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婚約披露パーティーとエメレーンの月

レザールが慌てて戻ってきた。


「大丈夫だったかい?ルードリッヒに絡まれているのが見えてすぐ戻ってきたんだが」

「はい、大丈夫です。ダンスに誘われましたが、冷たく対応したらサライエ語で文句を言っていなくなりました」

「サライエ語で文句って。まあ離れていってくれたのならいいね」

「そうですね。あ……」


レオナルドが令嬢を伴ってダンスフロアに出てきた。

レザールがセラフィーナの視線を追う。


「ああ。あれがペドラ侯爵の娘アリシア嬢だよ。レオに近づくなんて命知らずだね」

「ふふふ。でも今は爽やかな貴公子ですから」


そう言いながらも二人のダンスを目で追う。


アリシアは高位貴族らしく華やかで綺麗な女性だった。微笑み合った美男美女が仲良さそうに踊っている。

こうして見るとまるで……


セラフィーナはなんだか気持ちが暗くなった。

微笑むレオナルドを見ていたくない。今は貴公子だとわかっているが心が勝手に沈んでいく。


「せっかくだからフィーナ嬢もダンスをしてくるかい?こんなおじさんとだけじゃ寂しいだろう」


セラフィーナはハッと顔を上げた。

暗い雰囲気を出していた気がして、慌てて顔を作る。


「そんなことないですよ。閣下はとてもお上手で安心して踊れました。それに今日はレオナルド様から閣下以外と踊るなと厳命されていますので」

「なんでそんな話になったの?」

「私なんか誰も声をかけてこないって言ったんです。そうしたらレオナルド様はわかっていないって。ティア様に近づきたい人が私に寄ってくるから踊るなって言われています」

「ふむ、なるほどねぇ」


レザールは顎に手を当てレオナルドを見ているので、セラフィーナもダンスフロアに目をやった。

だがレオナルドとアリシアを見たくない。


視線をずらすとエメレーンが視界に入った。

エメレーンは嬉しそうな顔をしているが、なんだか泣いているようにも見える。お茶会のときと同じように感じた。

エメレーンの視線の先を見ると、そこには仲睦まじいアレクセイとティターニアの姿がある。セラフィーナはもう一度エメレーンに視線を戻した。


エメレーンのあの瞳は、セラフィーナの父が亡き母に、亡き母が父に向けていたものと同じではないだろうか。相手を慈しむ気持ちが溢れ出たものだ。そこにエメレーンは哀しみが混じっている。


まさか……



ふとエメレーンがセラフィーナに目を向け、金の瞳を大きく見開いた。


セラフィーナは慌てて目を伏せる。

先ほど思いついてしまったことが顔に出ていたかもしれない。余計なことを考えてしまった。

もう忘れよう、そう思ったがエメレーンが正面まで来てしまう。


目を泳がせているとエメレーンはフッと笑った。


「閣下、すまぬがフィーナ嬢をお借りできるか」

「構わないけど。どうしたんだい?」

「少し涼みたいからな。誰か一緒に連れ出そうと思っていたら、暇していそうなフィーナ嬢をみつけたわけだ」

「ははは!暇してそうはないだろう。どうする?フィーナ嬢」

「あ、はい。エメレーン殿下と行ってきます。閣下はお仕事もありますでしょうから。私のことはお気になさらずに」

「ああ、ありがとう。そうだね、今のうちに挨拶に回ってくるよ」


セラフィーナはエメレーンとともに会場を離れた。









エメレーンは来賓用の客間にセラフィーナを連れて入った。


部屋の中は少しだけの灯りしかなく、柔らかい月の光が窓辺から入り込んでいる。メイドを呼べばきちんと明るくしてくれるのだが、エメレーンはそれをしなかった。


「ここは私専用だ」


月明かりの下で、エメレーンは自分でグラスにアルコールを入れて一口飲んだ。


「そなたも飲むか?」

「いえ、結構です」


エメレーンはグラスを片手に窓際にもたれかかった。

ふと思い出したかのようにセラフィーナに顔を向ける。


「先ほどの公爵への対応は見事であったな」

「ありがとうございます。エメレーン殿下が出てくださると思っていましたので」

「なぜだ?」

「殿下はティア様をとても大切にしていらっしゃいますから。あの場はティア様の後ろにサイプレスがいることを周知する、絶好の機会かと」

「ふむ。そのとおりだ。だがそなたの言い回しは絶妙だったぞ。なかなかよい余興になった」

「光栄にございます」


エメレーンは少し笑い、また外に視線をやる。


「そうだ。私はティアをとても可愛がっている。妹のようにな。巫女姫でありながら、その地位を捨てる覚悟で海を渡ったその度胸は素晴らしい。そして大陸の違うサイプレスで、笑顔を絶やさず日々精進する姿がいじらしくてな」

