契約の儀
どうやらさっきまで契約の間というのはディルクさん達が使っていたので、入れ替わりのように私達が使用する事となった。
因みにディルクさんがオスカーさんに話し掛けたそうにうずうずしてたけど、オスカーさん無視決め込んでさっさと契約の間に私をつれていくのだ。
後ろで「この私を無視するとは何事だムキー!」的な声が聞こえたので、私はちょっと笑いを堪えるのに必死だった。
図らずもディルクさんのお陰で緊張がほぐれたものの、実際に契約の間という部屋に入ると、また緊張が襲い掛かってくる。
契約の間は、広くもなく窓もない部屋だった。
壁には魔法使い特有の言語で色々書いていて、勉強し始めた私にはまだ解読は出来ないけど如何にもという雰囲気だけは感じ取れる。床にも魔法の円環が幾重にも重なるように描かれていた。
魔法をあまり知らない私には何だか凄く魔法使いっぽい儀式が始まりそうで、ほんの少しだけ、わくわく。思考の残りはドキドキとかどうやって弟子の儀式するんだろうという疑問、不安が占めている。
「いらっしゃいオスカー」
そして、部屋の中央には、床に着きそうな程に長い髪の男性が立っていた。
薄い空色の髪に、深い青の瞳。涼やかな美貌、と言えば良いのだろうか。柔和な印象を抱かせる顔立ちの、白のローブを纏った男性だ。背丈はそこまで高くはなく中性的だけど、声からして男の人だと思う。
綺麗な人だな、とかぼんやりと眺めていたら……オスカーさんは、微妙に引け腰になっている。
どうしたんですか、と見上げると同時、空色の髪が翻った。
「――もっと顔を見せなさいとあれ程言ったのに!」
そして、彼はオスカーさんに抱き付いた。
あまりの事に私が頬を引き攣らせると、彼は涙目でオスカーさんを見ている。その顔たるや女性顔負けの可愛らしさがあり、性別って何だろうって疑問を抱かせる程である。
尚、抱き付かれたオスカーさんは明確に頬を強張らせている。「同性に抱き付かれる趣味はない!」と非常に嫌そーな声を上げて引き剥がそうとしているものの、小柄な外見に反して彼は割と力が強いらしくそのままオスカーさんにべったり。
「……ししょー」
「おい、弟子が引いてるから本当に離れてくれ。頼むから」
「だって、オスカーが顔見せてくれないから」
「すみませんもう少し顔見せの頻度上げるんで離れて下さいお願いします」
あっオスカーさんがあまりに嫌だったのか敬語の早口で懇願してる。
もうオスカーさんぐったりで、契約の前に力尽きそうだ。
男性はその返事に満足したらしくて、涙を拭いながら「約束だよ」と念押ししている。頷くオスカーさんは、げっそり。
何か、オスカーさんが此処まで押されるのは珍しい。
そこで男性が私に気付いたらしく、ぱあっと瞳を輝かせて顔を明るくする。
「ねえねえオスカー、彼女が君の弟子?」
「……ああ」
「ああ、ほんとに弟子を持ってくれるんだね! 良かった、私は心配してたんだよ、オスカー私の元を卒業しても中々弟子持とうとしてくれないし。良かった、孫弟子が見られるんだね!」
「……孫弟子?」
「馬鹿弟子よ、これが俺の師匠だ」
……え?
「ユルゲン=ローゼンハイム。オスカーの師匠にして養父です。君の師匠の師匠だよ」
これから宜しくね、と誰もが見惚れそうな笑顔を浮かべたオスカーさんの師匠に、私は唖然。
……お、オスカーさんの、師匠? それに養父? そういえばオスカーさん身寄りがなかったとか言ってたけど、この人がお義父さんに? そういえばさっきユルゲンって名前の人は協会のトップって……ええとつまりオスカーさんは協会の一番偉い人の息子で……?
