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Lost Inside―取り戻せない日々―  作者: 古見理英
11/23

隔離

 その日の帰り道は異様に長く、不気味なほど静まりかえっていた。ひとけの多い駅に行っても、自分だけが別の次元に切り離されているような気がした。周囲の人間とは時間の流れが違うような、住んでいる世界が違うような、恐ろしくも奇妙な感覚だった。


 アパートへ帰ると、ポケットの中のスマホが震えた。実家の母からのメールだった。


『最近連絡ないけど元気にしてる? なんか急に心配になったからメールしちゃった。誰も見てないからってお酒なんか飲んでないでしょうね?』


 息が詰まりそうになった。何故よりによってこのタイミングなのか。いったいこの状態について何と言えばいい? 私は返すべき言葉が思いつかず、咄嗟に『大丈夫』とだけ返した。それ以外に返す言葉を思い付けなかった。

 私は部屋の電気も点けずに、寝室へ向かった。酷く疲れていて、とにかく休みたかった。


「とうとう頭がおかしくなったんだ。イタいヤツ。自分がどんな人間か、少しは理解できたんじゃないの?」


 寝室のドアを開けると、そこにベッドはなく、いつもの葬儀場になっていた。棺の中のミサキが私に問う。見慣れた薄暗い部屋で俯いた参列者に囲まれ、いつものように私は立ち尽くした。


「自己満足でできもしないことに首突っ込んで、結局何の役にも立たない。お前のくだらないトラウマやコンプレックスは、周りの人間に迷惑をかける。不幸を振りまくんだよ。あの時だってそうだった」


 彼女が言うと、俯いていた参列者達が一斉にこちらを向き、鬼の形相で叫び出した。


「この偽善者!」

「嘘つき!」


 彼らには一様に目が付いていなかった。本来眼球があるべき部分は分厚い皮膚で覆われていた。口だけがやたらと大きく、尖った犬歯が薄暗がりの中で鈍く光っていた。あまりの不気味さに、私は堪らずその場から逃げ出した。


「逃げるな。全部お前のせいじゃないか!」

「自業自得よ!」


 式場の外に飛び出すと、どういう訳か今度は病院のロビーに直結していた。アイスブルーのラインが入った白い壁は、すべて打ちっ放しのコンクリートに変わっており、床には割れた窓ガラスの破片が散乱していた。あまりの変わり様に病院だと認識するのに時間がかかった。


「ちょっと看護()さん! なんなのこのふざけた予約票は!」

「薬出せ薬! 何がシンリョーナイカだ。お前が行け馬鹿野郎」


 薄暗いロビーに見たくもない顔が二つ、肩を並べて立っている。はらわたが煮えくり返るほどの怒りがマグマのように込み上げてきた。


「……なんで? なんでお前らみたいのがこの世にいるわけ?」


 私は怒鳴った。想像以上に大きな声が出た。病院中に私の声が響き渡る。それはあの日の酒臭い男そのものだった。

 長椅子に座っていた他の患者たちが一斉に私の方を見た。分厚い皮膚に覆われた双眸は、確かに私だけを睨んでいた。


「見ないでよ。どうせ何も見えてないくせに」


 絞り出すように私は言う。


「お前の責任だぞ。俺らを恨むのは筋違いだ。お前は一体誰の役に立つつもりでいたんだ?」


 酒臭い男が言った。私は男の方を睨みつけながら言い返す言葉を探す。怒りで頭が沸騰しそうだった。

 

「私が助けたかったのはミサキみたいな人達だったのに。邪魔なんだよ。お前らさえ、お前らさえいなければ……」


 私が言い掛けた時、耳元で声がした。


「そうやってすぐ人のせいにする」


 悲鳴をあげた瞬間目が覚めた。見慣れた寝室はいつも通り冷たく静まり返っていた。ベッドシーツは冷や汗でぐっしょり濡れている。

 てっきり、また遅刻かと思った。仕事に行かなきゃと思い急いで起き上がったが、もう行くべき職場はどこにもない事を思い出し、またベッドに倒れた。いつもの癖でスマホに目をやると、帰宅してからたったの三十分しか経っていなかった。


 もう時間に追われることはない。カフェインで無理矢理目を覚ますこともなければ、休日を睡眠とノートのために費やすこともない。知らない人に八つ当たりされることも、怒鳴られることもない。誰も私に注目しない。心配事は全て目の前から消えたはずなのに、私は恐ろしく空っぽだった。どこからが悪夢で、どこからが現実なのか。それすらよくわからなくなっていた。


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