笑顔を向けられて(セディ視点)
テディの弟、セディ視点です。
モルガン侯爵家の執務室で、セディは壁にもたれて腕を組み、いつものように冷静に様子を眺めていた。
あいつは怒鳴り散らし、母は泣き崩れている。いつも以上に騒がしく屋敷内も騒然としている。
先ほどダウナー伯爵家からあいつとセラフィーナの婚約解消の書類とともに、王家から接近禁止令の通達が届いたからだ。
「なんだって王家から接近禁止令など出されるのですか!父上!抗議してください!」
「お前がセラフィーナに怪我を負わせ、レオナルド殿下の公務を妨害したとのお達しだ!抗議などできるわけがないだろう!」
聞く耳を持たないあいつは食ってかかる。
「僕はセラフィーナが学園を休学していることなんて知らなかったんだ!婚約者の僕に伝えないことが問題です!」
「もう婚約者ではない!お前が学園の食堂で破棄したのだろう!お前はセラフィーナがやってもいない罪をやったと勝手に決めつけて攻め立てた。冤罪をかけたんだ!しかも他の生徒達がいる前で!それは休学しているかどうかは関係ない!」
普段物静かな父も動揺しており、口調が荒くなっている。
「で、でも王家からの接近禁止令なんて。テディの評判が落ちてしまうわ。そ、それに婚約解消だなんて……。メイリーが悲しむわ」
泣きながら言い募る母に、父は溜息をつく。
「それならテディがセラフィーナに暴力を振るったことを、メイリー夫人は悲しまれるだろう。ダウナー伯爵から抗議文も届いている。令嬢の手首を掴んで怪我をさせるなど、問題になって当たり前だ」
「それはセラフィーナが僕から逃げようとしたからだ!仕方のないことだったのです!僕は悪くない!」
「……診断の結果、セラフィーナの手首は一週間は痛みと痣が残るそうだ。今は腕を持ち上げることさえできないと。テディ、それほどまでに女性の手首を強く握り込んでおいて、それを正当化するつもりじゃないだろうな」
静かな怒りを見せる父の態度に、さすがのあいつも黙り込んだ。
やっと静かになったと思い、セディが冷静に進言する。
「父上、どのみち婚約解消は決定事項でしょう。こんなことをしている場合ではないのでは?さっさと王家と伯爵家に謝罪をしたらどうです」
すすり泣いていた母が顔を上げる。
「そうだわ!セラフィちゃんに会って接近禁止令を解いてもらいましょう?謝ればきっと許してくれるわ!」
「セラフィーナが許したとしてもこれは陛下がご決断されたことだ。覆るかどうか……」
するとまたあいつが騒ぎ出し母が泣く。
うんざりしたセディは執務室から一人離れた。
中庭のベンチに一人腰掛け、セラフィーナと初めて会話したときのことを思い返す。あのときはまだセディは八歳になったばかりで、素直に聞いてくれるセラフィーナに、自分が得意気に話したことを覚えている。
昔からこの家でセディはテディのスペアだった。
名前からしてそうだ。遅くにできたテディを母は必要以上に可愛がり、次は女の子をと思っていたところに生まれたのがテディにそっくりなセディだった。
幼少期はテディのお下がりを着せられ「テディにそっくり!」と喜ぶ母の顔を何度見たことか。
元々の性格もあるだろうが、普段からあまり構われなかったおかげで、冷静で客観的に家族をみるようになった。
母がセディをスペア扱いするのであいつも調子に乗り、セディを奴隷のように扱う。家の中があいつを中心にまわり、我儘し放題のあいつに、傲慢さに拍車をかける母に、セディは距離を置くようになっていった。
いつものように中庭のベンチで読書をしていると、綺麗なダークブルーが目に入った。
セラフィーナにあいつのことをどう思っているか聞かれたので素直に答える。
「傲慢で思慮が足りないバカ」
常々思っていたことを伝えたのだが、セラフィーナはそのとおりだと言わんばかりに笑った。やっぱり思うことは同じなんだと気が緩む。
常識的に考えてあんな男と婚約するのは嫌だろうと聞いてみると、予想どおりの答えが返ってきた。あまり深く考えず、婚約破棄を勧めるとセラフィーナは目を輝かせた。
セラフィ姉さんと呼べと言われた。
「私達テディ様に負けないようにお互い頑張りましょう!婚約破棄に向けてあなたにも情報提供してもらいたいし、これからも仲良くしてね!」
笑顔で右手を差し出された。
スペアではない自分を見てくれたことが素直に嬉しくて。
あいつから解放されるようにできるだけ協力してあげたい、そう思い手紙で情報を伝えた。
数年後に会ったときにはユーリアスもいて、温かい笑顔で迎えてくれた。最後には“ユーリ兄さん”と呼ぶように言ってくれた。
「ダウナー商会で雇ってあげるから心配しなくていいよ」
その言葉にどれだけ救われたか。
父は時々セディのことを気にかけてくれるが、頼りたいと思う相手ではなくなっていた。傲慢なあいつと愚かな母をそのままにし続けている、父が一番の元凶なのではと思っているぐらいだ。
空を見上げて一言呟く。
「よかったね、セラフィ姉さん」
自然に笑顔になる。
会って直接伝えることができないのが残念だけれど、これでモルガン家とダウナー家の縁は切れた。あいつに怪我までさせられて、今さら自分がのこのこ会いに行けるはずもない。
寂しくなるけど仕方がない。
まともに話したのはたった二回だし、ずっと手紙のやり取りだけ。ユーリアスに至ってはお茶会の一回のみだ。でもその細い糸のおかげで、投げやりにならずに頑張ってこれた。
ユーリアスが言ってくれたように、ダウナー商会で雇ってもらえるなんて本気で思ってはいない。なにせセディはあいつの弟だ。それは一生ついて回る。
でも自分のことを気にかけてくれた。
本当の兄弟ではないけど、心の中で勝手に兄と姉と慕う分は許してほしい。これからも努力を続けていれば、もし何かあったときあの二人は手を差し伸べてくれるかもしれない。
そんなふうに思って自分を奮い立たせる。
セラフィ姉さんに最後の手紙を書こう。
そう決意して、中庭を後にした。
部屋に戻る途中、廊下であいつの怒鳴り声が聞こえた。気に食わないことがあるといつもそうだ。また使用人に当たり散らしている。
大体のことにすぐ腹を立てているが、一番多いのはセラフィーナが自分の思いどおりにならないときだ。セラフィーナが課題をやらなかったせいで追試を受けるはめになったと憤慨していたときは、こいつ正気かと思ったものだ。
本人が気付いているかはわからないが、あいつはセラフィーナに執着している。文句ばかり言っているくせになんだかんだと婚約を解消しなかったのがいい例だ。今回も本気で婚約破棄するつもりなどなかったのかもしれない。
あの執着がそう簡単になくなるとも思えない。筋金入りの傲慢さを持つあいつに、一抹の不安を感じる。
そもそもあの執着はなんだ。
思いどおりにならないことへの苛立ちからか、それとも………
やめよう、今さらだ。
首を横に振り、思考を打ち消す。
王家から出された接近禁止令だ。侯爵子息にすぎないあいつではどうすることもできない。破ればただでは済まないことぐらい、いくらバカなあいつでもわかるはずだ。
セラフィーナは王宮に滞在しているようだし安全だろう。せっかく婚約解消できたのに水を差す必要はない。
セラフィーナには愚かなあの男のことなど忘れて笑って過ごしてほしい。
そう思い、自分の部屋へ戻った。
結局は拭い去ることのできない不安を抱えながら。




