そっちが犯人
その日の夜、泣き腫らした目をターニャが冷たいタオルで冷やしてくれた。
まだ怪我が完治していないのに、世話をしてくれるターニャの気遣いがありがたかった。
次の日、まだ少し目が腫れていたせいでティターニアを心配させてしまう。「レオナルド様に馬鹿なことを言ってしまった」笑ってそう伝えたのだが、ティターニアの表情は曇ったままだった。
その日からまたレオナルドに会えない日々が続いた。
馬車横転事件が解決しておらず、毎日忙しくしているらしい。そこにアリシアが時折訪問しているようだ。
セラフィーナは表面上なんとか取り繕っているものの、沈んだ心はそのままだった。
そんな中、ターニャとリンカの怪我が完治したので、二人の快気祝いのお茶会をしようとティターニアが発案した。落ち込んでいるセラフィーナに気を遣ってのこともあるだろう。
ターニャとリンカは同席することを固辞していたが、最終的にティターニアの上目使いに折れた。
「ではジュリア、お願いね」
「……はい」
内輪の会なので給仕はジュリアに一任している。
体調が優れないらしく今にも倒れそうなジュリアだが、休んだ方がよいと言っても聞かないのでそのままお願いした。
準備も整い、震えた手でジュリアがお茶を注ぎ始める。緊張しているようだったが、なんとか無事に給仕できて皆で喜んだ。
「あら、変わった香りのするお茶ね」
「……はい。こちらはリドリー侯爵様よりいただきました。ご賞味ください」
「こちらは何のお茶なの?」
「……ゾーイックで有名なギーゼラを使用しております」
ゾーイック王国では医療が発達しており、体の調子を整えるお茶も多い。ギーゼラは体を温める効果があるので女性に人気のあるお茶だが、高価なものなのであまり出回っていない。
何の気なしにセラフィーナがお茶に口をつけようとした瞬間、ハッとした。
この香りはギーゼラではない。ギーゼラはもっと甘い香りがするし、色ももう少し薄いはずだ。
まさか!
ジュリアを見ると目を伏せ震えている。
それを見て、今まさに手をつけようとした三人に向かって叫んだ。
「待って!飲まないで!!」
大きな声をあげたので三人ともカップを持ったまま目を見開いて固まる。
「ど、どうしたの?フィーナ」
「皆様カップを置いてください!ゾーラ!至急アレクセイ殿下に来ていただいて!!」
「は、はい!」
セラフィーナの勢いに押されたゾーラは慌てて出て行った。
セラフィーナは念のためもう一度お茶を確認してみる。だがやはりギーゼラではない。
それにあのジュリアの様子を見ると……
三人に伝えるべく、重い口を開く。
「落ち着いて聞いてください。これはギーゼラではありません。色と香りが違います。何かはわかりませんので離れてください」
三人は慌てて席を立つ。リンカはティターニアを支えるように寄り添った。
「ジュリア……」
ティターニアの呟きに、真っ青な顔をしたジュリアはビクッと肩を揺らし、静かに涙を溢し始めた。
ああ、やっぱり。
だがこの様子を見る限り、進んで飲ませたかったわけではないだろう。最近様子がおかしかったのは、このせいだったのだ。
黙りこんでいると廊下をバタバタと駆けてくる足音が近づいてきた。
「いったい何事だ!?」
慌てて駆けつけた様子でアレクセイが息を切らしながら入ってきた。後ろにはレオナルドもいる。
あの日以来会っていなかったレオナルドの顔を見て、セラフィーナは泣きそうになった。
だが今はそれどころではない。
自分の感情をグッと押し殺して説明する。
「こちらのお茶はジュリアが用意してくれたものです。ジュリアはギーゼラだと言いましたが、これはギーゼラではありません。色と香りが違います。ですが何の葉かまではわかりません」
聞いた瞬間アレクセイとロイズは目を見開いた。レオナルドとユーリアスはジュリアに鋭い視線を投げつける。
「どういうことだ!ジュリア、この葉は何だ!」
強い口調で問い詰めるアレクセイに、ジュリアはただ無言で涙を流す。それをアレクセイは一喝した。
「言え!ジュリア!!」
「っ!……こ、こちらは。グロスと、伺って…おります」
グロス!!
