目覚めればそこは
気が付けば、私は寝かされていて、オスカーさんは私を覗き込んでいた。
オスカーさんは、とても心配そうな顔で、私を見つめている。そんなに見つめたら照れちゃいます、なんてからかいの言葉を言おうにも、体が重くて、寒くて、震える。体の端から死の淵に追いやられているようで、怖い。
寒くて、怖くて、掠れた声で「一人にしないで」「寒い」「しにたくない」と呟くと、泣き笑いのような顔で頭を撫でられ、抱き締められた。
私の体を包むように、オスカーさんの肌が触れる。
細いけれどなよっとしている訳ではない体が、私を抱き締めて離さない。上衣を纏っていないオスカーさんは、ただ私の体を温めるように擦り、それから「大丈夫だ、俺が居るから」と囁くのだ。
その温もりと言葉に自然と安堵して、私はそのまま再び意識を闇に落とした。
そして次に目が覚めると、オスカーさんは居なかった。
……一人にしないでって言ったけど、居なくなっちゃった。オスカーさん、何処行ったんだろう。
体の重さは大分楽になっていたから、ゆっくりと体を起こすとずきりと痛む頭。
そう言えば頭打ったっけ、と薄れ気味な記憶を思い出しながら起き上がると、かけられていた布団が体から滑り落ちる。
まだちょっと寒い、と体に巻き付けようとして……素肌に布団が触れた事に気付いた。
自分の体を見れば、寝間着だ。袖がないワンピースタイプで、胸元から太腿の半ばまで隠れている。やや肌の露出が多い。
ただ、これは私が買ったものでもない。
肌触りがちょっとごわごわしてる。私は肌触りが滑らかなものしか着ないので、まず有り得ない。それに、こんなもの家で着たならばオスカーさんが確実に怒るし。
……はて、私はいつ着替えたのだろうか。
緩く覚醒し出す頭で考えていると、部屋のドアが開く。
現れたのは、水差しとコップをトレイに乗せたオスカーさんだった。
私が起き上がっている事に直ぐに気付いて、それから紫の瞳をこれでもかと見開く。何で起きてんだ、と言わんばかりの瞳だ。
「あ、おはようございますししょー」
ちょっとまだ体が気だるくて眠気もある。瞳を擦りながらへらっと笑いつつのんびりと朝の挨拶をすれば、オスカーさんはわなわなと体を震わせて、それから早足で私に近付く。
側のサイドテーブルにトレイを置いたと思ったら、私はオスカーさんの腕の中に収まっていた。
……あれ……?
「……ししょー……?」
これには眠気も吹き飛んで、瞳をぱちくり。
お、オスカーさん、こんなスキンシップしてくる人だったっけ。さっきも、抱き締めて寝てくれていたような……?
オスカーさんの腕に収まりながらおずおず、と控え目に見上げると、オスカーさんは私を見つめる。不安に揺れたような、心細さが見える瞳で。
けれど紛れもない安堵も含まれた紫は、私をただ切なげに写している。
「……ほんとーに、お前は、危なっかしい」
「そ、そんな事言われてもですね……」
「……心臓が止まるかと思った」
「私も息の根止まるかと」
頭が働きだしたので、色々と鮮明に思い出してきた。
私、あの蛇のような魔物に食べられかけて、オスカーさんに助けられたんだよね。あのままだったら、私今オスカーさんの温もりも分からない所に旅立ってたんだ。
オスカーさんが居て良かった、とほっとしてると、オスカーさんはぶるりと体を震わせる。
「このあほ! 暫く依頼受けるの禁止!」
「えええ!」
「お前は目を離すとすぐに何か仕出かす!」
「ゆ、油断したのは確かに私の落ち度ですけど! でもあんなの聞いてないもん!」
「俺だって聞いていなかった」
足元を掬われたのは確かに私の油断があったのだけど、そもそもあんな危険な魔物が居るという事前情報があったらもっと警戒していた。
今回の依頼は、あくまで魚人種だけと聞いていた。
それなのに実際にはあんな魔物が居た。私一人で行ったら死んでしまうような、大きな魔物が。内容詐偽にも程がある。
