あたたかいばしょ
ディルクさんの厚意で私はお風呂に入っていた。
しっかり肩まで浸かるんだぞ、とどこかお母さんのような言葉と共に脱衣所に放り込まれたと言った方が正しいのだけど。
魔法で急いで溜めたらしい広々とした湯舟には、甘い香りを漂わせる花が浮かんでいる。……そういえば、本で見た事がある。心を落ち着かせる効果のある花だ、と。
気遣ってくれたんだな、とじわりと涙が浮かぶ。
有り難さを身に染みて感じながら、全身を綺麗にしてから湯舟に浸かった。甘い匂い、温かいお湯。疲れが溶けていくように感じる。
このお礼はどうして返せば良いだろうとか考えながら、私は冷えきった体を温めるように膝を抱えて暫く湯に浸かり続けた。
風呂から上がると、今度はお弟子さん達が集まってきて何故か着せ替え人形にされた。
一度色々としてみたかったけど他人の弟子だったから我慢していた、との事で、今日はお泊まりだからと遠慮なく弄られた。髪を巻かれたり服を取っ替えひっかえで着替えさせられたり。
お陰で何かヒラヒラな服を着せられてヘッドドレスも着けられて、そこで漸く女性陣から満足げな表情をされた。テレーゼを見ると「諦めて下さい」との事。テレーゼも昔されたらしい。
でも、嫌な気はしない。……髪、長くてきらきらして綺麗って言われたから。
オスカーさんが昔褒めてくれたこの髪、褒められたい一心で綺麗に手入れして伸ばしてきた。オスカーさんは、髪はおろか私自身も顧みる事はなかったけど。
そんなこんなしている間に、ご飯が出来たらしい。
ディルクさんのおうちは、弟子がみんな揃って食べるそうだ。だから、かなり賑やかな食卓になる。私も入れると、九人程になるし。
案内された食卓には、ディルクさんと男のお弟子さんが二人先に待っていた。青い髪のお弟子さんが、スヴェンさん。
その対面には、灰色の髪で利発そうなお弟子さん。名前は、ブルーノさんだ。まあ、ブルーノさんは私が好きではなさそうなのだけど。
「ソフィか。まーた悄気た顔して」
「スヴェンさん」
「ほら座った座った。うちの料理はうまいぞー」
ちょいちょいと手招きをするスヴェンさんに席を引かれて、私は素直にそこに座る。私の隣には、テレーゼが座ってくれた。前には、クラウディアさん。
他のお弟子さん達も、次々と空いた席に座っていく。
「わ、今日ご馳走だ。ソフィちゃんに見栄張りたかったのかな? ま、美味しければ良いと思うけどぉ」
「見栄っ張りですからね、師匠は」
「やかましい」
「師匠は見栄っ張りな癖に案外優しいですよねえ。デリカシーはないですけど」
「デリカシーあったら師匠じゃない」
「お前達は私を敬う気があるのか」
弟子達が口々に言うのを聞いたディルクさんは、むすっと不貞腐れたような顔。けど、それはきっと表面上のものだろう。優しい眼差しだし。
「ソフィさん、顔上げて? ほら、美味しいもの食べて元気出しましょうか」
ただぼんやりやり取りを見ていた私に、テレーゼがにっこりと笑って声をかけてくれる。
気遣われた事とテレーゼの優しさと、この空気の暖かさに、私の瞳から勝手に一滴落っこちた。
……いいなあ、暖かくて、賑やかで、柔らかい雰囲気で。
皆仲良さそうで、いいなあ。
今の我が家の食卓とは正反対の光景で、思い出すと辛くなって涙が零れる。この雰囲気を崩したくないのに。
私が泣いてしまった事に気付いた皆が、慌て出した。口々に「うるさかったか!?」「それとも師匠のデリカシーのなさ?」「師匠が悪い」「何でだよ!」と言い出すから、私はゆるりと首を振る。
ぽろ、とまたその動作で涙が落ちた。
「……あったかい。ずっと、一人の食卓で、帰ってきても師匠冷たいし。皆で過ごすのって、こんなに幸せな事なんだなって。ずっと、寂しかった、から」
ぐず、と鼻を啜りながらつっかえつっかえに口にすると、皆固まった。
私の事情なんて聞いても面白くないというか不愉快だろうけど、思わず本音が零れた。
……一人は嫌だった。オスカーさんに認めて貰いたくて、一人でも頑張ったけど、本当は一人にしないで欲しかった。一人は寂しかった、挫けそうになった。オスカーさんに泣き付きたくても縋れなかった。置いていかないで、私も連れていって欲しかった。
そうしたら、こんなにすれ違う事はなかったのに。
ぐずぐず鼻を鳴らしていると、背中がぽんと叩かれる。
隣に居たスヴェンさんが、励ますように優しくぽんぽんと叩いている。テレーゼは、私の涙を拭ってくれた。
「……ほら、じゃあ今日は皆で賑わいながら食べようか! な!」
その言葉を合図として、また賑やかになる。
ディルクさんが偉そうに「食べるが良いぞ、うまくて腰を抜かしても知らんがな」も言う。スヴェンさんは「あんな偉そうに言ってるけどソフィが風呂に居る間そわそわしてたぞ」と悪戯っぽく囁いて、ブルーノさんは「師匠うるさい」と毒を吐く。
クラウディアさんは仕方ないわねと笑って、テレーゼは「これ美味しいんですよ」とお裾分けしてくれた。他のお弟子さん達も、笑っている。
いいなあ。
小さく呟いて、私は今だけはぐちゃぐちゃの感情を仕舞い込んで、ただ温かい雰囲気に溶け込ませるように笑った。




