ただいま
いつの間にか寝てしまっていたらしく、私は横になっていて視界が黒で一杯だった。
鼻を満たすオスカーさんの匂いは、相変わらず。それから、全身を包み込む温もりが、側にある。
私の手はオスカーさんのローブを掴んでいて、離さなかったらしい。だからこそ、私はオスカーさんに抱き締めて貰ったまま、腕枕で寝ていたのだろう。
役得だ、とかちょっと思いつつ視線を上に向けると、オスカーさんは静かに寝ている。目元には変わらず隈があって、私を寝ずに探してくれたのかな、と思うと申し訳なさと嬉しさが半々で込み上げた。
オスカーさんが側に居てくれて、私を抱き締めてくれている。
それだけで、私は幸せだった。……一人じゃないんだと実感出来て、嬉しい。温かくて、心地好い。
恋しかった温もりが側にあって、私はもう動く気なんてしなくて、ただオスカーさんの胸元に顔を擦り寄せる。
ずっと、こうしたかった。寂しかった。……もう、触れても怒られないんだ。私は、オスカーさんの側に居て良いのだから。
安堵に包まれて、私は頬を緩めたままローブを掴んでいた手を離し、代わりにオスカーさんの背中に回す。ぎゅ、とくっつくと、体が溶けていきそうな程な底なしの幸せに身を浸している気分になる。
胸元にくっついて顔を埋める私は、そこで、オスカーさんの心臓がいつもより早く鼓動を刻んでいる事に気付いた。
「……師匠?」
小さく呼び掛けてみるけれど、返事はない。
けれど、鼓動は早いままだ。
私は小さく笑って、そのままオスカーさんに寄り添って、瞳を閉じる。
寝た振りしてても良いけど、心臓の音でばればれなんだよね。
オスカーさんが知らんぷりするなら、それならそれでも良い。私はそのまま、オスカーさんにくっついて今までの寂しさを取り返すように触れていくから。
だから、逃げないのは好都合。
ぴとりと身を寄せて、オスカーさんに甘えるように頬を擦り付けて、そのままもう一度安堵から来る睡魔に身を委ねた。
……オスカーさん、寝た振りした事、後悔しちゃ嫌だよ?
もう一眠りして起きた時には、流石にオスカーさんも寝た振りを止めていた。ただ、酷く顔を赤くして私の寝顔を見ていた。
寝ぼけ眼で見上げると、ぷいっと顔を逸らす。背中に回した手を離さなかったのは、離したら私が傷付くと思ったのだろう。
オスカーさんだ、とへろへろした声で呟いてそのままふやけた笑みを浮かべると、オスカーさんは「っ起きろばか」と背中を軽く叩いてくる。
「……お前な、わざと二度寝しただろ」
「師匠も寝た振りしたから良いかなって」
そもそも呼び掛けたのにオスカーさんが寝た振りしたから、私もそれに乗っただけだし。私が責められる筋合いはないと思うの。
そこを指摘するとオスカーさんは詰まるので、私はふふっと小さく笑って、そのままオスカーさんの胸にくっつきつつ見上げる。
何故かそこでオスカーさんが唸ったのでよく分からないなと首を傾げるしかないのだけど。
「師匠、どうせならもっと抱き締めてくれても良いのですよ?」
「……そろそろ俺が色々やばいから無理だ」
「やばい……ああ、二の腕痺れました? 師匠、細いし筋肉ないですもんね」
そういえばオスカーさんはずっと腕枕をしてくれていた。人間の頭って結構重さがあるし、オスカーさんのほっそりとした腕では負担かもしれない。
そう訊ねたら訊ねたで「お前は俺をどれだけ貧弱だと……」とぼやいた。……だって、オスカーさん腰とかめちゃくちゃ細いもん。
「大体なんで寝た振りしたんですか」
「……起きたら起きたで、確実にお前は遠慮なしにもっとくっついてくるだろう」
「寝てても遠慮なしにくっついたので変わりないですけどね」
師匠はうっかりですね、と笑って、流石にこれ以上はオスカーさんの忍耐ゲージが爆発しちゃいそうなので起き上がっておいた。
肩にかかった髪を流して「ふわぁ」と小さく欠伸。
ちょっと寝すぎたかもしれない、気付いたら、日が傾き出してる。今日は寝てばっかりだ、私。
隣の師匠は暫く呆然と私を見ていたけど、私が首を捻ると慌てた様子で起き上がってくる。
……やっぱり腕が痛そうなので、オスカーさんはもう少し鍛えた方が良いと思うの。神経圧迫してたから痺れるのは仕方ないんだけどね。
起き上がった私達は、今度こそちゃんとお互いに顔を見る。昔のように。
「師匠、一つ聞いても良いですか?」
「何だ」
「……私、変わりました?」
ずっと聞きたかった事。
私は、そんなにオスカーさんの目から見ても、変わったのかな。オスカーさんが女の子だと意識してくれるくらいに。
「……正直見違えた」
「可愛いですか?」
「かわっ!? ……かわ、いくないとは思わない、ぞ」
可愛い、とは明確には言ってくれないらしい。
まあ自分が可愛いとまでは思わないので冗談で聞いたし「可愛くないとは思わない」という返答を聞けたから、良いかな。オスカーさんがイェルクさんみたいに女の子を息するように褒められるなんてまずないし。というか有り得ない。
オスカーさんらしいや、と笑うと何だか申し訳なさそうな顔をされた。別に気にしてないのに。ちゃんと、異性として意識せざるを得ないって分かっただけで、満足だし。
つまり、私の頑張り次第では好きになってもらえるのだ。これだけで充分だろう。
「頑張ったんですよ、私。女の子っぽくなってたなら良かった」
「……なりすぎなんだよ」
「え?」
「いーや」
小さく呟いた言葉は聞こえなくて、聞き返すものの、オスカーさんは二度目を言おうとしない。
ちょっと気になったものの、まあオスカーさんにとって大した事じゃないらしいので、良いだろう。
「あ、そうだ師匠」
「何だ」
少しツンとした声に、私は笑った。
昔のオスカーさんだ。これだけで、私は本当に幸せなんだ。
「お帰りなさい、師匠」
ずっと、ちゃんと言いたくて堪らなかった言葉。
あの時オスカーさんは逃げてしまった。素っ気ない態度だった、寂しかった。だから、前みたいな態度が戻ってきた事も含めて、私は改めて笑顔を浮かべる。
オスカーさんは唐突な言葉に少し目を丸くしたけれど、やがてふっと力が抜けたような柔らかい笑みを浮かべて。
「ただいま、弟子」
あの時言ってくれなかった言葉を、私にくれた。