「おいユルゲン、弟子が混乱してる」
「お父さんって呼んでくれて良いのに」
「呼ばない。おい馬鹿弟子、細かい事は気にしなくて良いから。今回は契約の仲介として居るだけだから」
色々一気に情報が押し寄せてきて頭がパンクしそうになった私を、オスカーさんがガス抜きするように小突く。
それで漸く現実に戻ってきた私は、オスカーさんとユルゲンさんを交互に見た。
……養父、って言ってるけど、ユルゲンさん若すぎじゃないだろうか。どう見ても三十代手前にしか見えないのだけど。
「オスカーは酷いなー、折角会ったのに素っ気ないし」
「うるさい。今日は弟子の登録に来たんだ、とっとと契約の儀をしてくれ」
「えー。反抗期なのかなオスカー。小さい頃は可愛かったのに。あっソフィちゃんだよね、良かったら今度食事でもどうかな、オスカーの昔話でも」
「ユルゲン! 仕事しろ!」
それは是非、と言おうとしたらオスカーさんに遮られた。怒りを露にするように眦を吊り上げてる。……でも、オスカーさん、お父さんには口だけで怒るんだね。イェルクさんなら遠慮なくはたくんたけど。
ユルゲンさんはオスカーさんに叱られてしゅーんと悄気てはオスカーさんをちらちら。寂しそうに「怒らなくても良いのにー」と零している。
「オスカーはせっかちなんだから。まあ良いけど。……じゃあ二人ともそこの陣の中央で向かい合って立ってね」
お仕事はお仕事、と真面目な顔付きになったユルゲンさん。おっとりとした感じは抜けきらないけど、さっきのようなはしゃいだ様子は薄らいだ。
オスカーさんも表情を引き締め、私の手を引いて陣の中心に立ち、向き合う。それから、私の右手をそっと手に取る。
「針、要る?」
「良い。魔法で軽く切るから」
「そう? ……それじゃあどうぞ」
ユルゲンさんがそっと片手を挙げる。ふわりとローブの裾が揺れて、手首までユルゲンさんの肌が見えて……それから、ちらりと色の違う肌が見えた。
怪我して治った後のような、普通の肌とは違う色。
『師匠ですら、俺のせいで二度と消えない傷を負った』
その言葉を、ふと思い出して。
けど疑問を口にする前に、足元に描かれた陣が光りだして、遮られる。
眩しくはない、淡い青の光。清らかだとすら思える優しい光に包まれて、私はこのままどうして良いのか分からずにオスカーさんを窺う。
オスカーさんは、私の手を少しだけ離して、それから自身の人差し指 を見ている。
「少し痛いのと、後多分体が熱くなるが、一過性のものだから我慢してくれ」
その言葉に頷くと「良い子だ」とちょっとだけ笑ったオスカーさん。
それから、オスカーさんは自身の人差し指を少しだけ切った。多分、風の魔法で傷付けたのだろう。血が傷口から玉のように膨らんで出てきている。
オスカーさんは、血の滴る人差し指を私の右手の甲に押し付けた。血が付着するのを感じて何とも言えない感覚を覚えると、そのまま肌に何が印を描くようになぞっていく。
何が描かれたのかは分からないけれど、魔法に関する紋様だという事には間違いなさそうだ。
書き終わったオスカーさんは、今度は私の人差し指に少しだけ傷を入れる。ほんのり抵抗が見えたのは、痛い思いをさせたくなかったからなのかもしれない。
傷口から零れだす血を、今度はオスカーさんが自身の甲に押し付けて印を描く。人の指を使って書くなんて器用だな、という感想が生まれるくらいで、あまり痛みも感じなかった。
互いの甲に、血で描かれた印。あまり気持ちの良い光景とは言えなかったけれど、オスカーさんに書いてもらったのだと思うとちょっとだけむず痒い。
「オスカー=ローゼンハイムは、ソフィ=ブルックナーを弟子とする。血の契約を此処に」
その一言と共に、光が一際強くなる。
今までと違って直視出来ない程の目映い光が陣から溢れて、全身を包み込む。あまりに眩しくて目をきゅっと閉じるのだけど、それと同時に全身が一気に熱くなるのを感じた。
手の甲が特に熱くて、そこから急速に熱が広がっていると言い換えた方が良いかもしれない。
けどそれも直ぐに引いて、同時に瞼の裏からでも突き刺さる光も消えていた。
恐る恐る目を開けると、手の甲にあった血は綺麗さっぱり消えていて、代わりに手首を取り囲むような小さな環が皮膚に浮かび上がっていた。
青色で描かれた蔦のようなモチーフのそれは、何だかお洒落に見えない事もない。
「……はい、これでおしまい」
「え、これだけですか?」
思ったよりも呆気なくて思わず問い掛けると、オスカーさんは「どんなの期待してたんだよ」とかちょっぴり呆れたご様子。
……もっと仰々しいの想像してたので、こんな直ぐに終わるものだとは思ってなかった。
オスカーさんは幾分拍子抜けしてる私にやれやれと溜め息をついたけど、手首に刻まれた環を見て「こうなったか」と感想をひとつ。オスカーさんの手首にも、同じものが刻まれている。
「これが、弟子の証なんですか?」
「そうだな。色々と注意事項とか諸々は後で説明する。取り敢えず、これで晴れてお前は俺の弟子だ」
その言葉に、堪らず目の前に居たオスカーさんに飛び付いた。
上で「ばか離せユルゲンが見てるだろ!」とおろおろしているオスカーさんに満面の笑みを浮かべて「ありがとうございます、師匠」と囁くと、オスカーさんは諦めたように私の頭を撫でてくれた。
これで、本当に今日からオスカーさんの弟子なんだ。……オスカーさんの、初めての、弟子。
そう思うと勝手に頬が緩んでしまったので、オスカーさんにばれないようにローブに顔を埋めては「えへへ」と相好を崩した。




