芽生えた感情(レオナルド視点)
レオナルドは着替えるため自室に向かって回廊を歩いていた。もうパーティーに戻る必要はない。
怪我をしたセラフィーナを部屋のソファに座らせたとき、ちょうど医師とターニャが入ってきた。医師の見立てでは、足は軽い捻挫で二、三日もすれば歩けるようになるそうだ。
セラフィーナに安静にするよう言い聞かせ、ターニャに任せて部屋を後にした。
時間を作ってはセラフィーナの部屋に向かう日々が続く。二人で過ごす他愛もない時間を、楽しんでいる自分がいる。
セラフィーナは幼いころから異国を回っていただけあって知識も豊富で話題が尽きない。一見自由なようにみえてきちんと弁えているし、すでに皆から信頼を得ている。
だが自分のこととなると途端に無頓着になる。それを放っておけない。これは貴族令嬢らしくない妹を心配しているユーリアスと同じ種類のものか、それとも……
ただセラフィーナに対して、執着めいたものを感じていた。
婚約披露パーティーで、レオナルドがセラフィーナをエスコートできないことは前々からわかっていた。自分には第二王子としての責務がある。
だがそばにいられないことをもどかしく感じるようになった。
レオナルドが惹き付けられるダークブルーを誰にも見せたくない。この感情は、つまりはそういうことなのだろう。
いや、最初からわかっていたはずだ。
初めて素顔を見たときから、ドレス作りで冷や冷やしたときから、頭を撫でたときから。もしかしたら自分の素をさらけ出したときが最初だったのかもしれない。
…もちろんあの残念令嬢の姿を好んだわけではないが。
だから髪や頬を触り、意識させ、他の男を安易に近づけさせないよう言い含めた。
真っ赤な顔をして必死に頷くセラフィーナに、レオナルドの心が踊った。
今日はセラフィーナにとって、思った以上に大変な一日だっただろう。
マケドニー公爵と人前でやり合うことになるなど思いもしなかったはずだ。だがあれで公爵を押さえつけることができる。アレクセイはほくそ笑んでいることだろう。
セラフィーナをダンスに誘おうにも、なかなかタイミングが合わない。会場に見あたらないセラフィーナを探してレザールに問いかけると、エメレーンと一緒らしい。
「レオとアリシア嬢のダンスを見て寂しそうにしてたよ。後でちゃんと踊ってあげなさい」
わかっている。ダンスに誘うと約束したときセラフィーナは嬉しそうにしていた。
レザールには「レオって意外に束縛するタイプなんだね」とからかわれた。
自分の周囲には挨拶をしに続々と人が集まってくる。内心辟易しているが、第二王子としての務めを果たす。だがその隙にセラフィーナは怪我を負ってしまった。
騒ぎを聞きつけて行ってみると、床に腰をついてしまったセラフィーナを見つける。慌てて駆け寄り助け起こすと足をかばうのでどこか痛めたのだろう。なぜこんなことにと怒りを感じる。
「そちらのリドリー様がわたくしの素顔が見たいと勝手にメガネを外そうとされましたので、後ろに下がりましたらテーブルにぶつかってしまったのです」
……誰が触らせるものか
自分の周りの温度が下がったのがわかる。アレクセイがこなければ貴公子の仮面を剥いでアレンを執拗に追い詰めるところだった。それをしてしまえばセラフィーナが気に病む。感情を落ち着けて自重した。
リドリー侯爵まで出てきたが、その後のセラフィーナの対応は悪くない。罰を与えるのは簡単だが、パーティー終盤でそれをやってしまうと重い空気のままお開きになってしまう。
「お二人の仲睦まじさをぜひ見せてくださいな」
下げて上げるやり方にアレクセイも苦笑していたが、逆にうまくまとまった。
ただにっこり笑うセラフィーナはきつめの印象を崩し、本来の屈託ないかわいらしさが出てしまっている。せっかく公爵をやり込めたことで遠巻きにされていたのに、これでは有象無象が寄ってきてしまう。
