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秘めた本音

 ……どうしてだろう、今日のオスカーさんはやけに、優しいというか。

 昼からお出掛けしてきたのだけど、オスカーさんは自分から手を繋いでくれたし、行く所を提案してくれたり、カフェでケーキを食べさせてくれたり。これではまるで普通のデートのようではないか。


 私が案内してあげようと思っていたのに、オスカーさんは一体何処から情報を……って、多分お母さんに入れ知恵されてる気がする。チョイスが私の好きなものだけを見事に選んでたから。

 でも、オスカーさんなりにちゃんと考えてくれたみたいで、まさかオスカーさんに導かれるとは思ってなかった私としては嬉しいハプニングだった。


 ……オスカーさん、少しは楽しんでくれたのかなあ。私ばっかり、楽しんでたんだけど。

 と思って聞いたら穏やかに「お前の反応を見ていたら楽しいぞ」と言ってくれたので、ちょっぴり複雑だったもののまあいっか、と笑った。




「ソフィ、おいでー」

「おおソフィ、ほーらおいで」


 で、上機嫌でおうちに帰ったのは良いものの、その夜何故か不貞腐れていた男二人が酒盛りをした結果、こうなった。


 夜、私がお風呂から上がったらお兄ちゃんとお父さんがお酒を飲んでべろんべろん。二人して笑い上戸だったらしく、何とも愉快そうに笑っている。

 仲良くなったように見えるのは喜んで良いのか悪いのか。


 オスカーさんはオスカーさんで巻き込まれたらしいけど、オスカーさんだけが無事だ。……そういえばオスカーさんは何気にお酒飲むもんね、私に飲ませてくれないけど。


「もー、二人共飲みすぎ」

「のみすぎということはないだろう、わたしはにはいしかのんでないぞ」

「それで酔うならお父さんにとって飲みすぎなの! もー」

「ソフィーおいでー」

「お兄ちゃんも。そんなに飲んで後で吐いても知らないんだからね」


 もう二人共普段よりしつこく絡んでくるので、あしらうのにも一苦労だ。しかもこの調子だと確実に明日に響く。仕事はないだろうけど……全くもう。


「ソフィーおいでー」

「もー何……うわっ!?」


 お兄ちゃんが繰り返し呼ぶからはいはいとやっつけ感溢れる態度で近寄ったら抱き締められた。

 そのまま膝に座らされる形で抱き締められ、ぎゅうぎゅうと密着される。……それは良いけどお酒臭いよお兄ちゃん。


 お父さんはお父さんでお兄ちゃんからひっぺがそうとするのでお腹に手を回して力ずくで剥がそうとする。絞まる絞まる。

 お兄ちゃんはお兄ちゃんでそれに抵抗して強く抱き締めるし。どちらも暑苦しい……お風呂に入ったのに汗を掻かせないで欲しいのだけど。


「いい加減になさい」


 そして見兼ねたお母さんが仲裁(物理)で入ってくれたので、私はそのままお兄ちゃんに抱き締められる事になった。お父さんは、頭を擦りながら厚い本を持っていたお母さんにへこへこ謝っている。母は強し。


 結果的に傍迷惑な小競り合いに勝利を収めたお兄ちゃんは満足そうに頬擦りをしていた。……まあ、久し振りに会ったのだから、こうして触れたがるのも分かるんだけど。

 酔っぱらってるからそれが顕著ならしいお兄ちゃんは、ただ緩んだ顔を見せている。


「ソフィ、大きくなったなあ」

「お兄ちゃんが七年も居ないんだもん、大きくなるよ」

「そうだな……居ない間に、大きくなって……その上取られそうになるし……」


 取られそうになる、という意味が分からない。でもお兄ちゃんは自分の発言は正しいと思ってるみたいだし。


「ソフィ、いかないでくれ」

「何処に? 私、王都には帰るよ?」

「お嫁にいかないでくれ」

「行き遅れろと……」


 ……今からその心配してたのか、お兄ちゃんは。心配性というか過保護というか、考えるの早すぎじゃないかな。そりゃあもう結婚出来る歳ではあるんだけども。

 でも、肝心の相手が居ないし、オスカーさんは私の事そういう好きじゃないと思う。子供扱いするし。弟子としては凄く大切にされてるし、好かれてるとは思う、けど。


 ……大好きだけど、オスカーさんは私の事、女の子として見てくれてるのかなあ。


「……ソフィのドレス姿は見たいけどあいつには渡したくない」

「あいつ?」

「兎に角駄目だからな、お兄ちゃん反対だぞ!」


 ぎゅむ、と引っ付くお兄ちゃんに「はいはい」と宥めながらぽんぽん。……酔っ払うとお兄ちゃんは甘えん坊になるんだね。ソフィソフィと連呼して頬擦りしてくるし。

 可愛いと思うけれど、私とお兄ちゃんって結構顔立ちが似てるから複雑な気分だったりする。


「ほーらお兄ちゃん、もう寝ようねー。お部屋行こっか」

「一緒に」

「寝ません。……お母さん、お父さんお願い」

「ええ」


 お母さんは流石というか手慣れていた。ふらふらなお父さんに「ほら行くわよ」と背中をはたいて軽く正気に戻しつつ、お部屋に誘う。

 私も拘束を解いて貰って、お兄ちゃんを支えつつお兄ちゃんのお部屋まで案内して寝かせた。……ベッドに引きずり込まれそうになったので頭をはたいたけど許されるよね、うん。


