師匠の本音
オスカーさんはくたびれたというか、ボロボロの姿で姿を現した。ローブは軽く切り裂かれてるし髪はぐしゃぐしゃ、顔は何ヵ所かに血が固まって出来た筋がある。顔は、疲労感を隠せていない。
……テオの所に行ったのだろう、あの様子だと。テオが制裁を加えた跡がある。若しくは、イェルクさんか。……でもイェルクさんは何だかんだオスカーさんの味方だと思うし。
兎に角ボロボロのオスカーさんは、私を見てひどく安堵したような吐息を零す。
私は、そのオスカーさんを見て、どうして良いのか分からなかった。
追い掛けてきて、くれたのだろうか。
……少なくとも、この場に居るのはディルクさんが噛んでいるのだろう。奥の部屋に隠れさせたのだ。……契約印の反応がすごーく薄かったから私も気付かなかったけど。多分、何か細工したんだろう。
私は、オスカーさんを見て……それから、立ち上がる。
オスカーさんが僅かに肩を震わせたけど、私はそれには言及しないまま、踵を返した。
「なっ」
そのまま部屋を飛び出る。
……あんな事言ったの聞かれて、そのまま話し合いなんて出来る訳がない。それに、まだ落ち着ききってないから、オスカーさんの顔を見たらまた可愛げのない事や怒りをそのままぶつけてしまう。
だから部屋から逃げて距離を取ろうとしたのに……オスカーさんが、扉を蹴破った。
ディルクさんが「壊すな!」と怒りの声を上げたのにも関わらずオスカーさんは無視して、私を追いかけるのだ。顔は、焦った表情で。
これにはびっくりというかびびって、全速力で逃げようとしたものの、装飾過多のワンピースが邪魔をする。靴も可愛らしいけど踵が高く小さいものだから走りにくいったらありゃしない。
だから、疲れていたオスカーさんにでも、簡単に捕まった。
「逃げないでくれ!」
背後からお腹に手を回されて、無理矢理足を止められる。
こんな時だけ私に触るんだ、とひねくれた考えが浮かぶのも束の間、私はぐるりと目を回すような浮遊感を覚えた。……慣れた、転移の感覚だ。
明るい廊下から一転、薄暗い地下室に周囲の光景が変わる。強制的にオスカーさんに連行させられたのは分かったので、私はオスカーさんが油断した瞬間にオスカーさんのお腹に肘を入れて、力の抜けた腕からすり抜けて階段に走った。
痛みに反応が遅れたオスカーさんも私を追いかけるように走り出したものの、今回は私の方が階段を抜ける方が早い。そのまま自分の部屋に飛び込んで、鍵をかける。
ワンテンポ遅れて、ドアを叩く音。
「……此処を開けてくれ」
「嫌です」
「顔を見て話がしたい」
「どの口がぬかしますか」
私だって、仲直りしたい、けど。
……都合が良すぎ、だと思うの。あれだけ話も聞かないし目も合わせないし逃げたり拒んだりしていたのに、自分の都合だけでこうして追い掛けてくるなんて。
追い掛けてくる気持ちは嬉しいのに、オスカーさんの今までの態度が蘇って、胸の中が真っ黒になる。
本当は今すぐにでもオスカーさんに抱き付いて泣きながら責めたいのに、溜まって抜けきらない怒りが素直にさせてくれない。
「……傷付けた、よな」
扉越しに、後悔の声が伝わってくる。
「ごめん、謝っても傷付けたのは取り返しとかつかないのは分かってるけど、ごめん」
「……私、泣いたんですよ、ずっと。居ない間も、帰ってきてからも」
「……ごめんな。沢山、泣かせたんだな」
「謝ったら良い、んですか」
「分かってる、俺の自己満足だって。……でも、詫びたいんだ」
「そんなの、都合が良すぎるでしょうっ、私の居て欲しい時に居てくれなくて、私が寂しい時に逃げて! どれだけ苦しかったか、師匠は知らないじゃない!」
我慢してた分、零れでてくる本音。
もう全部吐き出してしまいたかった。
オスカーさんは謝ってるし申し訳ないと思ってるのは分かってるけど、このままオスカーさんを受け入れたら、私の怒りはやり場がなくなってしまう。
