父ローレンを説得
学園にいるはずのユーリアスとセラフィーナが執務室に入ってきたことでローレンは驚いたようだ。
さらにセラフィーナを見て、切れ長の目をこれでもかと大きく見開く。
「なっ!どうしたんだいセラフィ!その格好は?!」
言われてセラフィーナは気づく。
しまった!残念令嬢のままだった!
色々あってそのまま帰宅してしまったのだ。ローレンにはこの姿を隠していたことをすっかり忘れていた。
固まってしまったローレンに何と言おうか考えていると、ローレンは何かに気づいたようにハッとして、にこやかに笑った。
「そうか、学園の最終試験が終わったんだね。みんなで仮装パーティーでもしていたのかな?」
「え、ええ。まあ。そんなところです」
「やっぱり!セラフィは何の役かな?太ったお化けかな?」
「………」
ユーリアスは悲しげな表情をしている。後ろのレオナルドは肩が大きく揺れている。
セラフィーナは何も言えなかった。この格好で普通に学園で過ごしていただなんて。
無言のセラフィーナの横で、気を取り直したユーリアスがローレンに伝える。
「父上、本日学園での出来事をご説明します。レオナルド殿下にもお越しいただきました」
セラフィーナの格好に夢中になっていたローレンは後ろにいたレオナルドに気付かず、さらに驚いた。
「こ、これはレオナルド殿下!ようこそお越しくださいました。すぐに客間をご用意いたします」
「いえ、あまり長居もできませんし、よろしければこのまま話をしたいのですが」
「さようでございますか。ではこちらのソファにどうぞ」
顔を隠して肩を揺らしていたレオナルドは、気づけばいつもの爽やかな貴公子に戻っている。
なぜレオナルドまでがと怪訝な表情のローレンだったが、そのローレンの向い合わせにレオナルド、セラフィーナ、ユーリアスの順でソファに腰掛けた。
「では父上、私から説明します。本日、学園の食堂でテディ・モルガンからセラフィーナに婚約破棄を言い渡されました」
「え?なんだって?」
「テディから婚約破棄を言い渡されました。速やかに婚約解消の手続きをしてください」
「な、ちょっと待ってくれ!なぜテディ君は婚約破棄を?!」
「テディには懇意にしている令嬢がいます。お相手はマリエラ・シモニー嬢です。一ヶ月前からシモニー嬢は嫌がらせをされていたそうです。それをテディはセラフィの仕業だといって婚約破棄の宣言と、謝罪を要求しました」
「そんなバカな!セラフィはレオナルド殿下の補佐のために王宮にいたんじゃないのか?!」
「そうです。ですがテディは知らなかったようです。ウィンストン公爵令嬢から知らせを受け、レオナルド殿下と私が食堂に着いたとき、テディはセラフィの手首を掴み執拗に追い詰めていました」
唖然とするローレンは、セラフィーナの手当てされた手首に目を向ける。
「テディはよほど強く握り込んだようです。セラフィの手首は紫色に変色してしまっています。一週間から十日ほどは痛みや痣が残るとの診断を受けました。今は腕を持ち上げることができません」
「そんな……」
「テディがセラフィに手をあげるのはこれで二度目です。一度目は学園の廊下でセラフィに殴りかかろうとしたところをレオナルド殿下が阻んだため、未遂で終わりましたが」
あまりの衝撃にローレンは黙り込んでしまった。
「父上、速やかに婚約解消の手続きを」
「あ、しかし……メイリーが………」
「あなたはまだそんなことを言っているのですか!」
ユーリアスはテーブルを両手でバンと叩いた。
「確かに母上が望んだ婚約です!でもセラフィは一度だって望んでいない!むしろずっと嫌がっていた!こんな怪我までさせられているのに!なぜわかってくれないのですか!!」
ローレンを怒鳴りつけるユーリアスの横で、セラフィーナは目を伏せた。まさかここにきてローレンが躊躇するとは思わなかったのだ。
その様子を黙って見ていたレオナルドが数枚の書類をローレンに無言で差し出す。
「あの、これは?」
