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お仕置きしないとは言ってない

 パァァン、と小気味の良い乾いた音が鳴り響く。

 後ろで「うわっ痛そう」という男性の声が聞こえてきたけど、私はそれどころではない。


 よろけて後ずさる程の衝撃を受けたらしいオスカーさんは、呆然と頬を押さえる。私はじんじんと痛む掌を握りながら、オスカーさんを真っ直ぐに見据える。

 纏っていた濃紫の魔力は、雲散霧消していた。


「……結構力入れたな馬鹿弟子よ」

「師匠が止まらなかったのが悪いのです」


 申し訳ないとは思っているけど、オスカーさんが人を殺めるくらいなら私は全力で止める。

 オスカーさんが返り血に濡れる所なんて見たくない。

 何より、私はその後のオスカーさんの絶望を見たくないのだ。激情に駆られて何もかも壊した後、我に返って後悔するのはオスカーさんだから。ユルゲンさんを傷付けた時と、同じように。


 だから止めた私は、オスカーさんににっこりと笑いかける。心配しなくても大丈夫だよ、何にもされてないもの。


「私、何ら危害は加えられてませんから、ね?」


 強いて言うなら、晩御飯が待ち構えているのに焼き菓子と水を詰め込まれてお腹がたぷんたぷんの仕打ちを受けたくらいで。


「……本当か?」

「はい。確かめます? 脱ぎます?」

「止めろ」


 心配性だなあ、と服のボタンに手をかけるとがっちり掴まれてボタンから剥がされた。冗談だったのに。


 でも、正気に返ってくれて、良かった。


 笑った私にバツが悪そうに視線を逸らすオスカーさん。それから、ディルクさんにはやっぱり怒りの眼差し。ただ、さっきのような殺意は微塵も感じられない。


「……ディルク、てめえ何でうちの弟子を連れ去った。自分の弟子にでもしようと思ったか? 昔から、お前は人のものを欲しがったもんな」

「私は、」

「ディルクさん、多分素直に言った方が良いですよ。……本当は、師匠に構って貰いたかったんですよね?」

「は!?」


 何言ってるんだ、とオスカーさんから気味が悪いという目で見られたけど、私のせいじゃない。

 ディルクさんをちらりと見ると、ぐぬぬと歯噛みしていたものの、やがては何だか拗ねたようにむすっと不貞腐れた顔を浮かべるのだ。


「……お前が、人の存在を無視するわ邪険に扱うわで、話を聞かないのが悪いのだ。その上、ユルゲン様には目をかけられ期待され甘やかされて。お前の弟子だってそうだ、ユルゲン様に良くして貰っているだろう」

「……はあ?」

「だから、お前が少しでも困れば良いと思ったのだ。弟子を取られそうになって焦れば良いと思った」

「それで殺されかけてちゃ世話ないですって師匠」

「スヴェンはやかましい! あんなに怒るとは思ってなかった!」


 お弟子さんの一人である青い髪の男性に突っ込まれて、ディルクさんは顔を真っ赤にしている。スヴェンさん、という男性は、もう呆れ返っているらしくやれやれと肩を竦めていた。

 小さく「馬鹿だ」と呟いたのは聞こえてるよスヴェンさん。否定はちょっと出来ないけど。


 オスカーさんはディルクさんの反応に「うわぁ」と露骨に引いているものの、何かもう怒りを通り越した呆れに変わっていた。

 因みに、ディルクさんはお弟子の皆さんも含めて全員に哀れそうな目で見られている。味方は居なかった。


 それから、オスカーさんは深々と溜め息。


「取り敢えず、てめぇこの落とし前はどうつけてくれるんだ。あ?」

「師匠、柄悪いですよ。怒らないの」

「お前は怒れ」

「師匠が颯爽と駆け付けてくれてかっこよかったので満足してます!」


 ちょっと怖かったけど、でも助けに来てくれたオスカーさんはやっぱり格好良かった。まあ入り方がかなり乱暴だったので壁は大惨事だけど。……まあこれは無理矢理攫った事の勉強代だよ、ディルクさん。


 オスカーさんは私がにこにこしながらくっつくので脱力。お前なあ、とひどく疲れたような声。

 ……大丈夫だよオスカーさん、離れたりしないから。手を震わせなくても、何処かに行ったりしないよ。


 気付かない振りをして笑う。指摘されたくない事って、あるもん。


「それに、師匠の昔話も聞けたし……」

「おいこらディルクてめえ何話しやがった」

「何も話しておらん」


 ふい、と視線を逸らすディルクさん。……微妙に声が上擦ってる。

 ふふふ、でも私が証言すれば意味がないよディルクさん。ぜーんぶ、ディルクさんから聞いたもん。


「えっとですね、師匠は一時期ぽちゃっとしてた時期があったとか、ユルゲンさんに怒られて家出したら迷子になって帰れなくなって大泣きした事とか、」

「馬鹿弟子よ少し退けろ。ちょっとシメてくる」


 オスカーさん的に知られたくなかったであろう昔を暴露された事を知ったオスカーさん、こめかみを引き攣らせて、ディルクさんに近寄ろうとする。


 今回は止めなくて良いかな、とそっと離すと、オスカーさんは駆け出した。


 私はさっと目を逸らす。

 次の瞬間にはディルクさんの悲鳴が聞こえてきたので、私はディルクさんの弟子の皆と「止めなくて良いの?」「うん、師匠馬鹿だから」「ですね」「馬鹿だから」と視線で会話しては肩を竦めてみせた。


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