62 奪ったものは
荒い呼吸を繰り返しながら、指先がなんとか父に届く。しかし、それによって事実が明確になった。
(……動かない)
レオナルドは、ぐっと歯を食いしばる。
会合の途中、それまでこちらの顔色を窺うようだったセレーナ家当主が、突然懐に手を突っ込んだ。取り出された二丁の銃は、それぞれ真っ直ぐに父へと向けられたのである。
(信用に値する相手じゃないと、俺だけは分かっていたはずなのに……)
レオナルドは、咄嗟に父の前に出ようとした。
それこそが愚行だ。本当はそんなことをしなくとも、父ひとりなら避けられたのに。
結果として父は、自分を庇おうとしたレオナルドを庇い返し、抱き込むようにして守ってくれたのだ。
その背中に、十発以上の弾を受けただろう。そのうちの一発が父の体を貫通し、レオナルドにも当たった。
『――父さん、レオナルド!!』
最後に聞こえたのは、兄の声である。
一瞬意識が遠のいた後、目を覚ませば辺りは火の海だ。動かない父に触れたレオナルドは、もう片方の手で、血の溢れる腹部を押さえこむ。
何もかも甘かった。父と兄の信じる世界を守りたいと思うあまりに、肝心なものが守れなかった。
『レオナルド……』
『っ、兄貴』
何処かを負傷しているのだろう。荒い息をつく兄が、炎の中、掠れた声で言う。
『……お前のスキルを、父さんに使え』
『――……!?』
レオナルドは目を丸くする。兄は、苦しげな表情の中にやさしいまなざしを込めて、レオナルドに微笑んだ。
『まだスキルが覚醒してないなんて、嘘だろう? お前は、俺と後継者争いになるのを避けるために、スキルを使えるようになったことを隠していた。……自分自身でも、自分のスキルが気付けないように』
『……それを、父さんに使えって?』
今更そんなことをして、一体何になるというのだろう。だって父はもう、手遅れなのに。
そう考えた瞬間、一縷の希望が見えた気がした。だって、兄はレオナルドのスキルを知っているのだ。
『――っ』
スキルの使い方なんて分からない。いままでに意識して、絶対に発動させないようにしてきたのだ。けれどもレオナルドは縋るような気持ちで、夥しい量の血を流した父に触れる。
念じるように力を込めた瞬間、父に触れた指先に、ばちんと雷鳴のような痺れが走った。
『……!?』
いまのは一体なんだったのだろうか。スキルが発動出来たのかと思ったのに、目の前の光景は変わらない。
それどころか黒煙はどんどん勢いを増して、こちらに迫り来るばかりだ。頬がぴりぴりと熱く、呼吸をする度に喉が痛んだ。
『駄目だ、兄貴。失敗する……!』
『…………それなら』
兄はやっぱりやさしい声音で、レオナルドにこう告げた。
『今度は試しに、父さんじゃなく、俺にスキルを使ってくれるか?』
『――――!』
レオナルドは頷いて、兄に触れた。
(せめて、兄貴だけでも)
何かが不自然だということに、本当は気が付いていたはずだ。
レオナルドのスキルが誰かを救えるものならば、兄は絶対にあの場面で、父ではなく自分にスキルを使えなんて命じるはずもなかった。
けれどももはや、レオナルドの守りたいものというのは、兄しか居なかったのだ。
(この人だけは、生かさないと……)
兄が絡めてくれた指を、ぎゅっと握り締める。
てんで子供でしかない十歳の自分と違い、十七歳の兄の手は大人のそれだった。
温かくて大きな兄の手は、アルディーニ家当主として、これから先の未来にたくさんの人を救うことが出来る。
(俺には作れない。人を信じて、救える未来)
太陽のように眩しい兄を、炎の中で目を眇めながら見上げた。
『――――……!』
祈りを込めた瞬間に、ばちんと同じような電流が弾ける。
光が生まれ、兄の周りをふわりと舞った。炎の中でもはっきりと見えるそれを見詰め、レオナルドは絶句する。
(なんだ? この光)
目の前の兄は、満足そうに笑った。
(さっきと違う。これは確か、父さんがスキルを使ったときの――……)