「テディ・モルガンの報告書です。セラフィーナ嬢を王宮に招く際、簡単な身辺調査を行っています。もちろん何の問題もありませんでした。そしてそれはセラフィーナ嬢に付随して婚約者であるテディ・モルガンの調査報告書です。内容に少々問題があるため、控えをお持ちしました」
訝しげに書類を受け取ったローレンだったが、読み始めてすぐ眉間にしわが寄った。途中から驚愕の表情に変わり、恐る恐るレオナルドを見る。
「王家の調査です。間違いはありません。あなたはそんなご子息に、大切なお嬢さんを嫁がせようとしています」
レオナルドは静かに続ける。
「亡き妻を愛し続けるダウナー伯爵の思いはとても素晴らしいと思います。ですが私はこの二ヶ月間、セラフィーナ嬢とともに過ごしてきました。セラフィーナ嬢は他人の機微に鋭く、非常に勤勉で、常に前を向き、一途で素晴らしい女性です。そんなご息女の幸せを、考えてはいただけないでしょうか」
その言葉を聞いたローレンは悲痛な表情を浮かべて、手に持っていた書類を強く握りこんだ。
そのままぶるぶると震える手で頭を抱えて、涙を流しはじめた。
そんな父の姿に驚いていると、ローレンは顔を上げた。
「ああ、セラフィ!私はメイリーのためと思っていたがセラフィを愛する気持ちは変わらない。幸せになってほしいと願っている。メイリーとも約束した。だがこんな、こんな男がセラフィを幸せにできるはずがない!私の目は曇っていた!バカなお父様を許してくれ……」
セラフィーナは黙ってローレンを見つめた。
ローレンの愛を疑ったわけじゃない。ただメイリーより優先順位が低く、いくら言葉を尽くしても聞き入れてもらえないという諦めがあった。今も手首の怪我だけでは解消してもらえない可能性だってあった。
だから特に何かを求めていないし、今後も求めることはないだろう。
「お父様、お顔を上げてください。私は婚約を解消さえしていただければそれで構いません」
表情も変えず淡々と返答するセラフィーナを見て、ローレンはセラフィーナを長く傷つけてきたことに気付いた。
ふいに、初めて婚約を知らせたときのことを思い出す。セラフィーナは泣いて嫌がった。ユーリアスも反対していた。それをメイリーのためと強行したのは自分だ。メイリーが亡くなった後も聞く耳を持たなかった。
セラフィーナはどんな思いだったのだろう。
今さら気付いてしまった。
涙を拭い、気持ちを落ち着けたローレンはセラフィーナに向き合った。
「婚約解消の手続きはすぐにでもしよう。セラフィの怪我もあるし、あちらの有責になる。何か希望はあるかい?」
「特にありません。謝罪も結構です。できればこの先テディ様とは関わりたくありません。私に近づかないことを強く言い含めてもらえますか?」
「ああ、わかった。もちろん伝える」
そこにユーリアスが待ったをかける。
「それじゃ駄目だ、セラフィ。今回もこれで済んだのはレオナルド殿下がいてくれたおかげだよ。テディは懲りない。またセラフィに絡んでくる可能性だってある」
「でも。それじゃあどうしたらいいの?」
「では王家より接近禁止令を出しましょう」
レオナルドの言葉に皆が驚いて視線を向ける。
それを安心させるようにレオナルドはセラフィーナとユーリアスに頷き、ローレンに向き直る。
「幸いセラフィーナ嬢は私の公務に携わってもらっています。今の腕では最低でも一週間は筆を持つことは難しいでしょう。公務を妨害したとして、接近禁止令を出すことも可能です。父上も兄上もセラフィーナ嬢を高く評価している。問題ないでしょう。伯爵、婚約解消の手続きを早急にしてください」
ローレンは王家まで絡む事態になってしまったことに焦りを感じた。
だがユーリアスもセラフィーナも、父であるローレンよりレオナルドを信頼していることが目に見えてわかる。これ以上子供達に失望されたくなければレオナルドに委ねるべきだと思った。
「かしこまりました。どうぞよろしくお願いいたします」
ローレンはレオナルドに、深く深く頭を下げた。




