60 治癒の力
思わず涙腺が緩みそうになるが、なんら安心できる状況ではない。ジェラルドはその銃口を、今度は彼に向けている。
「レオナルド、後ろ!!」
「分かってる」
そしてレオナルドは、すぐさま指先をジェラルドに向けた。
「っ、があ……!!」
なんらかのスキルが発動して、ジェラルドが蹲るように身を丸める。
レオナルドはゆっくりとした声で、彼に告げた。
「――さあ、俺に従え」
(レオナルドの、他人を操るスキル……!)
この屋敷に張られた結界の中で、攻撃のスキルは発動できない。
精神関与のスキルは、攻撃スキルとして判定されなかったということだ。おまけにこれは物理攻撃でもないため、防御力が上がるジェラルドのスキルでも防げない。
「ぐ、う……」
「銃を捨てて、こっちに投げろ」
「……くそ……!」
ジェラルドの手から、弱々しく銃が離れた。レオナルドはそれを黒い革靴で蹴り飛ばし、冷たい目でジェラルドを見下ろす。
「上出来。さあ、頭を垂れて跪け」
「……っ」
レオナルドの声は、決して荒々しいものではない。それなのに、異様な迫力があった。
スキルなんて使われていなくたって、思わず無条件に平伏してしまいそうな声音だ。レオナルドはジェラルドから視線を外さず、後ろにいるフランチェスカに尋ねた。
「フランチェスカ。当主を連れて逃げられるか?」
「絶対に出来る、何がなんでも私がパパを抱える!」
一気に血を失った所為か、父の意識が朦朧としているのが分かる。フランチェスカは父を支え、歩き出そうとして声を掛けた。
「待っててね、パパ……!」
フランチェスカの腕力で、成人男性である父を抱えられるはずがない。それは分かり切っているものの、諦める気もなかった。
けれど、そのときのことだ。
「があああっ!!」
「!!」
ばちんと爆ぜるような音がする。存在していたはずの見えない鎖が、無惨にも千切れたかのような音だ。
「まさか、レオナルドのスキルを破った!?」
「……へえ」
ジェラルドは、一度フランチェスカのことを睨み付ける。
「くそ。……くそ、くそ、貴様らさえ居なければ……!!」
そのあとにすぐさま、前のめりに転がるような形で部屋を飛び出した。
「逃げた、追い掛けなきゃ……! おじさまのあの様子じゃ、外に出て何をするか分からない!!」
「上の階に行った。すぐに外に出ないところを見ると、上に持ち逃げしたい何かがあるな」
「……く……」
「パパ!!」
唸るような声に、フランチェスカは青褪める。
(パパを助けなきゃ。でもおじさまを追わないと、外で普通に生きている人たちに危害を加えるかもしれない。どっちも一刻を争う、それなのに……!!)
「大丈夫だ。フランチェスカ」
「!」
レオナルドはやさしく笑い、フランチェスカの傍に跪いた。
「お父君は、俺が治せる」
「本当……!?」
レオナルドは頷き、父の腹部に手を翳す。光が滲み、赤く染まった傷口を覆い始めた。
レオナルドは真剣な横顔で、フランチェスカに告げる。
「セラノーヴァ当主も逃さない。あいつは外に出たら、秘密を知った人間をなりふり構わず狙ってくるだろう。君や俺に罪をなすり付けることも、それが出来ないならと殺しに来ることも、容易に想像できる」
「……どうやったって、取り繕えるはずがないのに……」
「それを正常に判断してくれそうには見えなかった。そうだろ?」
フランチェスカは父の手を握り締める。すると、レオナルドの手から溢れる光が一際強くなった。
「……パパ!!」
「――――……」
乱れていた父の呼吸が穏やかになる。表情から険しさが消えたのを見て、フランチェスカは泣きそうなほどに安心した。
「ありがとう、レオナルド……!!」
「……まだ、早い。父君を、引っ叩いてでも起こして、君たちはまずこの屋敷から出ろ」
その言葉に、フランチェスカは驚いた。
「まさか、ひとりでおじさまを追う気なの!?」
「お父君の傷は消えたが、失った血や消耗した体力が戻った訳じゃない。治療は必要だ、分かった?」
「……っ」
「良い子だ。……早く行け」
レオナルドはそう言って、ジェラルドが出ていった扉へと歩き始める。
「――血の署名に背いたあの男は、俺が粛清する」
「……!」
冷えて張り詰めたその空気に、フランチェスカは息を呑んだ。
けれどもレオナルドは、もう一度こちらを振り返ると、いつもの余裕ある軽やかな笑みを浮かべてみせる。
「どうか俺に任せてくれ、フランチェスカ。……君は、君の大切な人を守れ」
「レオナルド……!!」
そう言って部屋を出たレオナルドに、フランチェスカはぐっと両手を握り締めた。
それでも、ぼんやりしていられないのは間違いない。レオナルドに言われた通り、フランチェスカは父を揺さぶって起こす。
「パパ! パパ、起きて! すぐに治療してもらわないと!!」
「――――……」
親子で同じ水色の目が、フランチェスカを見上げる。
「フランチェスカ……? 無事、なのか」
「私のことはいいの! 早く行こう、立てる!?」
「っ、ああ……」
フランチェスカが手を引くと、父はすぐに立ち上がろうとしてくれた。
しかし次の瞬間、その表情が僅かに歪む。
「っ」
「パパ!?」
痛みを堪えるような声を聞いて、フランチェスカは声が震えた。
「どうして!? お腹の傷はレオナルドが治してくれたのに。まさか失敗して……」
「……そうでは、ない。……痛むのは、腹部ではなく……」
父は顔を顰めたまま、自身の足首に手をやった。
「足首に、まるで捻ったような妙な感覚がある」
「え……?」
「驚いただけだ、それほど強い痛みではない。むしろ、治り掛けのような」
「え……」
その言葉に、フランチェスカは目を丸くする。
父の足を見ると、確かにそこは、どす黒いのを通り越して黄色に変色していた。
内出血をしてから数日は経たないと、こんな色にならない。どうやら、先ほど撃たれた際に捻ったものというわけではないようだ。
(……足の捻挫。左足首。何日も経過したもの……?)
ここ最近で、父がそんな怪我をしたことはない。
父の怪我は、腹を銃で撃たれた傷だけだったはずだ。
けれど、それをレオナルドに治癒してもらった今になって、引き換えのように別の負傷が生じている。
(パパはこんな怪我をしてないはず。……だけど私は、心当たりがある)
それは、他ならぬフランチェスカ自身が、会合の際に負った傷だ。
レオナルドを追いかけて、慣れない靴の所為で派手に転んだ。痛くて立てなくなったところを、引き返してくれたレオナルドに治癒されたのだ。
先ほどの父と同じように、レオナルドのスキルによって。
(違ったのかもしれない)
そのことに気が付いて、息を呑む。
(レオナルドのスキルは、怪我を治療するものじゃない。そうじゃなくて、あれは)
「フランチェスカ?」
フランチェスカは、必死に思考を動かした。
(――レオナルドと、対象の体の傷を、入れ替えるスキルなんだ)
そう考えて、これまでの状況を振り返る。
(無傷のレオナルドと、私が左足首を捻った怪我を入れ替えたの? だから私はどこも痛くなくなったけれど、あのときレオナルドは、私の怪我を引き受けてくれてる)
そして、頭の中に浮かんだ言葉をぽつりと呟いた。
「それじゃあ、撃たれたパパを治してくれたいまのレオナルドの、状態は……」
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