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夜闇の侵入者

 お父さんは早寝早起きが習慣だから、夜も早く寝る。お母さんもそれに付き合って、早く寝る。

 私はお父さん達が寝静まるのを待って、それから外行きの服に着替えた。


 閉じ込められてるのは変わらないけど、窓はそのまま。抜け出せない訳じゃない。……地味に高い二階だから、ちょっと降りるのは怖いけど、怪我をする程高い訳でもない。

 夜に私みたいな子供が出掛けるのは、危ないとオスカーさんは叱るだろう。でも、こうでもしなきゃ、会えない。


 ちゃんと気を付けていかなきゃ、と気合いを入れて、私はバルコニーに出て――。


「うわっ、何で外に居るんだよ」


 夜闇から滲むように現れた、ローブ姿の男性に目を剥いた。

 え、何で、とかどうして、とか、声を出したかったけど、それは大きな掌に優しく塞がれた。……嗅ぎ慣れてしまった匂いに、涙腺が緩むのが分かる。


「ごめん、ちょっと黙ってくれ。遮音するから、」


 遮音、と言われても方法が分からなかったけど、どうやら魔法で音を遮る膜のようなものを作ったらしい。何となく、外の景色が揺らいでる境目がある、気がする。

 そこまでして、漸く口から掌が離れた。

 私は間髪入れず、側に居た彼に思い切りしがみついた。


「オスカーさぁぁぁぁん」

「抱き付くな」


 そう言うけれど、拒む気配はない。好きにさせてくれるみたい。

 スンスンと鼻を鳴らしてオスカーさんを見上げると、やや困り気味の苦笑と出会う。


「何でそんな格好でバルコニーに居るんだ。もうお子様は寝る時間だろう」

「お父さん達寝てるから、今なら脱走出来ると思って」

「アグレッシブだなお前。……ま、テオドールに聞いたより元気になってて良かった」


 よーしよし、と頭をくしゃくしゃと撫で付けてくるオスカーさんに、拗ねるよりも先に喜びが湧いてくる。

 ……オスカーさんだ。今日はやけに優しいけどオスカーさんだ。私を心配して、きてくれたのかな。

 テオがもしかしたら唆したのかもしれない、じゃなきゃ私の部屋までは分からない筈だから。


「オスカーさんは、何で私に会いに来てくれたのですか?」

「テオドールがうるさかった、のと、……ちょっと懸念があってな」

「……懸念?」

「杞憂ならそれで良いんだが……まあ、それは良い。元気そうなら良かった」

「げ、元気じゃないです、オスカーさんと会えなくて寂しかったです! だ、だから、まだ帰らないで下さい!」


 まだ、一杯お話ししたい。聞きたい事も一杯ある。……まだ、帰らないで。


 そういう願いを込めて見上げると、オスカーさんは少しだけ気圧されたように瞳を揺らがせ、それから小さく肺から息を漏らす。


「……ま、子供だから良いか」

「こ、子供なのは納得いかないですけど、それでも良いです。……取り敢えず、姿を見られたら流石に怒られるので中にどうぞ」

「平然と勧めるお前もお前だが、まあ良いだろう」


 声が外に漏れるのを防いでくれているみたいだけど、姿までは隠してないみたいだから、もし見られたら一巻の終わりだ。それに、立ちっぱなしを強要するのも嫌だし。

 ローブを引っ張ると、苦笑と共にされるがままになってくれるオスカーさん。


 そのままお部屋に入って……しまった、と頬を引き攣らせる。


「これは」

「こ、これは暴れたというかその、起きたら勝手になってただけで……」


 女の子の部屋というには傷が走りすぎているお部屋に、私はあははと乾いた笑いを湛えるしか出来ない。

 閉じ込められる前までは綺麗だったんだけど、今はテーブルや椅子、壁にヒビが入っていたり、切り裂いたような跡がある。誰かがしないとこんな傷の入り方はしないだろうし、多分私が寝惚けてしている、のだろう。……それにしては乱暴すぎだけど。


「……やっぱりか」

「やっぱり!? 私ってそんなに暴れん坊に見えます!?」


 そんな風に見られていたなんて、と顔を強張らせると、オスカーさんは「違う」と真剣な表情。


「その辺はまた後で話す。……先に、お前の言いたい事からだ。俺に言いたい事があるんだろう」

「……色々ありますけど、良いですか?」

「聞かなきゃ満足出来ないだろ」

「……はい」


 ……言いたい事は、沢山ある筈なのだけど、いざ会ったら、思い浮かばない。

 取り敢えず無事なベッドに腰を下ろしつつ、オスカーさんはどうしようか迷って、隣を叩いた。……とても渋々ながらに座ってくれたのでほっとしつつ、そういえばちょっと薄暗いままだよな、と考えたら、周りに灯りが灯る。


 こんな時は言う事を聞いてくれる、私のこの力。どうせなら扉くらい壊してくれれば良いのに、とか物騒な事を考えつつ光を撫でるように指で掻くと、オスカーさんは目を丸くしていた。


「最初に言ったでしょう? 不思議な力があるって。魔法、なのかなって」

「……うわー。そう来たか」

「何ですかそのうわーって」

「や、同類見掛けるのは初めてだから……うわ、想定外だった」


 ……同類?


