師匠とお出掛け(帰宅編)
そんな訳で新しいローブを買った私、オスカーさんに着てもらってほくほくである。
紺のローブは黒よりもずっとさっぱりというかすっきりした雰囲気だ。後店を出る前にまだ直ってなかった寝癖をきっちり直して、完璧だ。
ふふー、と手を繋いでご満悦な私に、オスカーさんは最初何か言おうとして諦めたみたいだ。もう好きにしてくれ、と顔に書いてある。遠慮なく好きにしてますけどね。
おにゅーのローブに身を包んだオスカーさんを見て褒めてたら、オスカーさんは暫く口聞いてくれないけど。……耳が赤いし手は繋いだままだから、怒ってはないのだろう。
「ししょーししょー」
「何だよ」
「格好いいですよ!」
「……そりゃどーも」
褒めたらかなり恥ずかしそうにしてるのが繋いだ手から分かったので、私はただ笑ってその手を握り直した。
そこから暫く市場やお店をうろうろ。
よく通ってる所に顔を出して挨拶したり、適当にご飯を食べたり。
オスカーさんの事を紹介すると、皆して「あんたがあの……」という反応をするから、オスカーさんは居心地が悪そうだ。あとオスカーさんに睨まれた。
違うの、ただ私の尊敬する師匠だってお話ししただけだもん。悪くないもん。……そりゃあ、早く帰ってきてよばかー、とは愚痴った事もあるけど。
「随分と綺麗なお兄ちゃんだねえ。ただ細っこいし、ちゃんと食べてるのかい?」
お昼御飯は隠れ家的な食堂で。私のお気に入りのお店の一つである。
女将さんが色々と良くしてくれるのだ。
「ちゃんと手料理食べてもらってますもん」
「そうかい? もうちょっと食べさせなさいね、こんなひょろひょろじゃあソフィちゃんも心配だろう」
「師匠は食べても太ってくれないんですよねー」
オスカーさんは食べても食べても太らないという女の子垂涎の体質持ちなのである、羨ましい。
ただ、オスカーさんは放っておくと食べない癖があるのでちゃんと食べさせる努力をしなくてはならないのだ。これ以上細くなると、オスカーさん折れちゃいそう。せめてテオとかみたいに筋肉をつけてくれたら良いんだけどなあ。
「そうかい? じゃあこれもおまけしとくからたんとお食べ!」
そう言って奥から鶏肉を串に刺して炙ったものをお皿に乗せてくれる。私の分までくれるので、親切すぎると思うの。
今度お手伝いでもしようかな、と心に誓いつつ「ありがとうございます」と笑顔を返す。女将さんも気の良さそうな笑顔で「ゆっくりしていっておくれ」と返してくれた。
奥に戻っていく女将さんに、オスカーさんは困惑気味な視線を投げている。
「……お前、色んな所で知り合い居るな」
「偶々ですよ。全員知り合いって訳じゃないですし」
頼んだグラタンを冷ましながら、肩を竦める。
流石にそんなに交遊範囲は広くない。よく行く食材系の店舗か食事処くらいだ。
「あ、でも、知り合いには師匠の事布教しときました」
「布教って何だよ布教って!?」
「まあ布教は冗談です。ただ、師匠はいい人だから、噂とかで判断せずにちゃんと本人を見てあげて下さいって」
「……だから俺値踏みするような目で見られてたのか……」
オスカーさん、思い出したらしく複雑そう。
といっても、皆オスカーさんの様子見て間違っても危険人物とかそういう認識はしてないと思うの。だって、オスカーさん私と手を繋いで恥ずかしがってる所ばかり見られてたし。
ふふ、と笑ってグラタンを口にする。
こうしてちょっとでも、オスカーさんに対する誤解が減っていったら良いんだけどなあ。
オスカーさんは、なんだか恥ずかしそうにしつつ、肉をかじって「うまい」と零している。最近オスカーさんは、美味しいと言うようになったし、色々と褒めてくれるようになった。
今までの態度と一変してなんだか怪しくて訝ったら、オスカーさんは「ちゃんと言わなきゃ色々と捻れる」との事。……まあ、一回それで私が爆発したからだろう。
「何だよ」
「いーえ、何でも」
何か、結果的に爆発してよかったのかな、なんて。
まあもうあんな思いは二度と御免なので、互いに気を付けていけたらなあと思ってるのである。オスカーさんには分からないだろうけど、本当に、私はあの時怒ってたから。
もうあんな事にならないといいな、と思いつつ、私も串にかぶり付いた。
まあそんな行く所がある訳でもなかったので適当にぶらりとしつつ、晩御飯の材料を買って帰ろうか、となった私達。
いつも野菜を買っている店に行くと、店番をしていたおばあちゃんが嬉しそうに顔を綻ばせた。
「おやソフィちゃん、こんにちは」
「こんにちは」
息子夫婦は出稼ぎに行ってるらしく、一人で寂しがっていたおばあちゃん。孫みたいに可愛がってくれるのだ。
オスカーさんはおばあちゃんに軽く頭を下げる。まあ、と嬉しそうに声を上げるおばあちゃんは実はちょっと面食いらしく、私が「師匠は格好いいんですよ!」と話してたら興味持ってたっけ。