『レオナルド』
兄の腕が、レオナルドを抱き寄せる。
『お前は父さんにとって、間違いなく自慢の息子だ。……俺にとっては、自慢の弟』
『……兄貴……?』
『だからな』
いつのまにか、先ほどよりも容易く呼吸が出来るようになっていた。
焼け付くようだった腹部の痛みが、すっかり消えてしまっている。どうしてか胸の辺りが痛むが、先ほどまでよりは随分とマシだ。
けれど、代わりに恐ろしいことが起きていた。
『……兄貴、その怪我』
シャツの上に赤色の花が咲くかのように、兄の腹部から血が滲んだ。
レオナルドがそれに気付いた瞬間、兄はいっそう強い力でレオナルドを抱き締め、こんなふうに笑う。
『父さんや、俺と同じものを目指す必要なんてない。それだけは忘れるな』
『兄……っ』
レオナルドを抱き上げた兄が、窓硝子を蹴破るように叩き割った。
『――お前は、お前がこうあるべきだと思う生き方をしてくれ』
『…………!』
そう言って笑ったあと、そこからレオナルドを優しく落とす。
落下する中、手を伸ばしても届かない。兄は満足そうに微笑んだまま、最後にこれだけを口にした。
『レオナルド。お前のスキルは……』
『兄貴!!』
その直後、崩落の音がする。
周りを囲んでいた構成員たちが、血相を変えてレオナルドに駆け寄ってきた。落下したレオナルドを受け止めると、彼らは青褪めて叫ぶ。
『レオナルドさま!! ご無事ですか!?』
『当主と若は……!? セレーナめ、裏切りやがって……!!』
『離せ!!』
『レオナルドさま!?』
渾身の力で彼らを振り払い、持っていた銃を奪う。レオナルドはそれを手に、燃える屋敷の中に飛び込んだ。
(くそ……!!)
恐らくは、肋骨が折れている。これはレオナルドが負った傷ではなく、恐らく兄のものだった。
(兄貴が、俺を生かすために)
動いた激痛で脂汗が滲む。
それでも、腹に銃弾を受けた痛みに比べれば、なんということもない。
(俺を逃すために、こんなことをした。あのままじゃ、俺と兄貴がふたりで逃げても、俺が助からないと踏んで……!!)
レオナルドの銃創が致命傷であることを、兄は見抜いていたのだろう。血を失いすぎてくらくらするが、兄はいまも血を流し続けている。
『おい、まだ餓鬼がいるぞ!! 殺せ!!』
『っ、退け……!!』
襲って来たセレーナの構成員に、迷わず銃を向けて引き金を引いた。
人を殺すのは初めてだったが、一切の恐怖心を感じない。つくづくレオナルドは、あの優しい父や兄よりも、この家業に向いていた。
死体をいくつも作り出しながら、燃え盛る三階へと向かう。父と兄を、いいや兄だけでも、あそこから助け出さなければならないのだ。
炎の中に飛び込もうとした、そのときだった。
『レオナルドさま!!』
『く……!!』
後ろから、大人の手に肩を掴まれた。
レオナルドの目の前で、轟音を立てて火が上がる。
開け放たれた扉の中は、凄まじいほどの炎で埋め尽くされていた。
『お戻りください。……何卒……!!』
『離せ……』
痛みが一気に競り上がり、吐き気と共に意識が遠のく。
(守れなかった。……俺の所為で死なせた。俺なんかよりも、生きていなきゃいけない人たちを)
レオナルドが、父と兄を殺したようなものだ。
『――レオナルドさま』
目が覚めたとき、病室にはアルディーニ家の幹部たちが全員揃っていた。
正しくは、当主である父と、次期当主だった兄だけがそこに居ない。
正装に身を包んだ大人たちは、これまでレオナルドには見せたことのなかった真摯な顔で、こう言い切ったのだ。
『いいえ、新たなアルディーニ家の当主さま。……我々はこれより、あなたの配下に下ります』
『…………』
レオナルドはこのとき、心の底からこう感じたのだ。
(俺が奪った。何もかも)
そして、手のひらを見詰める。
(父さんたちの命も、地位も。それから――……)
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