それならいっそ吐き出してしまおうと思った。……愛想を尽かされてしまわないか、怖いけれど。
「寂しかった、悲しかった。師匠はいつまで経っても帰ってこないから、見捨てられたんじゃないかとか、私がおばあちゃんになるまで帰ってこないんじゃないかとか、ずっと考えて。帰ってきたら、無視するし、避けるし……! 私嫌われたんじゃないかって怖かった……!」
色々と後ろ向きな事を考えて震えた、その度に大丈夫だって自分に言い聞かせた。不安を誤魔化すようにがむしゃらに一人で頑張ってきた。
……頑張って頑張って頑張って、漸く誇れる自分になったのに、オスカーさんは、見向きもしなかった、から。
「……もう、私、頑張れないよ……」
力が抜けて、どさっと、崩れ落ちる。
床に脚とお尻を着けて、それから零れてくる涙をそのまま落とした。嗚咽もそのままに零してただその場にへたりこむしかない私。
オスカーさんは、ただ静かに聞いていた。
「……ごめんな。……ちょっとこれ、飛ばす」
「……っく、……とばす……?」
言ってる意味が分からなくて、しゃくりあげながら顔を上げて――その瞬間、私とオスカーさんを隔てる扉が、一瞬にして消えた。
蹴破ったとか壊したじゃなくて、消えた。
あんまりに唐突で理解出来ない事態に一瞬涙が引っ込んでただ呆然とする私に、オスカーさんは、遮るものがなくなったのを良い事に、歩み寄る。
びく、と体を揺らした私に、オスカーさんは私の前に片膝をついて、私に手を伸ばした。
「……ごめんな、寂しがらせて、苦しい思いをさせて」
そっと、私はオスカーさんの胸に引き寄せられる。
何だかとても懐かしい気がする、オスカーさんの匂い。今日は、少しだけ汗の匂いとほんのりと鉄の匂いがしたけれど……それでも、オスカーさんの、匂いだった。
ふ、と体の強張りが解ける。
それと同時に、涙腺も一気に緩んで涙が次々と滴りだす。滂沱の涙、と言うのが相応しいと自分でも思う程に、ぼろぼろと瞳から生まれては重力に従って落ちていく。
オスカーさんは、私の背中を優しく撫でる。ぽんぽん、と一定の間隔で叩いて、あやすように触れてくれる。
「ししょ、のばか……ばかぁ」
「ごめん。……お前を傷付けた。俺が悪かったから、お前は悪くないから」
「ばか、ばか、ひとでなし……」
「人でなしでごめん。……本当にくそ野郎だとは自覚してるから」
私が酷い事を言ってるのに、オスカーさんはただ受け止めてくれる。
「言い訳になんてならないし、するつもりもないが……俺は、お前が怖かったんだ。帰ってきた時に初めて見たお前が、こんなにも、変わっていたから」
「わたし、は、わたしなのにっ」
「そうだ。……俺が悪かったんだよ、俺がへたれで、情けない程に小心者だったから。変化が怖かった、見ていない内に見違える程成長したお前に戸惑って、結果お前に酷いことを言い続けた。……ごめんな、俺は馬鹿だったよ。もう、こんな事しないから」
背中を撫でるのは止めて、ただ私をひたすらに抱き締めて、包み込むオスカーさん。もう、オスカーさんは私に触れる事に躊躇いはなかった。
……もう、寂しがらなくても、良いのかな。見捨てられる事を恐れなくて良いのかな。拒まれる事を怖がらなくて良いのかな。一人ぼっちにならないで、良いのかなあ。
「……ひとりに、しませんか……?」
「しない。……約束しよう」
私のぐしゃぐしゃになった顔が、オスカーさんの紫の瞳に写っている。
その瞳に写った私は、また涙を零していた。
「……うん」
もう一人じゃなくて良いんだな、と実感すると余計に目頭が熱くなって沢山の涙が落ちる。
私はオスカーさんにしがみつくようにローブの胸元を握って、そのまま顔を埋めた。
……もう、一人にしないでください、オスカーさん。




