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師匠の帰還

「ただいまー」


 ディルクさん宅から家に帰る。当然、誰も返事をする事はない、師匠はまだ帰ってきていない。

 そんなの分かりきっていた事だけど。


 荷物をソファに放り出して、同じように体もソファに放り出して。

 夕暮れで、もう少しで夜が訪れるけれど、照明もつけずにただ力なく身を投げ出していた。


 ……オスカーさんは、いつ帰ってくるんだろう。

 私、ずっと待ってるのに。帰りを、待ってるのに。……自分を磨きながら、ずっと、待ってるのに。


 師匠の馬鹿、と口の中で呟いてころんと寝返りを打とうとして……勢いよく起き上がる。


「……え?」


 肌を、漂ってきた特有の魔力がなぞった。私にとって心地好く、そして懐かしさを感じさせる、魔力。


 契約印が、じわりと熱を持つ。

 私の瞼も、同じように熱を持った。


 ――ああ、遅い、遅すぎるよオスカーさん。どれだけ待ったと思ってるんですか。あなたが居なくなって、もう、一年半も経ったんだよ……?


 ソファから飛び降りるようにして、私は走り出す。

 反応は、下から。帰りは転移で帰ってくる、と言っていたオスカーさん。転移の先は、地下室だ。

 地下室からは物音が、した。


 飛び出すように全速力で走った私は地下室へ繋がる扉を蹴飛ばす勢いで開き、一段一段降りるのも面倒で飛ばし飛ばしに降りていく。


 そうしてスカートをふんわりと膨らませながら飛び降りて着地した先に、その人は居た。

 目の前に、あの日と変わらぬ姿でオスカーさんが立っていた。


 ああ、と思わず瞳が潤む。久し振りに見た、オスカーさんの姿。私がずっと心待ちにしていた、大切な人の帰還。

 心臓がどきどきと有り得ないくらいに脈打って、目の前のオスカーさんをじっと見つめてしまう。きゅ、とスカートの裾を握って、内側で暴れる感情を必死に押さえつけた。


 私が内面の荒れを押し留めていると、……オスカーさんは、眉をひそめた。


「……馬鹿弟子、か?」


 懐疑的な声と、眼差しが、私に突き刺さった。


 帰ってきたら、何でこんなに遅かったんですか、とか、私成長したでしょう、とか、色々言うつもりだった。怒るつもりだった。その後抱き付いて笑おうと思ってた。


 でも、上手く言葉が出なくて。オスカーさんの疑るような眼差しが、何だか不安で、どうしたら良いのか分からない。何でそんな眼差しで私を見るのか、分からない。

 紫の瞳が、信じられないと言った風に私を見ている。


 その眼差しを受けて、私は体が自然と震えるのを感じた。


「ししょー……?」


 本当は暖かく出迎えるつもりだったのに。どうせなら感動の再開とやらをしようと思ってたのに。……オスカーさんが、そんな愕然とした顔をするから。

 何で、お前は誰だ、みたいな目で見るの?


 ……よし、落ち着こう。

 ただオスカーさんは旅で帰って来て疲れてるだけなんだろう。私が飛び降りてきて迎え入れるなんて思ってなかったんだと思う。そういう事にしておく。


「……師匠、お久し振りです。ソフィです。お帰り、なさい」


 ぐらつきそうになる体を堪えて、私は前と同じような笑顔を心掛ける。

 ……帰って来て嬉しいのに、オスカーさんのその顔が、辛い。笑いかけたら、オスカーさんはふいと視線を逸らしてしまった。

 小さく「今帰った」とだけ、告げて……まるで、私から逃げるように、私の横をすり抜けて行く。


 ……オスカーさん、は。

 私が迎え入れなかった方が、良かったのだろうか。居なかった方が良かったのだろうか。


 ……違う、だってオスカーさんは私に留守を預けていったんだもん。家は頼むって、言ったんだもん。居ちゃいけない訳がない。

 何か、向こうで心境の変化でもあったのだろうか。……どうして「ただいま」って、笑ってくれないんだろう。……そんな、何処か信じられないようなものを見るんだろう。


 ぐし、て手の甲で滲む視界を拭い、私は顔を上げる。


 これくらいでへこたれていたら駄目だ。疲れて気が立ってるだけかもしれない。

 また一緒に過ごすようになったら、昔みたいに戻ってくれる、筈。


 そう自分に言い聞かせて、私はオスカーさんの後を追って階段を登った。




 オスカーさんは実際疲れていたらしくソファにぐったりとした様子で腰掛けている。小さく「あー帰ってきた」と呟いているから、向こうでの生活で疲労が溜まっているのだろう。


 お茶を入れてオスカーさんに出しつつ、自分もそっと隣に。

 途端に両腕を広げて寛ぐような体勢から前で指を組むように姿勢を正すオスカーさん。そしてさっと横にずれるから、私はもう何処からどう突っ込めば良いのか分からない。


 ……口の中が、心なしか血の味がしてきた。我慢しなきゃ。


「師匠は、向こうにどれくらい居たのですか」


 へこたれてなるものか、と平常心を保つよう心がけつつ、掌三つ分は距離を開けたオスカーさんに問い掛ける。


「……向こうの体感で一ヶ月手前くらいだ。ユルゲンの叔母に会って、それからまあ色々あったから」


 ……向こうで一ヶ月。それだと、かなり時間の流れが違う。


「……あー、……お前は今幾つだ」

「十五歳と半年です。師匠が居なくなって、一年半と少し経ちました」

「……そ、そうか。その、……遅くなったな」

「いえ、留守を預かるのも弟子の役目なので」


 本当は「全くです」と怒ってやりたかった。

 誕生日は二回も過ぎたし、成人の儀も終わった。一人で大抵の事はこなせるようになった。オスカーさんが居ないから、私は一人で頑張ったのだ、料理だって上手くなった。

 自慢したいし、褒めて欲しいし、何でこんなに遅かったのかと責めたい。


 けど、オスカーさんだって好きで向こうで過ごしていた訳じゃないから、我慢しよう。泣くのも我慢だ。


 我慢のせいで随分と平淡な声になってしまった。

 必死に唇が震えないように気を付ける私に、オスカーさんは本当に小さな声で「一年半……」と呟く。瞳が、一瞬絶望に揺れたのは気のせいだろうか。


 私だって、一緒にオスカーさんと過ごしたかったのに。

 ……寂しかったのは、私の方なのに。


 温もりと香りが恋しくて、意図的に距離を空けているオスカーさんとな距離を詰めて、肩口に額を乗せる。


「……お帰りなさい、師匠」


 もう何処にも行かないで、という意思を込めて凭れかかってそっと腕に抱き付こうとしたら……びく、と体が震えて。

 それから、オスカーさんは勢いよく立ち上がった。


「部屋で荷物の整理とユルゲンの報告書書いてくるから」

「あ……」


 逃げるように、荷物を持ってそそくさと部屋に戻っていくオスカーさん。私は、やや体勢を崩したまま、その後ろ姿を呆然としながら見守るしかなかった。


 今度こそ私は泣いても良いのだろうか。

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