セラフィーナは一瞬で血の気が引き、倒れそうになるのをテーブルに手をついて支える。
それに気づいたレオナルドがさっと近づき、セラフィーナをゆっくり椅子に座らせ肩に手を置いた。
誰もが沈黙する中、レオナルドが落ち着いた声で告げる。
「兄上、グロスの葉はギーゼラと同じくゾーイックで栽培されています。特殊な状況下にいる女性に好まれているお茶です。飲むと体がだるくなり眠気が続きます。そして、もし気づかずに服用を続けた場合……お子が望めない体になります」
「ひっ!」
「そんな!」
「ティア!」
一瞬ふらついたティターニアをアレクセイは抱き締める。色の白いティターニアの肌はさらに真っ白になり、小刻みに震えだした。
「ティア!飲んだのか!?」
「いいえ、いいえ、アレク様。フィーナが直前に気付いてくれたのでカップを置きました。誰も口にしていません」
「そうか……よかった」
震えながらも気丈に答えたティターニアにアレクセイはほうっと息を吐き安堵の表情を浮かべた。
「も、申し訳ございません!そのようなものと知らず!申し訳ございません!申し訳ございません!!」
両膝を突き地面に頭をこすり付けるジュリアに視線が集まる。
「お前は自分が何をしたのかわかっているのか!ティアの体を!クレイズの次代を!潰そうとしたのだぞ!」
「待ってアレク様。ジュリア、事情を話して」
激高するアレクセイを抑えて、真っ白な顔をしたティターニアが優しくジュリアに話しかける。
「話して、ジュリア。あなたがずっと暗い顔をしていたのを私達知っているわ。事情があるのでしょう?」
「………」
沈黙が続く中、静かにリンカが告げる。
「ジュリア、姫様のお心を踏みにじる気ですか」
その言葉にジュリアは目を開き、唇を震わせた。
そして語り出した。
ジュリアの父が経営する服飾店に大口の話が舞い込んだ。高位貴族のお嬢様がドレスを何着か作ってほしいという。店を任されているジュリアの婚約者とお針子達でその屋敷に出向いた。
何度か打合せを繰り返し、いざ出来上がりを持っていくと頼んでいたドレスと違う、恥をかかせる気かと騒ぎになった。そのうち父親がでてきて、書いてもいない誓約書を出され多額の賠償金を払うよう命じられる。そんな高額は払えないと混乱する婚約者に、ではジュリアを内密に連れてこいと言われた。
なぜ私が、と思ったものの放っておけるはずもない。いざ行ってみるとティターニアにグロスを飲ませるよう強要された。断るとジュリアの目の前で婚約者への暴行が始まり、人質だとどこかに連れて行かれてしまう。
震えるジュリアにその父親は言った。
「大丈夫だ。これは体調が悪くなるだけだ。そうすれば公務が務まらないだろう?婚約が解消されてコクーンに帰るから、それまでの間だけだ」
そうして茶葉を渡されたという。
「その高位貴族というのは誰だ!?」
「マケドニー公爵様です」
「……え?」
ペドラじゃないの?!