オスカーさんも知らなかった、というか、受付嬢さんも確実に知らなかっただろう。でなければあんな依頼を勧めない。
「……恐らくだが、人為的か偶然かは知らんが、卵か孵化直後の状態で湖に紛れ込んだんだろう。この湖に水竜の一種がいる訳がないんだ」
「……あれ竜なんですか? 触手擬きが生えてたのに?」
「一種だな。見掛けは蛇に近いが。お前が想像するような空を飛んで火を吐くような竜はもっと険しい山岳地帯にしか居ないし、人里に降りようものなら俺とかイェルクが問答無用で召集されるから」
つまり、竜属とはそれだけ強力な魔物なのだろう。
その一種が居たなんて、ぞっとする。……もし、オスカーさん抜きで来ていたり、オスカーさんが気付いてくれなかったら、私は死んでいたのだから。
「……成体になれば否が応でも気付かされたのだろうが……今回はまだ幼生体だったから、村も気付いてなかったんだろう」
「あ、あれでも幼生体……」
「取り敢えずぶっ殺しておいたから、もう被害はないだろう」
「……あっさりと倒してましたもんね」
オスカーさん、直ぐに駆け付けて(というか泳いで?)くれて、一瞬の内に体を千々に切り裂いて倒してたし。酸欠と頭からの出血で何が起こったのかさっぱり分からなかったけど、兎に角凄かったのは分かる。
よくあんな事出来るなあ、と感心していたら、オスカーさんにでこぴんされた。……といっても、とても優しいものなのだけど。
「当たり前だろう、お前、あの状況で手加減出来るか」
「う……」
「お前が死ぬかと思ったら、手加減なんて出来ない」
本当にひやひやした、と零すオスカーさん。
……私は、凄く心配をかけてしまったのだろう。
「お前、怖いんだよ、ほんと。こんな、細くて頼りない体で頑張ろうとするのを見ていると、いつか壊れそうで」
「そんな弱い体じゃ、ないですよ」
「……馬鹿弟子」
少しだけ震えた声。
オスカーさんは、私の背中に回した腕の力を、ほんのり強める。きつくはないけれど、触れ合う感覚は強くなる。
オスカーさんの胸に体を預ける私は、何だかちょっぴり気恥ずかしさを覚えながらオスカーさんを見上げる。……いつもだと、嬉しくて、気持ちいいのに……今日はそれより、どきどきが強い。
窺うように見上げると、オスカーさんは私を確かめるように掻き抱く。不安をそのままに行動に移したかのような仕草だった。
「……し、師匠、珍しいですねそんな弱気で」
「誰かさんが死にかけるからな」
「ぅー……」
それを言われると、弱い。心配をかけたのは、重々承知している。
「……ごめん、俺も少し目を離したのが悪かった」
「い、いえ、私が悪かったのですし……」
「体は大丈夫か。肺炎とかはなってない、らしいが」
「大丈夫です、水はそう飲み込んでないですし、師匠が……」
オスカーさんが直ぐに助けてくれて、口移しで、……あ、あれ、私オスカーさんにあの時、唇を……?
思い出すと、急に恥ずかしくなってくるのは何故か。あの時は頭がぼんやりしてて、ただオスカーさんが助けてくれたという安堵感で一杯だった。
でもよく考えれば、私、あれが初めてのキスだった。……人命救助なのは身に染みて分かってるし、オスカーさんもそのつもりだったのだろうけど。
「……師匠、そ、その」
「何だ?」
師匠は何とも思わないんですか、と問おうとして見上げれば、いつになく優しくて穏やかな顔と出会う。
……不意にオスカーさんはこういうドキッとさせるような顔をしてくるから、怖い。心臓に悪すぎる。
「な、何でもないです……」
「そうか? それなら良いが。……もう心配させないでくれ」
「……はい」
「……馬鹿」
小さく耳元で囁かれて、そのまま肩に顔を埋めたオスカーさん。今までになく自ら触れてくるオスカーさんに、心臓が暴れ始める。どきどきして、熱が出てしまいそうだ。
……オスカーさんも充分に心臓に悪い、オスカーさんのせいで、私は倒れてしまいそうになる。
……けど、生きているという実感が出来るし、何より嬉しいから、私はただ黙って抱擁を受け入れた。