怪我をしたセラフィーナを抱き上げ、部屋に運ぶ。
今日の出来事を褒めていると、首にまきつく腕が強くなり、猫のように首元に顔をうずめてきた。甘えているのだろう。今日は本当によく頑張った。
「不思議……」
「なんだ?」
「リドリー様に手を伸ばされた時は怖かったんです。でもレオナルド様だと恥ずかしいけど安心できます」
セラフィーナは自分の感情に気づいていないのだろう。自らレオナルドが特別だと言っているようなものなのに。
それならそれでゆっくり囲い込むだけだ。
そう思い、抱き抱える腕に力を入れる。
愛おしい。ただそう思った。
アレクセイの執務室でマケドニーとリドリーの処遇を決めた後、自分の執務室に戻るとエメレーンからの呼び出しがあった。
客間に入ると、灯りを少し落とした部屋でエメレーンはグラスを傾けている。
「そなたも付き合え」
エメレーンがレオナルドにグラスを渡しワインを注いできた。
エメレーンの空気が和らいでいる。表情も穏やかで肩の力が抜けているようだった。
「何かあったのか?」
「ん?」
「空気が変わったぞ」
「ああ、そうか。そうだな。フフフ」
エメレーンは一人ごちた。
「ダウナーの娘と少々話してな。なんだか楽になったんだ」
「……そうか」
幼い頃から三人で一緒に遊んだ。
エメレーンは昔からやんちゃで、兄が一人増えたかのようだった。二歳年下のレオナルドは負けてなるものかと必死に付いていったものだ。
それがいつの間にかアレクセイを見るエメレーンの瞳には熱を持つようになった。それをアレクセイはまったく気づいていない。鈍感なアレクセイにレオナルドは鼻で笑ったが、将来婚姻を結ぶことは決まっているので特に何もしなかった。
だが帝国内で年々雲行きが怪しくなる。気弱でものぐさなエメレーンの兄と、アレクセイのために努力を続けるエメレーンの差が開いてきたからだ。エメレーンの持っているカリスマ性もあるだろう。
だが友好を築くための婚姻である以上、そのまま進むはずだった。
しかし結果は違った。
アレクセイのために励み続けたエメレーンは、アレクセイのために自ら身を引いた。さらに皇太女になり、アレクセイのためにティターニアを婚約者とすることに尽力した。
誰もエメレーンの心を知らないだろう。
それほどエメレーンの手腕は素晴らしかった。気づいているのは、幼い頃から二人を見続けていたレオナルドと、常に陰で控えているエメレーンの従者と侍女ぐらいか。
レオナルドからすれば憂いを帯びた表情を時々見せるエメレーンが歯痒かったが、どうしようもなかった。
それが今、晴れやかな顔をしている。
機微に鋭いセラフィーナが何かしたに違いない。
セラフィーナの偽装を知ったのもそのときだろう。許可なく正体を明かすことは本来許されないが、エメレーン相手なら仕方がないとも言える。
「公爵を手玉にとったのも小気味よかったが、最後にダンスを求めるやり方もなかなかだ。私の側にほしいが」
「駄目だ。あいつはいずれ私の隣に置く」
はっきり告げるとエメレーンは目を大きく見開き、にやりと笑った。
「ほう、だがまだ了承しているわけではないのだろう?こういってはなんだが、ダウナーの娘はかなり私を慕っている」
「それは知っている。だが私は手放す気はない。あいつはまだ自覚していないが時間の問題だ。会うだけならそのうちサイプレスに伴ってやる」
そう言い切ると、エメレーンは呆れた顔をした。
「レオに目をつけられるとは。少々憐れな気もするな」
「ぬかせ。もう戻るぞ。まだ仕事が残っている」
そのまま立ち去ろうと思ったが、最後にこれだけは言っておく。
「エメレーン、お前がどこにいようと私の姉であることに変わりはない」
そう伝えるとエメレーンはレオナルドが久しぶりに見る、優しい笑みをふわりと浮かべた。
「ああ、そうだな。そなたはいくつになろうとも、こまっしゃくれた私のかわいい弟だ」




