78 勝負の理由(第2部1章・終)
初夏の風に木立が揺れる中、馬車の御者が馬に水を飲ませ終えるのを待ちながら、フランチェスカは呆然と呟いた。
「どうしよう。グラツィアーノが本格的な反抗期だ……」
「だーれが反抗期ですか。子供扱いしないでもらえます?」
王城内にあるロータリーには、父エヴァルトとレオナルドの姿はない。
ふたりは当主として、国王ルカと別の話があるとのことで、フランチェスカたちだけが帰されたのだ。
「何言ってるの。これは立派な反抗期だよ!」
フランチェスカは顔を上げると、両手を腰に当ててグラツィアーノを見上げた。
「グラツィアーノがあんなことを言い出すなんて、思ってもみなかった。それもルカさまやパパの前で!」
「陛下は余興めいたことをお好みですし。当主はお嬢に直接関わること以外は、『結果こそすべて』って主義ですから……あの場でこういうのを問題にするの、お嬢くらいっすよ」
「い、いつもはグラツィアーノの方が常識人のはずなのに……! だけど分かってるでしょ? 今回の件は、グラツィアーノのお父さんが」
「俺は」
フランチェスカの言葉を遮るように、グラツィアーノが口を開いた。
「父親のことなんてどうでもいいです。今更」
「……グラツィアーノ」
そのまっすぐなまなざしは、傷だらけで泣いていた小さな男の子のものとは違う。
だからこそ、フランチェスカも言い切った。
「――っ、そんなのは当然だよ!」
「!」
グラツィアーノが目をみはる。
フランチェスカはこれだけは分かってほしくて、必死に続けた。
「グラツィアーノにひどいことをしたお父さんを、息子だから助けなきゃいけないだなんて、そんな決まりはない。――絶対にない!」
「……お嬢」
こちらを見詰めるグラツィアーノの瞳が、ほんの僅かに揺らいだ気がした。
フランチェスカはこの大きな弟分に、子供の頃と変わらない調子で続ける。
「だからこそなの! 本当はもう関わりたくないお父さんに向き合うために、『レオナルドとの勝負』っていう理由を付けて頑張ろうとしてるなら、すぐに止めよう?」
「……」
そうするとグラツィアーノは、目を伏せるようにして微笑んだ。
「……お嬢はいっそ笑えるくらいに、俺のことをよく分かってますよね」
「え?」
フランチェスカが首を傾げると、グラツィアーノの表情はすぐに元の冷静なものに戻る。
「言ったでしょ、父親のことなんかどうでもいいって。守りたいって気持ちが無いのと同じくらい、関わりたくないって感情すらありません」
「でも」
「そんなことよりも、重要なのはお嬢の未来ですから」
グラツィアーノの赤い瞳が、フランチェスカの後ろを見遣った。
七月の透明で眩しい日差しが、ロータリーの石畳を照らしている。
けれどもその人物が纏う黒色は、それらの光をすべて吸い込んで、掻き消してしまっているかのようだ。
(レオナルド)
向こうから黒髪の美しい青年が、こちらに向かって歩いて来ている。
フランチェスカと目が合った彼は、嬉しそうに微笑んで、ひらりと手を振った。それを見たグラツィアーノが、レオナルドを睨む。
「……俺はまだ、あの男がお嬢の婚約者として信用出来るかは、疑わしいと思ってるんで」
(グラツィアーノは、私とレオナルドが友達だってことを知らないんだもんね……)
「だからあいつとの『勝負』で見極めます。たとえ反抗期だろうと、そういう心配くらいはさせてください」
グラツィアーノはそのあとで、ぽつりと言った。
「……俺はあんたの、弟なんでしょ」
(あ)
拗ねているかのような声音を聞いて、フランチェスカは納得する。
(考えてみれば私ったら、レオナルドと登下校するためにグラツィアーノを置いていったり、ふたりだけでアイスを食べたり……。グラツィアーノだって、寂しくもなるよね)
そのことを申し訳なく思い、項垂れた。
「ごめんねグラツィアーノ。私、グラツィアーノをひとりぼっちにしていたかもしれない」
「は? いや、そういう話はどうでもよくて……」
「フランチェスカ」
目の前に立ったレオナルドが、フランチェスカの少し上に手を翳した。それを不思議に思うと同時に、じりじりと照り付ける暑さが減ったのを感じる。
「こんな所に立っていたら、綺麗な肌が日焼けするぞ? 君が痛みに苦しんでは大変だ、こっちにおいで」
「ひょっとして、レオナルドの手で日影を作ってくれてるの? ふふっ、ありがと!」
謎の気遣いがおかしくて笑えば、すぐにグラツィアーノが前に出た。
「俺だってそれくらいは出来ますけど?」
「はは、どうした番犬。フランチェスカのことなら俺に任せて、任務に集中した方がいいんじゃないか?」
(レオナルドの言う通り。グラツィアーノはああ言ってたけど、この件は『勝負ごっこ』で片付ける訳にはいかない)
シナリオを知っているフランチェスカは、じゃれ合うレオナルドたちの横で考え込む。
(レオナルドが味方でいてくれることや、グラツィアーノと幼馴染になっているっていう違いはあるけれど、大枠はゲームと同じ出来事が起こっている。だけど、ゲーム第二章の『暗殺騒動』では……)
きゅっとくちびるを結び、シナリオを読んだときの感情を思い出した。
(グラツィアーノのお父さんは……メインストーリー上で、絶対に殺されてしまう)
その死は強制イベントだ。
主人公がどんな選択肢を選ぼうと、プレイヤーがどれほどキャラクターを育成しようとも、どうあったってその死は避けられない。
(主人公に無愛想なお世話係グラツィアーノと、少しずつ距離を縮めていくのが第二章。クライマックスで起こるお父さんの死亡イベントをもって、グラツィアーノと主人公の間に絆が生まれる訳だけれど……)
しかし、フランチェスカは決めていた。
(絶対にその死は回避する。グラツィアーノは無理にお父さんに関わらなくていいし、助けなくていいけれど、それでも私は)
死ぬと分かっている人を、みすみす放っておけるはずもない。
(平穏で平凡な人生のためには、『誰かを見殺しにする』なんて駄目だ。私の普通な生き方のためにも!)
それに今回は、ゲームシナリオ内できちんと危機を回避できる内容だった一章とは違う。
(シナリオ通りでは駄目なんだから、ゲーム知識だけで進める訳にはいかないよね。レオナルドの力を借りられることは幸運……だった、はず、なのに……)
ぐいっとレオナルドに引き寄せられて、フランチェスカは目を丸くした。
「帰っていいぞ番犬。俺とフランチェスカは婚約者同士、ふたりで協力して暗殺事件を防ぐから」
「わあ! レオナルド!?」
続いてむっと眉を顰めたグラツィアーノが、レオナルドからフランチェスカを引き剥がそうとする。
「うちのお嬢に無断で触らないでもらえますか? まだ結婚前でしょ、当主が見たらブチギレますよ」
「グラツィアーノまで……!」
「生憎そちらの当主には、『娘を頼む』とお許しをいただいているんでね。婚姻の前から仲睦まじい方が、父親としても安心だろう?」
「そもそもが、お嬢の意思を無視した婚約だ」
「ははっ! だが、フランチェスカが拒まなかったから今も続いている」
「……っ」
白熱しつつある争いに挟まれて、フランチェスカは大きく息を吸い込み叫んだ。
「――ふたりとも! 王城内で、変な喧嘩をするのはやめて!」
本当に、この先の調査が思いやられることこの上ない。
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【第2部2章へ続く】