 お母さんもそのまま寝るらしくて(というかお父さんが離さなかったらしい)、居間には帰ってこない。

 一人、オスカーさんが残ってグラスを煽っている。


 お父さんお兄ちゃんが酔っ払ってる中一人涼しい顔で飲んでいたけれど、オスカーさん結構な量飲んでいる気がするの。ほんのり、頬が赤い。


「師匠、何気飲み過ぎじゃないですか」

「支離滅裂になる程酔ってないから問題ない」

「そりゃそうですけどー」


 まあオスカーさんは自制してるみたいだし、私から何か言う事はないのかもしれない。

 ただ、気になる事はあるけれど。


「……そんなに飲んで、美味しいですか?」

「美味しいには美味しいが」

「お酒は大人になったら飲んでも良いですよね!」


 皆美味しそうに飲むから、気になっていたのだ。皆して美味しそうにしてるし、私も飲んでみたいと思っても仕方ないだろう。

 もう私だって立派な大人ですし、飲んだって問題はないのだ。オスカーさんはいつも私には飲ませてくれなかったけど、飲ませてくれたって良いと思うの。


 良いですか? とオスカーさんにくっついて懇願すると、オスカーさんは暫く考え込んだ後に渋々「飲み過ぎるなよ」と許可を出してくれた。

 オスカーさん、実は結構酔っていそうだ。普段は絶対に駄目だって言い張るのに。大分緩んでるみたい。


 許可を貰ったので堂々と飲める。という事で、折角だしオスカーさんと同じものを飲んでみたくて、半透明のとろーりとしたオレンジのお酒に手を伸ばして――。




「ししょーししょー」

「お前もかよ」


 柑橘系のお酒だったらしくて、甘酸っぱくて、でもほろ苦くて、口の中でスッと抜けていく爽やかさが美味しかった。

 オスカーさん曰くもっと苦いものがあるがお前には早いとの事でジュースっぽい味のお酒だけに限定された。それはそれで美味しかったから、良いのだ。


 飲むと徐々に頭がふわふわしてきて、体がぽかぽかと熱くなる。妙な高揚感がずっと続いている、といった感じなのだろうか。体が甘い倦怠感を覚えていて、動くのもちょっとゆったりな動作になってしまう。


 オスカーさんともこの気持ちよさを分かち合いたくてくっつくと、オスカーさんは深々と溜め息をついてしまった。

 むう、と唇を尖らせてもっとくっつくと、仕方なさそうに私を撫でて「これ以上飲むな」と禁止令を出してきた。けち。


 ぷくーっと膨れた頬をつつかれる。ぷすっと空気を出すと「子供か」と言われてしまって、また頬を膨らませる羽目になった。


 ……いつも、子供扱いするんだから。もう、大人なのに。……もうすぐ、十六歳になるのに、な。


 そんな私の不満に気付かないオスカーさんは、私を抱えて階段を登る。行き先は、多分私の部屋だ。

 寝かせる気なんだな、と直ぐに分かって脚をぱたぱたとさせるものの、オスカーさんは私のつむじに顎を落としてぐりぐりしてくるので、力が抜けてしまう。


 抵抗がなくなったのを良いことにオスカーさんは私の部屋に入り、優しくベッドに下ろしてくれた。……そういうところは女の子扱いしてくれるのに、どうして普段はしてくれないのかな。

 そんなに、私って子供っぽいのかな。胸だって大きくなったのに。歴とした女の子だもん。


「ししょー、ししょぉ」

「はいはい何ですかお嬢さん」

「わたし、こどもっぽいですか?」


 そのまま立ち去ろうとしたオスカーさんの腕に抱きつくと、オスカーさんは分かりやすく体を震わせる。


「いきなりなんだよ」

「だって、ししょぉ、いつもこどもあつかいするもんー。わたし、もうおとなのおんなだもんっ。ちんちくりんはそつぎょうしたもんっ」

「……この酔っぱらいめ」


 胸にくっついてそのままぽこぽこと叩いて不満を口にすると、当の本人は額を押さえている。

 ……どうして、オスカーさんはちゃんと私の事を見てくれないんだろう。いつも、保護者目線で。私が迷惑かけるからって分かってるけど……もっと、大人として見て欲しいのに、な。