全員が思った。
「ほ、本当にマケドニーなんだな?本当だな?!」
「は、はい」
念を押すアレクセイにジュリアは戸惑っている。なぜ何度も聞き返してくるのか分からないからだろう。
だがこちらにしてみれば、ここでマケドニーの名がでるとは思わなかった。
今さら感が漂う。
「と、とにかく今の話をもう一度詳しく聞かせてもらう。ロイズ、衛兵を呼べ。ティア、君が心配だが私はこの件を解決する義務がある」
「ええ、わかっているわ。私は大丈夫です」
「すまない。リンカ、頼んだぞ」
リンカが深々と頭を下げる。
「それからフィーナ嬢、心から礼を言う。よく気がついてくれた。君の知識には頭が下がる思いだ。君がティアの側にあがってくれて本当によかった」
「もったいないお言葉です」
これほどはっきりアレクセイに礼を言われるのは初めてだ。だがセラフィーナ自身も、ティターニアが、ターニャとリンカが、飲む前に気付けて本当によかったと思う。
お互い顔色が戻ってきたセラフィーナとティターニアは微笑みあった。
「ではゾーラ、この場は任せたぞ」
「かしこまりました」
真っ青な顔をしたゾーラだったが気丈に返事を返した。
アレクセイが扉に向かうと同時に、セラフィーナの肩に置かれていたレオナルドの手が離れた。そのままレオナルドは振り返らず、アレクセイの後に続いて出て行く。
肩にはまだレオナルドの体温が残っていて、また泣きそうになるのを堪えながら、去っていく後ろ姿を見つめ続けた。
その後は調査を重ね、無事にマケドニー公爵を捕らえることができた。
婚約披露パーティーで恥をかいた公爵だったが、どうしても諦めきれなかったらしい。候補の中で唯一の公爵家だったのだから、ティターニアに何かあれば返り咲けると安易に考えた。
そこで新しく入ったジュリアに目をつける。
ジュリアがグロスを使用する機会を増やすため、学園に通い出したティターニアを王宮に閉じ込めることにした。
そう、馬車横転事件も公爵の仕業だったのだ。
「私の子供達は金髪ではなかった。わかっていたことだがショックだった。もう一度王家と血が混ざれば…それなら地位も保てると思った」
肩を落として、最後にそう言ったらしい。
マケドニー家は爵位を子爵家まで落とし、事件に何の関わりもない従兄が継ぐことになった。
公爵本人は罪を犯した王族専用の牢に生涯幽閉、娘のクリスティナは厳格な修道院に送られた。
実行犯のジュリアだが、情状酌量の余地ありとティターニアのとりなしもあり、牢に収監されず生涯王都への出入り禁止となる。店を閉め、ジュリアは父と婚約者とともに田舎へ移っていった。
そしてこの事件をきっかけに、ペドラ侯爵が注目を浴びることになる。事件解決の決め手になった、グロスの入手経路を突き止めるのに尽力したのだ。
なぜペドラが?と皆懐疑的だったが、アリシアが王宮に出入りする姿をみて、次は第二王子妃を狙っているのではと噂が立った。
レオナルドには婚約者がいない。
ペドラでなくとも娘を妃にと求める貴族は多い。その中では今回の尽力により、一歩抜きん出たのではないだろうか。
「お二人はアリシア・ペドラ嬢と交流はありますかな?」
「「いいえ、ありません」」
「そうですか。いや、レオナルド殿下とペドラ嬢がよい雰囲気らしくてですな。お二方の姿を見かけた者が言うには、美男美女が微笑み合っていてとても絵になるそうです。妃候補にあがるのではともっぱらの噂ですぞ。いやはや、若いとはよいものですな。はっはっはっ」
王妃教育中、教師によってそんな話を聞かされたセラフィーナは、鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
「おや、フィーナ嬢、どうされました?」
「い、いいえ。素敵なお話ですわね。オホホホ」
「そうでしょう。はっはっはっ」
もちろん教師はセラフィーナの気持ちなど知らず、年若い二人に話のネタになればと話しただけだ。悪気はないのだ。
授業後、気遣わしげに見るティターニアに大丈夫と告げて、ひとり部屋に籠った。
ずっとあの日のことを後悔している。
なぜどうでもよいジークの肩など持ったのか、なぜアリシアとの関係を責めたのか。
夜、二人で過ごしたあの時間にはもう戻れないのか。
かつらをとり、メガネを外し、化粧をしたままセラフィーナはベッドに踞った。