「はい。よくわかります」


ティターニアはクレイズに来てからもずっと頑張っている。日々笑顔で周りに気を配っている。

二ヶ月という短い期間だが、側で見ているセラフィーナにもエメレーンの気持ちがよくわかる。


「私の心に二心はない。だが……そなたは気づいたであろう?」


落ち着いた瞳でセラフィーナを見つめるエメレーンに、首を大きく横に振った。


「いいえ、いいえ、エメレーン殿下。殿下のお心を暴くような真似はいたしません」


そう言ったセラフィーナに、エメレーンは静かに笑った。


「フフ。そうか。ならば聞いてくれ」



一人の愚かな娘の話だーーー




娘は幼い頃から婚約者に惚れ込んでいた。

婚約者はそれに気づかず、ともに歩めるのならばそれでよいと、娘は心を隠した。


だがある日婚約者が妹を見初めた。娘は婚約者も妹も大切で、自ら身を引き二人の幸せを願った。だがそのためには大きな力が必要で、だから娘は地位を手に入れた。大好きな兄を蹴落としてまで。そうして手に入れた地位を使って、婚約者と妹が結ばれることに尽力した。


………娘は何より欲しかった婚約者を手にすることができなかった。だが兄を蹴落としてまで自分のものとした地位がある。元来勝ち気な娘は前を向き、生涯をこの地位のために費やそうと心に誓った。婚約者が笑っていてくれるならば、自分も笑っていられると。たとえそばにいられなくとも、笑っていけると。


だが時々、婚約者と妹が幸せそうに笑っていても、愚かな娘は笑えない時がある。

そんな時、娘は月を眺める。

幾度となく二人でともに見上げた月に。婚約者だった者が娘にくれた、数多の笑顔を思い浮かべる。


愚かな娘が再び笑えるようにな。





静かに月を見上げるエメレーンは、金の瞳に哀しみを伴いながらも、優しい笑みを浮かべている。

そんなふうに佇むエメレーンに胸が詰まる。


やはりこの方はとても強く、しなやかで優しい。誰よりもまっすぐで、美しく輝く心を持っている。

涙が零れそうになるのを耐えた。自分が泣くべきじゃない。この方に憐れみなんていらない。


セラフィーナは腹にぐっと力を入れ、かつらとメガネを外した。胸元まである本来のダークブルーがふわりと舞う。


「そなた………」


偽装を解いたことで目を見張るエメレーンに宣言する。


「わたくし、クレイズ王国ダウナー伯爵家セラフィーナ・ダウナーは、サイプレス帝国皇太女エメレーン殿下に、貴女様の誇り高き気高い心に、最大の敬意を」


セラフィーナは右膝を地面に突き、右手の平を開き胸の前に、左手は背中に回し手の甲を腰に添える。

そして頭を深く落とした。


「まさか…元位尊信の礼……」


元位尊信の礼とは、はるか昔中央大陸がひとつの国家だったころ、大国を治める元首にのみおくられていた礼だ。大国を統べる唯一の存在として敬われた存在で、誰よりも尊ばれた。

何百年も前に国が分裂し、廃れてしまった礼であるためほぼ知られていない。


金の瞳を大きく見開いていたエメレーンだったが、徐々に表情が崩れていく。


「ふふ、ふ、はは、はははは!やはりそなたは面白いな!元位尊信の礼なんぞ、皇宮深くに居座っているじじいどもでも知らんわ!ははははは!」

「申し訳ありません。ですが誰よりも貴女様に敬意を表したく」

「ああ、よい。顔を上げよ」


セラフィーナがエメレーンと目を合わせると、エメレーンはフッと笑った。


「気高い心と…言ってくれるか」

「はい。貴女様にぴったりのお言葉かと存じます」

「……そうか、フフ。いいものを見せてもらったぞ。大陸中で元位尊信なぞもらったのは私だけであろう。フフフフ、まったく。ドレス姿で膝など突きおって。はははは!」


エメレーンはセラフィーナを立たせた。


「それにしても、ダウナー商会の者であったか。ユーリアスの妹君か?」

「はい。当初は侍女としてあがる予定でした」

「なるほどな。確かに伯爵家の娘が侍女にあがれば高位貴族も寄ってきそうだな」

「おっしゃるとおりです」


エメレーンは手を顎に持っていく。


「なぜ姿をさらした?許可を得てはいないだろう?」

「はい。ですがエメレーン殿下には偽った姿ではなく、本来の私を見ていただきたかったのです。お叱りは覚悟の上です」

「フフフ、覚悟の上か。ならばよいのだろうな。パーティーの最中にかつらなど取ってしまって」

「あっ!はっ!はははい」

「ん?なんだ?」

「あ、いえ、パーティー中だというのを忘れていました」


エメレーンはまた声を出して笑った。



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[一言] エメレーン様…(号泣)
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