「それも後回しで説明する。……で、俺に言いたい事は?」


 オスカーさんが何を言いたかったのかは分からないけど、後でちゃんと話してくれるらしいので、まずは私の言いたかった事を言わせてもらう事にした。


「……その、聞きにくい事でも良いですか?」

「どーぞ」

「オスカーさんが災厄の子って、お父さん言ったから。……災厄の子って、何かなって」


 あまり口にするのも憚られる内容だとは分かっていたけれど、聞きたかった。……オスカーさんを傷付ける気は、するけれど。


 私の口から滑り落ちた言葉に、オスカーさんは瞳をしばたかせた後、瞑目。はぁ、と小さな溜め息すら、この静かな空間では大きく聞こえた。


「単純に通り名だよ。俺、全身凶器みたいなモンだからさ。……魔法っていうのは、単純に魔力だけあっても発動はしないんだよ。魔力はただ内側にためられた力ってだけで、ちゃんと勉強して理論を理解して発動のプロセスを頭に一から叩き込んで鍛練の末、漸く使えるものだ。どんな天才だろうがそれは覆しようがない」

「え?」


 頭を殴られたような衝撃を受けた。

 ……じゃあ、これは何? 私の力って、何?


「ところが、偶に俺みたいな、何にも勉強しなくても使える奴が生まれて来る事がある。体が魔法の円環そのものと言って良い人間が。……望むだけで魔法が発動してしまう、ってのは厄介でな、感情が揺らぐと勝手に魔法が飛び出るんだよ」

「魔法が、飛び出る」

「そう、まるで今のお前みたいにな」


 指摘されて、びくりと体が震える。

 ……さっき、同類って言ったのって、そういう事、なの? 部屋が荒れていたのは、外に出してという思いが、攻撃的な魔法になっていた、という事?

 ……喧嘩した時にテーブルがひび割れたのも、私が激情を抱いた、から。


「良く言えば魔法に望まれた者、悪く言えば俺みたいな災厄の子。……俺は、自分のせいで人を傷付けた。師匠ですら、俺のせいで二度と消えない傷を負った。今では制御出来るからそうはならないが」


 俺が災厄の子という名前で呼ばれる理由は分かったか? と、少し萎れたような笑顔を浮かべたオスカーさん。


「……じゃあ、私、も?」

「多分な。……お前の言いたい事の二つ目は、俺と一緒に来ちゃ駄目か、だな?」

「……はい」


 大まかな言いたい事は、その二つだった。でも、今その答えが否だったら、私は多分立ち直れなくなる。

 きゅ、と唇を噛んだ私に、オスカーさんはただぽん、と優しく頭の上に掌を乗せた。


「お前の親を説得したら、って条件を出したな」

「……はい、でも、無理だったから……」

「ま、撤回しとこうか」

「……え?」


 今、何て?


 ぽかん、と口をだらしなく開けて呆けたような顔をする私に、オスカーさんは「アホ面」と称したので口を閉じる。けど、瞠目はそのままに。

 ……撤回するって、何で。それは、色好い返事だと期待していいのか、それとも私を置いていってしまうのか、どっち?


 オスカーさんは私の言いたい事を分かってるだろうに、ただ苦笑を一つ落として、立ち上がる。


「そろそろ帰る。子供は早く寝ろ」

「待っ、どういう事です!?」

「良いから寝ろ」


 誤魔化すようにぐっしゃぐっしゃと髪を乱したオスカーさんに、もぉと不満を唇に浮かべると、満足したようにオスカーさんは背中を向けて――。


「待って、オスカーさん!」


 ローブを思い切り掴むとぐぎ、と腰を逸らせるオスカーさん。やり過ぎた、と思うものの、振り返ったオスカーさんに縋るように視線を送る。


「どうした」

「……背中、抱き付いても良いですか?」


 それだけ告げると、オスカーさんは少しだけ固まって、それから静かに「ちょっとだけだぞ」とぶっきらぼうに返してくれる。

 それが何よりオスカーさんらしくて、私はその厚意に甘えて、オスカーさんの背中にくっついた。


 少し薬草の臭いがする、黒いローブ。暖かくて大きな背中。

 ……私、この背中凄く好き。落ち着く。くっついていると、心地好くて、うとうとしてしまう。……なんか、波動みたいなものが気持ち良くて、瞼が勝手に下がってくるのだ。


 うとうととしていたのが分かったらしく「ほら、眠いなら寝ろ」と声が飛んできて、私はそれでも離れたくなくて回した腕の力を強めると、溜め息が聞こえた。


「今生の別れでもないんだから、離せ。ほら、子供はねんねしろ」

「……だってぇ」

「良いから」


 オスカーさんが好きにさせてくれたのは、そこまでだった。

 くっついた私を引き剥がし、そのままベッドに座らせてから横にする。無理矢理寝かせる気満々で、半分寝かかっている私は抵抗しようとオスカーさんに手を伸ばす。


 そっと頬に触れると、オスカーさんは何だか堪えるような表情を浮かべた。


「また明日」


 それだけ聞こえて、私の意識は勝手に落ちた。

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