 頭が、ふわっとして、上手く思考が纏まらない。もっと、ちゃんと気持ちを伝えられたら、良いのに。


「もっと、おんなのことしてみてほしいです。わたし、おとなになったんですよ。……わたしじゃ、だめですか……?」


 私じゃ、オスカーさんにとって、対象にならないのかな……。


 ぎゅ、としがみついて、オスカーさんを見上げる。

 ……この胸のどきどきとか、一杯な気持ちとか、どうしたらオスカーさんに伝わるのだろうか。どうしたら、オスカーさんに見て貰えるのだろうか。隔たりをなくしてくっついたら、少しは、伝わるのかな。


 どんどん早くなる鼓動を少しでも伝えたくてくっつくと、オスカーさんは瞠目。

 それから、ぐしゃぐしゃと、髪を片手でかきむしる。ああくそ、と切羽詰まったような声が、やけに近い位置で聞こえた。


「俺も酒飲んで割と緩んでるんだぞ、このあほめ」


 ぽすん、と、背中に柔らかい感触。

 耳の横が沈むような感覚がしたのは、オスカーさんの手が着いたから。私の上には、月明かりに照らされたオスカーさんは居た。

 瞳は、ただ静かに私を見ている。何処か飲み込まれそうな、深い輝きを持った紫の瞳で。


「ししょー……?」

「……そういうお前だって、俺が男だって事を、忘れすぎだよ。幾ら師弟だからって、俺とお前は男女だ。……お前なんて、簡単に御せる」


 指先が、つうっと滴るような軌跡を描きながら、首筋をなぞり、鎖骨に触れる。

 そういえば襟ぐりが広い寝間着だったな、なんて思い出す。触れるか触れないかのぎりぎりを指の先でなぞられるのは、ぞくりと腰が揺れるような奇妙な擽ったさがあった。


 そのまま、襟の縁までゆっくりと体の中心を通るようになぞる。深い襟ぐりから覗く胸元ぎりぎりのところでぴたりと止まる指先。

 擽ったさに背筋が震えてちょっと身じろぎこそしてしまったけれど、私はただオスカーさんの行動を受け入れた。

 オスカーさんに触れられるのは、嫌じゃない。ちょっと、恥ずかしいけれど。


 お酒が回っているのか凄く体の熱くて、ほんのり怠い。体をシーツに投げ出したままオスカーさんをじいっと見上げると、オスカーさんは困ったような、少しだけ泣きそうな顔で、笑う。


「……抵抗してくれないと困るんだが」

「……どうして?」

「そこから説明か。させないでくれ」


 呆れたような、困ったような、そんな顔をして、オスカーさんはそっと胸元ぎりぎりで止めていた指を、離す。

 どうしてこいつは、なんて今にも頭を抱えそうな声を上げるオスカーさんに、私は答えを教えてあげる事にした。


「だって、ししょーは、やさしいからひどいことしないもん」


 単純な答えだろう。

 オスカーさんは、もう私を傷付けないもん。そう、約束したから。


「……その信頼を裏切れないって分かって言ってるなら、大したもんだよ、お前」


 私の答えに、オスカーさんは脱力して、更に溜め息。

 胴体に触れるのを止める代わりに頬を撫でて優しくあやすように触れてくる。……やっぱり子供扱いだ、とちょっと思ってしまったけれど、眼差しがいつもよりずっと、物欲しそうで、……少しどきどきした。


 オスカーさんは、やっぱり分かってない気がするの。

 傷付けないって約束したけど、さっきの続きは、多分、傷付かないよ、私。何をするのかは、あんまり分からないけど……でも、オスカーさんは優しいから大丈夫だって、確信してるもん。


 ふふ、と笑って覆い被さるオスカーさんの背中にもう一度手を回して、抱き付く。

 お酒の力もあるから、こんな風に出来るのかな。


 鼓動を分かち合うように体を触れさせると、オスカーさんはただ静かに私の顔を、至近距離から覗く。

 紫の瞳が、何処か乞うように私を見つめていた。


「……馬鹿弟子。そんなに、俺の事好きか」

「だいすきですよ」

「……物好きなやつだ。知ってたけどさ」


 私がずっとオスカーさんを慕ってる事くらい、本人だって気付いてるだろう。それでいて子供として扱ってたのは、多分、わざとなんだって、なんとなく分かってきた。

 でも、もう私も大人だから……ちゃんと、見て欲しいのにな。


 その願いも伝えたくて、どんどん眠くなってくる体に逆らうようにくっつくと、オスカーさんはただ、首筋に顔を埋めた。


「……此所まで馬鹿正直で純粋だと、ほだされても仕方ないんだよな、きっと」


 それから小さく、そんな声が聞こえて。


「……おやすみ」


 微かに頬に触れた感触が何かは分からなかったけれど、何だかとても幸せな気分で、私はそのまま意識を眠りの海に旅立たせた。

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