87 当主からのお招き
【3章】
ラニエーリ家の当主である彼女は、ソフィア・パトリツィア・ラニエーリという名前の美しい女性だった。
凛としていて豪胆で、男性ばかりが集まる荒事の現場でも物怖じすることはない。むしろ誰よりも勇敢なソフィアは、真っ先に前線に飛び込むのだそうだ。
とある港で起きた争いの際、土砂降りの中で戦ったソフィアのエピソードは、ゲームでも回想で触れられていた。
『あんたたち、私についてきな! この美しい王都を汚したんだ、あいつらの血で洗い流してもらおうじゃないか!』
ソフィアに鼓舞された構成員たちは、勇ましく戦ったのだという。
(ソフィアさんは九年前に、二十歳で当主になった人。家を継ぐ年齢には相当若いし、この世界で女性が当主を継ぐのはとても珍しいのに……この世界では女性が結婚して当たり前の風潮だけど、ソフィアさんは未婚を貫いてるし)
女性がひとりで一家を率いるには、男性とはまったく違った苦労があるはずだ。
それだけでも尊敬してしまうのに、そんなソフィアがやさしくしてくれたら、もっと好きになるに決まっている。
「怖い思いをさせてしまったね。お嬢さん」
「い、いえ!!」
苦笑しながら謝罪されたフランチェスカは、ぶんぶんと首を横に振った。
ここはバーベキューをした森の中にある、ソフィアのための邸宅だそうだ。たくさんある別荘のひとつであり、構成員は出入りしていないらしい。
フランチェスカはそこに招かれ、直々のもてなしを受けているのだった。
ふかふかの椅子に座って脚を組んだソフィアは、煙草をふかしながらくすっと微笑む。
「カルヴィーノ家のお嬢さんには、前々からお会いしてみたかったんだ。病弱で社交界には出て来ないとのことだったが、あのエヴァルトが娘を大層溺愛していると聞いてね」
「こ、光栄です……!」
「あはは。そんなに緊張しなくて構わないよ? といってもあまり裏社会に詳しくないお嬢さんには、他のファミリーの当主なんて怖いよね。ごめんね?」
「いえ! そんなこと、まったく微塵も怖くありません!!」
フランチェスカがかちこちに固まっているのは、ソフィアが言っているような理由ではないのだ。
「うふふ。お姉さんたちとお友達になりましょお? フランチェスカちゃん」
「っ、『お友達』……!」
フランチェスカの隣には、ふたりの女性が座っている。ふたりともラフなドレスを纏い、髪も緩く編んで結んでいるだけだが、双方とびきりの美女だ。
恐らくはラニエーリ家配下の娼婦であり、いまは出勤前の寛ぎ時間だったのだろう。
彼女たちはフランチェスカの左右を陣取ると、にこにこしながらフランチェスカを褒め称えてくれた。
「見れば見るほどとーっても可愛い。髪の毛さらさら、睫毛ばさばさ、お目々ぱっちり」
「お肌はどうやってお手入れしてるの? 普段お化粧してない所為もあるんでしょうけど、きっとそれだけじゃないはずよね?」
「その髪の赤色も、すごく素敵ねえ。あなたのお父さま、遠目からしか見たことがないけれどお、おんなじ色をしていたわあ」
女性たちはくすくすと笑いながら、「可愛い」「可愛い」とフランチェスカを撫でる。ソフィアはふうっと煙を吐き出したあと、苦笑しながら窘めた。
「あんたたち、いたいけなお嬢さんを困らせるんじゃないよ」
「あらあ、困らせてませんよう当主さま。私たちはただ、この子のお友達になりたいだけなんですもの」
「あ、あの!」
先ほどから出てくる『友達』という単語に、フランチェスカは心臓がどきどきと高鳴っていた。
「ほ、本当ですか? おふたりとも本当に、私のお友達に……っ」
「フランチェスカ」
「わ!」
そんなフランチェスカの口元を、大きな手のひらが塞ぐ。
フランチェスカはもごもごしながら、ソファーの後ろに立ったレオナルドを見上げた。
「んむむ?」
当初ソフィアの屋敷に呼ばれたのは、フランチェスカひとりだけだったのだ。
『遊びを邪魔した償いをしなくては。ご学友にも後ほどお詫びをするが、まずは主催者のお嬢さんへの謝罪をしたいな。お嬢さん、私の別荘に来ないかい』
そのときレオナルドが肩を竦め、それから名乗りを上げたのである。
『ラニエーリ殿、会合でもない場所でお会い出来るのも珍しいことです。可愛い婚約者の供として、俺もお招きに預かっても?』
見上げると、これまで黙って静観していたはずのレオナルドは、とてもやさしいまなざしを向けてくる。
「はは、ごめんな。男相手じゃないから我慢しようかとも考えたが、やっぱり許せない」
「?」
「悪い大人に誑かされては駄目だ。出会ってすぐ、子供相手に『友達』なんて言い出す相手のことは信じない方がいい」
フランチェスカは目線だけで、レオナルドにこう尋ねた。
(信じない方がって、どうして?)
彼はきっと、フランチェスカの疑問を正確に掬い取っただろう。月の色をしたその瞳が、僅かに暗い光を帯びる。
「……君のことは、俺だけが」
「……?」
レオナルドはくすっと微笑んだあと、諭すような柔らかい声音でこう続けた。
「ではなくて。――彼女たちのお目当てが、君のお父君に対しての営業だから」
「!!」




