我慢の限界だってやってくる
オスカーさんは、相変わらず私を避ける一方だ。
兎に角接触を拒むし、風呂上がりなんて全く近寄らせてくれない。隣に座っただけで逃げるし、オスカーさんが見てた本を前から屈んで覗き込んだだけで拒絶する。
嫌いに、なっちゃったのかなあ。
此処まで拒まれると流石の私も傷付かずにはいられないし、オスカーさんを煩わせたくないから、暫くはオスカーさんに近寄らない事にした。
最低限、ご飯の時だけ顔を合わせれば良いだろう。どうせ、目は合わせてくれないだろうけど。
オスカーさんは私が泣いてるの、知らないんだろうなあ。でも良いの、私が勝手に傷付いてるだけだし。……毎晩枕元を濡らそうと、会わなければオスカーさんのあずかり知らぬ所なのだから。
オスカーさんに会わないようにする為には、部屋もしくは地下の鍛練室にこもるか、外に出掛けてお茶をしたり魔物退治の依頼を受けたりするしかない。
流石に毎日何処かでお茶を楽しんだりするのはお金の無駄だし、折角だからお仕事を受けたりしている。といっても日帰りで行ける範囲、だけども。
オスカーさんは、私が魔法をきちんと扱える事を、知らない。
だって、オスカーさんの居ない間に頑張ったんだもん。褒めて貰いたくて、認めて貰いたくて、頑張って必死に経験を積んで、使えるようになった。オスカーさんは程遠いけど、魔法使いとして半人前以上にはなってるって、言われた。
けど、オスカーさんにそれを知らせてない。だって、話聞いてくれないし、切り出そうとすれば逃げるし、目は殆ど見ないし、拒むから。
頑張ったのに、私は認めて貰えない。今の私を認めてくれない。……苦しい。私は此処に居るのに。
重苦しく胸につかえる真っ黒に凝り固まった感情を吐き出してしまいたくて、堪らなかった。いっそオスカーさんに泣き叫んで訴えてしまえ、と思ったけど、オスカーさんに迷惑がかかるだろうと、すんでの所で堪える。
代わりに、行き場のない感情をぶつけに、依頼という理由を携えて外に出た。
そもそも、今日は雲行きが悪かった。どんよりとした空気と空模様は、私の胸の中を透かしたようだ。
怪我をするのは御免だからと比較的簡単な近場の依頼を選んで、近場の森で狩りをする。深入りせず、ただ目的の魔物だけ狩る。
……本当は、良くないのだけど。
どうしても、胃がむかむかして、吐き出したくて、魔物に当たってしまった。必要以上に強い魔法を撃ち、命を奪う。……最初は慣れなかったけれど、もう慣れてしまった。自分で命を奪う感覚を克服するしかなかった。
地面に転がる魔物に止めを確実に刺して、それから討伐の証である角をナイフで剥ぎ取る。殺して剥ぎ取る、の繰り返し。
気付けば依頼数の分は終わっていた。
それと同時に、空から大粒の雫が、落ちてくる。瞬く間に雨となり地面に落ちて、染みになる。気付けば、大雨と言っても過言ではないほどに降りだしていた。
当然、ずぶ濡れになる私。
けど、正直どうでも良かった。寧ろ冷静じゃなかったから冷やしてくれて丁度いいくらいだ。べっとりと服が体に張り付くのは気持ち悪いけれど、仕方ない。
私は、焦らず角を纏めて都に戻って、ずぶ濡れのまま協会の依頼受け付けの所にドンと積む。
ずぶ濡れの私に受付嬢は大層驚いてタオルを持ってこようとしたけど、私はそれを断って報酬だけ貰って帰路に就いた。
「お前、風邪引くだろ!」
そして、家に帰ると丁度オスカーさんに見付かった。
珍しく口を利いてくれたな、と思いつつ、私は冷えた声で「天候をどうしろと?」と答える。口答えしたような返事なんて凄く珍しいと自分でも思う。
オスカーさんもそれは同様らしく、瞠目した後に私の姿を見て目を逸らした。
いつも、見てくれない。ずっとそうだ。
「だから、せめて雨宿りするとか」
「王都の外に居たからどうしようもないでしょう。師匠みたいにまだ転移使えないし」
「王都の外って、お前、」
「……魔物退治してきたんですよ、仕事で」
ああ、言ってしまった。まだ言うつもりなかったのに。
それを聞いた途端、オスカーさんは眦を吊り上げて私をきつく睨む。怒った表情で、咎めるように、きつく、鋭く。
怒る時だけは私を見るんだ。……笑いかけても、視線で縋っても、見てくれなかったのに。
「そんな事聞いてない。勝手にそういう仕事を受けるな!」
「……受けるなとも聞いていません」
「そういうのは普通師と共に行くものだろう! お前にはまだ早い! 何で勝手な事をした!」
