84 予期せぬ登場
ぽかんとしているリカルドの傍で、レオナルドがくつくつと喉を鳴らす。
「空間転移スキルか。所定の距離内であれば、瞬時にその行き先に飛べるという」
「そう。橋を探したり川を渡ったりするよりも、グラツィアーノが飛んだ方が効率的でしょ?」
グラツィアーノ曰く、『使いっ走りには最適のスキル』だという。そんなつもりはないのだが、グラツィアーノにはこのスキルを使って病院の紹介状などを取りに行ってもらうことも多く、日頃からとても助けてもらっている。
「とはいっても使用回数の制限があるから、戻ってくるのは自力なんだけど……」
フランチェスカは下流を見遣る。シナリオ上は離れた場所に橋があったはずだが、先ほど歩いた上流には見当たらなかった。
「おーいグラツィアーノ、橋を探すからちょっと待ってて! 私がそっちに行くまでに、お姉さんのことをお願い!」
「別に、わざわざお嬢が来るまでもないですけど。向こうで待機してる先輩たちを呼んで貰えば十分なんで」
「私も話を聞きたいもの! レオナルド、リカルド、ごめん。少しここで待っ……」
フランチェスカがそう言い掛けたとき、川の上に雷鳴のような光が走った。
「ひえ……」
ほんの一瞬の出来事だ。それなのに今やこの大きな川には、氷によって生成された橋が架かっている。
(レオナルドの、氷のスキル!)
フランチェスカが慌てて見遣れば、両手をポケットに突っ込んだままのレオナルドは、素知らぬ顔で微笑んでいた。
「はは。向こうにいる『うちの構成員』が、氷で橋を生成したみたいだ」
「そ、そうなのか? それは素晴らしいスキルだな。随分と遠距離まで届かせることが出来るようだ」
「レオナルド……!」
感心するリカルドに気付かれないよう、フランチェスカはそっと耳打ちした。
「大丈夫? こんなところでスキル使っちゃって……」
「まあ、この氷が俺のスキルだと周りに思われても問題は無い。むしろ三つのスキルのうち、これがそのひとつだと誤解されれば都合がいいくらいだ」
「う。それじゃあグラツィアーノを止めなかったのは」
「君の番犬のスキルを知りたくて。手の内を隠すタイプには見えないから、正面から聞いても教えてくれそうだがな」
少し意地の悪い表情で笑ったレオナルドは、想定通りに事が運んで楽しそうだ。その上で、フランチェスカに手を差し出す。
「おいでフランチェスカ。滑らないように加工した橋だが、万が一があっては大変だ」
「んむむ……」
少々悔しく思いつつも、エスコートを受けるのは淑女の礼儀だ。フランチェスカはレオナルドの手を取って、リカルドとも一緒に氷の橋を渡る。
向こう岸の川原では、美しい女性がにこにこしながらグラツィアーノに詰め寄っていた。
「助けてくれて本当にありがとう。よく見たら君、すごーく可愛いお顔してるわね」
(グラツィアーノが妖艶なお姉さんにモテてる……!)
弟分のそんなシーンを見てしまい、フランチェスカは少し慌てた。どうでもよさそうな表情で聞いていたグラツィアーノだが、フランチェスカの気配にぱっと顔を上げる。
「お嬢」
グラツィアーノはそのまま、地面に倒れていた男の首根っこを掴むと、上半身を起こさせてフランチェスカに示した。
「こいつ。お嬢に習った体術で倒しました」
「見てたよ、すごかったね! さっすがグラツィアーノ!」
「……別に。これくらい大したことないんで、そんなに褒めてもらわなくても結構です」
「でも、他のスキルは使ってないでしょ? いまのグラツィアーノなら大抵の敵は、自分の素の力だけで勝てちゃうんだ」
小さかった弟分が強くなって、フランチェスカも誇らしい。
グラツィアーノは心なしか満足そうな顔をし、男を掴んでいた手を離した。男はぐえっと悲鳴を上げ、再び静かになる。
「さてと……この男の人、どうしよっか」
一応そう切り出してはみるものの、フランチェスカは知っていた。
(この人は、グラツィアーノのお父さんである侯爵閣下の部下。ラニエーリ家に無断で娼婦のお姉さんを連れ出そうとしたんだよね)
女性はふんと鼻を鳴らし、男を睨み付けている。レオナルドが肩を竦め、ことも無げに言った。
「フランチェスカ、ひとまずラニエーリ家に連絡する。俺の指示だということにすれば、君の家が出てくる必要はないから安心してくれ」
「駄目だよレオナルド。アルディーニ当主が名前を使ったら、『令嬢フランチェスカの我が儘でやって来たバーベキュー』の体裁が取りにくくなっちゃう。レオナルドやリカルドにはあくまで、私の同行者って態度でいてもらわないと!」
女性に聞こえないように、ひそひそとレオナルドを引き止める。
実のところゲームでは、この男がラニエーリ当主の怒りを買い、きっちり罰せられた描写が一行だけあるのだ。この男を叩きのめしたところで、大きな問題にはならない。
(ゲームでもこのイベントは起きてる。主人公はグラツィアーノにお願いごとを出来る関係性ではないんだけど、主人公が自分でこの女の人を助けに行こうとするんだ。グラツィアーノは主人公の護衛をしなきゃいけないから、仕方なく空間転移のスキルで川向こうに飛んでくれて……)
いまのフランチェスカたちとは状況が違うものの、やはり同じ出来事が起きている。
(この男の人を倒したあと、ラニエーリ家の当主が現れるはず! ここでラニエーリ当主と知り合いになれれば……)
けれどもフランチェスカは、森の向こうからやってくる人影に息を呑んだ。
「――え」
思わず小さな声を漏らしたのは、ゲームの立ち絵でははっきりと顔の描かれていなかった人物が現れたからだ。
「そこで一体、何をしている」
「……!」
グラツィアーノが身構えたのは、その声に聞き覚えがあったからなのだろうか。
(ゲームでは、ここでこの人が登場するシナリオじゃなかったのに)
その人物は長身で、グラツィアーノと同じ茶色の髪だ。
額を出すように整髪剤で固めた髪は、どこか気難しそうな印象を与えている。彼は上等な仕立ての衣服に身を包んでおり、胸元に締められたネクタイのピン留めには、大きなラピスラズリの石が嵌っていた。
こんなにいかめしい表情をしているのに、その人物は赤い瞳や髪色だけではなく、その面差しも息子とそっくりだった。
(……グラツィアーノの、お父さん……)
守るべき標的であるサヴィーニ侯爵が、じろりとフランチェスカたちを睨み付ける。
そしてその視線は、グラツィアーノに向けられて止まった。
「――お前は、まさか」
「…………」




