暫く此方を見て。


 ――それから、ぽすっと、私の太腿に頭を乗せた。


 自分から誘った事だと言うのにオスカーさんの素直さが想定外過ぎて固まってしまった。

 あの照れ屋さんでツンツンしてるオスカーさんが、こうもあっさりと膝枕に応じてくれるなんて。


 ……というか、オスカーさんこれ絶対本気で疲れてるだろう。私の反応を意に介さなかったというか、もう横になって頭を乗せて直ぐに目を閉じてしまった。


 そのまま暫くすれば寝息を立て始めてしまったから、余程疲れていた……というか強がっていただけで、疲労困憊だったのかもしれない。

 私の為に、無理して帰ってきてくれたんだ。


 すーすーと安らかな表情で眠るオスカーさんの目元には、隈がある。顔の血色も悪い。……どれだけ、無理を通してきたんだろう。何処に行ったのかも、何をしたのかも、分からないけれど……きっと、凄く、頑張ったんだろう。


 この場合、私はごめんなさい、と言うべきか、ありがとう、と言うべきか。

 答えは簡単に出た。


「……ありがとうございます、師匠。……優しい師匠、大好きですよ」


 油断しきった寝顔を見せるオスカーさんの頬を撫でて、嬉しさを噛み締めるようにひっそりと静かに笑った。

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