……勝手、なのだろうか。
オスカーさんが居ないから、一人でも大丈夫だって証明する為に、頑張ったのに。褒めて欲しくて、一生懸命頑張ったのに。
何が勝手なんだろう、何が早いんだろう。居なかったから許可も何もなかったのに、私に力がどれだけ身に付いたか、オスカーさんは知りもしないのに。
――ぷつ、と何かが切れた音がした。
「……師匠も随分と、勝手ですよね。約束破って、私を放っておいて、無視して」
切れた音がなんだったのか、私には分からない。けど、想像するなら……所謂、堪忍袋の緒、というやつなのだろう。
「もう、何回もやってます。師匠が居ない間に、私強くなったんですよ。 師匠が帰ってこないから、一人で!」
オスカーさんの息を飲む音が聞こえたけれど、もう止まれなかったし止まる気もなかった。
「師匠が帰ってこないから! 私を放ってたから! 帰ってきても手を振り払うから! だから、私は一人で頑張ったのに! 何で文句言われなきゃならないんですか! 偉いねって言ってくれもしないで、怒ってばっかりで!」
頑張って頑張って頑張って、その結果が無視と叱責なんて。
悔しくて、涙が零れる。もう顔は雨と涙でぐじゃぐじゃだけど、そんなのどうでも良いくらいには私は頭の中が掻き乱されていた。
「師匠なんて、師匠なんて……っ」
大嫌い、と言えたらどれだけ楽だったのだろうか。
でも私はオスカーさんが大好きだ。たとえこんなにすげなく扱われても、それでも好きだ。嘘でも嫌いだなんて言えない。
けれど、もう我慢の限界で、好きと怒るは別物なのだと思い知らされた。好きだからこそ、怒っているのだと言えるかもしれない。
今一緒に居たら、私がおかしくなってしまいそうで。
「師匠の馬鹿! もう師匠なんて知らない、出ていってやる……!」
それだけ吐き捨てて、私は家を飛び出した。
制止の声なんて振り切って、私は大雨の中を走り出す。追い掛けてきて欲しくなくて、せめてもの足留めで玄関の扉を閉めて魔法で凍り付かせて。
それから、ひたすらに走った。
そもそも私は家出先も限られてくる。知り合いが少なすぎる。
テオはいつでも来てくれて良いって言っていたけれど、イェルクさんちじゃすぐにばれちゃう。それにそんな状態でテオとオスカーさんが出会ったらテオは確実に剣を抜く、刃傷沙汰は避けたい。
同じようにユルゲンさんも駄目。ユルゲンさんも直ぐに分かるし、オスカーさんはユルゲンさん相手なら無理矢理私を連れ帰る。全部追い掛けてきたら、の仮定だけど。
だから、残る行き先は一つだった。
「お前、何でこんな雨の中……!?」
無我夢中で走って、私はディルクさんちの戸を叩いていた。
こんな大雨で人が訪ねてくるとは思ってなかったらしいディルクさんは、面倒さも隠そうとせずに出て……それから、目を剥く。ずぶ濡れな私を見てかなり驚いたらしく、直ぐに屋敷の中に向かって「タオル!」と声を上げている。
私は、俯く。
「……ディルクさん」
「あ、ああ」
「凄く虫の良い事をお願いしても良いですか」
こんな事、彼にお願いするなんて身勝手すぎるけど。
「誘拐してください」
――かつて誘拐したディルクさんに、今度は自分から誘拐してと望むなんて。
「……は?」
「私を誘拐して軟禁してください」
「いきなりなんだ。……オスカーのあほと喧嘩してきたのか」
直ぐに見抜いたディルクさん。……今まで、何だかんだ相談に乗って貰っていたし、オスカーさんが帰ってきているのも知っていたのだろう。あと、私の様子を見て、直ぐに分かったみたいだ。
「そういうのは避難させてくれか匿ってくれとお願いするものだろう」
呆れた声音で言われて、それもそうかと納得すると同時に、自分の身勝手さにまた泣けてくる。
……誘拐だと、ディルクさんに責任を押し付けてしまう。勝手に飛び出して勝手に押し掛けてきたのは、私なのに。
ぐず、と鼻を啜ると、ディルクさんは大仰に肩を竦めてみせる。
「仕方のないやつめ。ほら入れ。今日はお前の家では味わえないような豪勢な料理でも用意してやろうではないか。というか酷い顔な上に濡れ鼠だな、みずぼらしい。湯舟を貸してやるからさっさと入ってこい、うちのお風呂は広いぞ!」
「……うぅぅぅ」
「うわっ!? こら、鳩尾を頭で抉るな!」
いきなり押しかけた私を気遣ってくれるディルクさんに、私はもう一杯一杯で、縋り付きたくて、ディルクさんにしがみついて頭を押し付けた。