「そうそうソフィちゃん、この間は大丈夫だったかい?」
「この間って?」
……この間って、何かあっただろうか。おばあちゃんに家出の事は伝わってなかったと思うんだけどな。
首を捻る私に、おばあちゃんは不安そうに眉を下げる。
「ソフィちゃん、この間また襲われかけただろう。最近物騒だからねえ」
やば。
ぎぎぎ、とぎこちなくオスカーさんを窺うと、オスカーさんは真顔になっていた。心なしか、私を捕まえる手に力が入っている。
視線で何で言わなかったと言われている気がして、私は慌てて目を逸らした。
「あ、あはははは、だ、大丈夫ですよ」
「そこのお兄さん、ソフィちゃんの師匠さんだろう? ちゃんと弟子を守ってあげなさい」
「――そうだな、暫く留守にしていたら弟子が危なっかしいし。今度から、気を付ける」
ぎゅ、と手を握られるのは嬉しいのだけど、オスカーさんの顔に「後で事情聴取な」って書いてるからちょっと怖いんだけど。
おばあちゃんに引き攣った笑顔を返すしかないのだけど、オスカーさんの視線が怖い。これは確実に責められるパターンだ。
オスカーさんの様子には気付いてなさそうなおばあちゃん、心配そうに此方を見てくる。
「最近ソフィちゃんらしき子を探してる男が居るらしいからね、身の回りには気を付けなさい。私らは知らぬ存ぜぬを貫き通してるけどね。ああソフィちゃん、良かったら持っていきなされ」
「あ、ありがとうございます……あはは」
いつもの分に加えて野菜をおまけしてくれたので、私は感謝しつつも隣でじーっと此方を見てくるオスカーさんには視線を向けられなかった。
まあ当然誤魔化せる訳もなく、帰宅してから私はオスカーさんに捕まっていた。食材だけは懇願してキッチンに置かせてもらい、ソファに連行された。
「馬鹿弟子」
「私悪くないもん、何で被害者の私が責められなきゃいけないのですか」
オスカーさんが言いたい事は分かる、私がそういう被害に遭った事に色々と思う事があるのだろう。
ただ、私にはどうしようもないじゃないか。気を付けているつもりでも変な人は存在するし、個人では警戒しきれない事もある。私にどうしろと言うのだろうか。
むう、と隣のオスカーさんを見上げれば、ゆるりと首を振られる。
「そうじゃない、何で言わなかったんだ」
「最初の時は師匠は居なかったし、この間のは師匠が私を無視してたし」
「……ごめん、それは謝る。……それでもお前は馬鹿だ」
「何でですか」
「その調子だと、誰にも相談してないな。相談していたら、テオがもっと動くだろう」
……そうだ、テオには言ってない。だって、心配かけたくなかったもん。本当は、オスカーさんにだって言うつもりはなかったのだ。
私一人だけでも何とか出来るし、一々思考を煩わせるのも嫌だったから。
「私、強くなったんです。撃退だって出来ます」
「馬鹿!」
「な、何で怒られなきゃいかないんですかっ」
「そういうのじゃない。……怖かっただろう」
そっと顔を覗き込まれて、私は唇を噛み締める。
「ごめん、全面的に俺が悪かったのは自覚してるんだ。お前を放っておいた、俺が。……本音を話してくれ。……怖かっただろう?」
問い掛けに、私は震える唇をゆっくりと動かす。
「……怖かった。体触られて、気持ち悪かった、です」
――怖くない訳がない。
知らない人にいきなり掴まれて、引っ張られて、体に触れられるなんて。耳元で感じた息遣いも、体をなぞる指の感触も、理性が溶けた瞳も、何もかも気持ち悪かった。
男の人は、よく分からない。私に何をしたいのかなんて分からなかったけど、きっとおぞましい事なのだろう。
考えるだけで、鳥肌が立った。
思わずふるっと震えた体を、オスカーさんがそっと抱き寄せてくれる。ぎこちなくて、でも労るように。
……どうして、こんなにも違うんだろう。オスカーさんに触れられたら、こんなにも幸せで、気持ちいいのに。好意があるから、なのだろうか。
「……何もしてやれなくて、ごめんな。俺がちゃんと、守ってやらないと、いけないんだな。……ごめん、な」
オスカーさんは、居なかったから悪くないのにな。
もぞ、とオスカーさんの胸に頬をくっつける。オスカーさんは、いつもよりかなり早い鼓動をしていた。けど、離さない。
温もりと香りに安心してしまってほぅ、と息をつく私は、オスカーさんが穏やかで、それでいて少しだけ不安そうな眼差しで見下ろしている事に気付く。
「俺に触れられるのは、怖くないのか」
「……師匠は、良いの。……師匠だと、安心するから」
「……俺に油断しすぎなんだよ、馬鹿」
馬鹿、という響きが、やけに優しい。
「頼むから、あんまり無茶しないでくれ。俺はさ、鈍いから、気付けない事もある。……本当は先に気付くのが一番なんだろうけどさ、言ってくれたら、幾らでも対処出来るから」
「……はい」
小さく頷くと、オスカーさんはただ私の背中を一度だけぽん、と叩いた。




